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EP26 幻の炎と16人目

【報道インタビュー】


全国高校チェス選手権、初日の熱がようやく落ち着き、会場の空気は少しだけ薄くなった。ホール脇のブリーフィングルームでは、準決勝に進んだ四人――桃子、怜、サンドラ、蒼空――が記者の前に並ぶ。ライトが白く四角い窓を作り、カメラの赤い点がいくつも呼吸している。


記者「桃子さんは一年生、しかも初参加で準決勝進出ですね。今日の感想と、明日の抱負を聞かせてください」


桃子は、少し高めの声で、胸の前で両手をぎゅっと揃えた。


「え、えーと……まだすごく緊張しているので、あまり実感がわかないです……あ、明日も頑張ろうと思いますっ!」


記者は笑い、後列からも小さな笑いが洩れる。


記者「初々しい感じでいいですねー」


(……まさか桃子、この大会、あの“あざといキャラ”で押し切る気か?)


蒼空と颯真が、ほぼ同時に同じ顔で心の中でつぶやく。


記者「では、怜さん。二連覇の期待がかかっていますが、明日の作戦を」


怜は視線を一度だけ盤のない空を見た。


「……いつも通りのことをするだけです」


記者「相変わらずクールですね。期待しています!」


記者「サンドラさん。本日の試合はどれも圧倒的でした。明日について一言……」


サンドラはマイクに落ちる光をそのまま返す目で、英語のまま微笑む。


“I'm already sure I'm going to win. Now I'm figuring out how to win. Get ready for a major-league chess show. ♡”

(私が勝つことはもう決まっているの。どう勝つかを考えているだけ。チェスのメジャーリーグのショーに備えてね♡)


記者「すごい自信ですねー。本場のチェス、楽しみにしてます!」


記者「最後に蒼空さん。第一試合の遅刻からタイムトラブルを跳ね返しての勝利、そして準々では友梨佳選手をポーンメイト。注目が集まっています。準決勝の相手はサンドラさんですが、どういう試合を?」


蒼空は短く。


「勝ちます。……ただ、鋭く勝ちます」


記者「いい覚悟が聞けました! 明日、期待しています」


横で桃子が小さく頷く。(うん、ここまではエレナ師匠の指示どおり。――いよいよ次が最大の難所)


ライトが消え、四人の影がすこし軽くなる。外は、夕刻の京都だ。


===================

【友梨佳のお誘い】


十条のホテルに戻ると、ロビーに藍の小紋の浴衣がふっと立った。髪をゆるくまとめた友梨佳が、帯の前に手を揃えて会釈する。


「今日は京都の五山送り火の日なの。皆さん、よかったら一緒に見に行きませんか? 私地元なんでご案内します」


颯真の目が露骨に輝く。(めちゃくちゃ綺麗……)


「ええですね! 大文字焼、見たことないんですわ。ぜひ!」


友梨佳「“大文字焼”って言う人もいるけど、正式には”送り火”ね」


友梨佳が続ける。「桃子さん、蒼空くんもどうですか? あなたたちに、いろいろお話を聞きたいの」


蒼空「えっと……」


桃子は、蒼空のシャツの袖を指でつまんだ。


「行こうよ。きっと気晴らしになる」


蒼空は声を落とし、桃子の耳にだけ落とす。


(Chess.aicが、また来たら……)


(大丈夫。今日はメディアに十分露出したし、やつらも下手に手は出せない)


桃子はすばやくウィンクした。


「よし、せっかくだからみんなで行こう」


伊織がまとめる。「ただし――桃子くんと蒼空くんが勝ち残っている限り、僕らの全国は終わっていない。羽目は外さない。いいね」


その“いいね”は、明確に桃子に向けられていた。


===================

【夜の鴨川、火を待つ街】


ホテルを出れば、十条通は夏の名残の熱を薄く撒いている。南北に走る油小路の風は生ぬるいが、鴨川が近づくにつれて肌が水の匂いを覚えはじめた。


東山の稜線は、墨で引いたように薄暗く、格子戸の町家の前には行灯が灯る。団扇を売る屋台、冷やし飴の氷が砕ける音。床を出した料理屋の笑い声が、川面にほどけて漂う。


川に出ると、等間隔に座る二人組たちの影がリボンのように並んでいる。橋の欄干はぬるく、蝉時雨はほとんど終わって、代わりに夜の虫のかすかな擦過音がある。水は黒く、しかし街の灯りを細い糸で束ねて流していく。


「大が最初よ」


友梨佳は東の山を指す。「如意ヶ嶽に『大』が灯されて、それから五分おきに――松ヶ崎の『妙・法』、船山の『舟形』、『左大文字』、最後に曼荼羅山の『鳥居』。」


帯の結び目を押さえる指が、ひとつひとつの字の順序に合わせて動く。説明の声は、祈りに近かった。


やがて、遠くの闇に最初の一画がともる。


続いて二画、三画――『大』が夜空に浮かび上がる。


歓声というより、ため息が川沿いを走った。


「あれが“送り火”。勝った想いも、負けた想いも――燃えていくの」


友梨佳は静かに言う。


「……でも、燃えきらない想いもありますよ」


桃子が、肩に降りた光を払うように、ちょっと遠い目をしてすこしだけ笑う。


蒼空は何も言わない。川面に映る『大』を見ていた。風がひとつ、額の汗をひやす。胸の奥の拍が、四拍で整っていく。


『妙』が灯り、『法』が応える。


『舟形』の火が、黒い山肌に白い水路を作る。


『左大文字』が、ひと呼吸遅れてひらき、最後に『鳥居』が扉を立てる。


五山が、五つの息で夜をゆっくりと押し出した。


===================

【幻の炎と、16人目】


しばらくして、友梨佳が切り出す。


「五山送り火ってね、今はこの五つだけど、昔は消えてしまった“幻の文字”もあったらしいの」


蒼空「幻の文字?」


「ふふ、私も何の字かは知らないの。でもロマンチックでしょう? 幻の送り火――昔の人は、どんな想いをその字に込めたのかしら」


アキラが思い出したように口を開く。


「幻と言えば、今回の全国も“幻の16人目”がいたって話、知ってる?」


伊織が頷く。「うん。参加者は15人。桃子くんが奇数でラッキーシードになった。でも、もともとは16人の予定だった」


「それ、聞いた!」


友梨佳の浴衣の裾が、わずかに揺れる。「招待選手はサンドラさんだけじゃなくて、もう一人――Chess.aicの推薦があった。でも大会直前にキャンセルになったって」


蒼空の背骨が、意思とは無関係に固くなる。(また――Chess.aic)


颯真が空を見上げ、口をとがらせる。


「世界的AI企業が、日本の高校全国に選手送り込むって、前代未聞やで。裏――あるやろ」


桃子はその空気を、わざと軽くはたいた。


「裏があろうがなかろうが、優勝はうちか蒼空だよー♡」


「その根拠はどこから来るんや!」


颯真はお決まりのツッコミを入れ、友梨佳が肩を震わせて笑う。


火は、少しずつ小さくなっていく。


けれど蒼空には、どこか遠い山で、もうひとつの炎がまだ燃えているように思えた。名前のない文字。16人目の影。


(――幻は終わっていない)


===================

【明日の作戦】


送り火の残光が、鴨川の水に金の粉を撒いている。


友梨佳は、横顔だけで蒼空を見る。


「ねえ、蒼空くん。――本当にサンドラに勝てると思う?」


蒼空は、すぐには答えない。


(氷みたいな“理”のチェス。感動の体温よりも、証明の速度。あれに――)


> その時、蒼空の中でCaïssaが笑った。

> ――“理”は美しい。でも“理”だけでは、詩にはならないわ。


「……なんとかなるかもって、今日の伊織先輩 vs サンドラの棋譜を見て思った。穴じゃない。速度――そこに”ゆらぎ”がある」


友梨佳は、小さく息を呑む。


「あなたって、不思議。期待させるのが上手いのね」


桃子が、当然のように蒼空の腕にからむ。


「でしょ? 蒼空はやる時はやる子。明日もやる!」


颯真が目を細める。


「そっちはどうや、桃子。怜相手に勝算は? 今日みたいな三味線ひいとると、静の詰みには通用せえへんぞ」


桃子は蒼空の真似をして、わざとらしく目を細める。


「ふふっ、私もなんとかなるかもー♡」


「いやだから、その自信の根拠を――」


颯真の嘆きは、川風に連れていかれた。


友梨佳は二人の掛け合いに、浴衣の袖で口元を隠して笑う。


「明日は応援に行くわ。二人とも、頑張ってね♡」


===================

【京の夜は更けて】


川沿いの等間隔は、いつの間にか人の列に変わり、帰路の足音が石を叩く。三条へ向かう人影、四条大橋の上の笑い声、床に灯る小さな提灯。


祇園石段下からの三味線が、ごく薄く夜に溶ける。


九条の方からは電車の音が、東寺の影が遠く黒い。五条坂の方には屋台の匂いが残って、出町では賀茂川と高野川が合流する音が別の拍を作る。


炎は消えた。けれど、目に残像がある。


勝った想いも、負けた想いも、確かに燃やした。


けれど、燃えきらないものは、次の一手に運ばれていく。


蒼空は歩幅を少し広げ、四拍で息を刻む。


(氷に詩を混ぜる。説明できる驚きで、理を裏切る。鋭く勝つ)


桃子は袖を揺らし、ふと立ち止まって夜空を見上げる。


(静に触れたら、音のない詩で崩す。見せない強さで、見抜く人にだけわかる勝ちを――)


遠く、ビルの窓に青い光がまたたいた。


Engine Labのロゴを胸に歩く影、そしてChess.aicの名前が薄い冷気みたいに通り過ぎる。幻の16人目の輪郭が、ふいに近づいて遠ざかった気がした。


「帰ろっか」


伊織が言う。「明日が本番だ」


「うん」


「はいはーい」


京の夜は、ゆっくり、静かに、更けていく。


そして誰も知らない16人目の炎は、京都ではないどこかでまだ燃え続けている。


その火は、いつか、蒼空の前の盤上に文字を描くだろうか。


――勝負という名の、文字を。

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