EP21 昼下がりの拍
【昼休み――“遅刻の理由”】
会場の天井は高く、冷房の風が白い光に混ざって流れていた。午前の対局がいったん切れ、第二展示場のざわめきは、紙コップのジュースとサンドイッチの匂いにやさしく上書きされる。案内板の前で、人の群れが波のように寄せては返す。
「蒼空くん、一回戦突破おめでとう」
同じくハルカとの一回戦を無難に突破した伊織が、柔らかい笑みと白シャツで近づいてきた。「ところで、颯真やアキラより早く出たと聞いていたんだけど、どうして遅刻しちゃったの?」
「え、えーっと……」蒼空は視線を泳がせ、首の後ろをかく。
桃子は小さく咳払いした。「伊織部長、私たちね、竹田駅から歩いてきたんですが、途中で道を間違えてることに気づいて……ほら、蒼空って携帯もってないじゃないですか」
(えっ! 俺のせい!?)蒼空は心の中で焦りまくる。
「それで急いで引き返そうとしたら、今度は交差点で信号待ちのお婆さんが倒れちゃって……熱中症だと思って、病院まで送っていったんです。そしたら遅くなってしまって……」
(桃子……)蒼空は、黙って彼女の横顔を見る。嘘の中に真っ直ぐな守りが混ざっていて、少しだけ罪悪感が薄まる。
(……交差点で婆さん倒れるタイミング良すぎや)颯真は眉をひそめ、心の中でツッコむ。
しかし伊織は、目を潤ませて握り拳を作った。
「いいことをしたんだね、二人とも。感動した。それは遅れても仕方ないね。――お婆さんは?」
「病院についたら、元気になったみたいで、『ありがとう』って」桃子は、作り物ではない笑顔を見せる。
「うんうん。そういう事情なら仕方ない。勝負の場に遅れるのはダメだけど、助け合いはもっと大事だよね!」
伊織は胸ポケットから小さなメモを出し、「タクシー代は部の予算から出しておくよ」と書き留める。
(これ、ぜったい嘘やな……)颯真は天井を見て長いため息。
「部の予算って、俺の立替やんけ……」
蒼空は頭を下げた。「……ありがとうございます」
(ほんとはさらわれてたんだけどね、と喉元まで出かかった言葉を飲み込む。)
そこへ、アキラが走ってきた。紙束が手の中でパタパタ鳴る。
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【準々決勝の組み合わせ――情報は鎧】
「みんな、準々決勝以降の組み合わせが発表されたよ」アキラは紙を掲げる。
「お待ちかねや。ちょい待ってや、対戦者の情報を見てみるから」
颯真はバッグからラップトップを引っ張り出し、膝の上で起動。キーを叩く指は妙に軽やかだ。画面に並ぶELO、過去戦績、得意戦型。
「まずは桃子。広島代表のヒロキや」
颯真が読む。「ELO 1890。隙のない守備を持つ全国大会常連。駒を絶対に犠牲にしない堅牢な防御。粘りだけやなく、攻めが一段落した後のカウンターの切れ味が鋭い。相手の焦りを利用して逆転が多い」
「はい、頑張りまーす!」桃子は軽く手を挙げ、ウインクした。
「そして蒼空。次はいきなり強豪や。地元京都の――友梨佳」
「お、昨日のミーティングで説明した注目選手のひとり、京都のお嬢様や! ELO 2060。それで特徴は……」
「顔面が“かわいい”でしょ」桃子が被せる。「蒼空、油断は禁物だよ!」
「なんの油断……?」蒼空は耳まで赤くなった。
「見惚れちゃう油断」桃子の視線がジトっと蒼空にからむ
「……しない」
みんなが同時に吹き出した。笑いの小波が、緊張の表面をやさしく崩して戻す。
「最後に、伊織部長の相手なんやけど……」
颯真の顔が曇る……
「サンドラみたいやで……ELO 2400、招待選手。優勝候補#1でAIに一番近いプレイヤー」
「当たってしまったか……でも勝っていけばいつかは当たるし自分は自分のチェスをやるだけだよ」伊織はゆるく笑う。だが目はすでに盤上の影を追っている。
「そして前大会覇者の怜の相手は広島のケイタか、こちらも気になるね」
アキラが準々決勝以降の対戦表を眺めながら言った。
・13:00 A — ヒロキ(ELO1950)vs 桃子(ELO1000)
・13:00 B — 怜(ELO2250)vs ケイタ(ELO2010)
・15:00 C — サンドラ(ELO2400) vs 伊織(ELO2100)
・15:00 D — 友梨佳(ELO2060)vs 蒼空(ELO1000)
・明日の準決勝はそれぞれのブロックの勝者A vs B、C vs Dで行う
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【売店――氷の声と甘いカロリー】
売店前。冷蔵ケースの中、色とりどりのサンドイッチとおにぎりが並んでいる。
「ほら蒼空、糖質もちゃんと。午後も二試合あるんだよ。あたしが選んであげようか?」
「大丈夫……自分で選べる……」
(たぶんツナ。いや、たまご? いや、ツナ&たまご?)
「Are you two dating here?」(あなたたち付き合ってるの?)
冷えた氷みたいな声が、売店のざわめきを縦に裂いた。
振り向く。金髪の少女がミネラルウォーターのペットボトルを持ち、乾いた微笑を浮かべている。立っているだけで、周囲の時間が“彼女の拍”に合わせて遅くなる。
「サンドラ!」
蒼空: “We’re not exactly dating…”(いや、付き合ってるって訳じゃないけど……)
サンドラ: “Actually, Winning because of time trouble is just… pathetic. ♡”(ほんとみっともないわね、タイムトラブルで勝ち残るなんて♡)
桃子は肩をすくめ、ふわりと笑う。
桃子: “But he won. The result is what matters. And Sora didn’t do it because he wanted a time trouble.”(でも蒼空は勝ったんだよ。結果が全てでしょ?そして蒼空は好きでタイムトラブルやってたんじゃないんだよ!)
サンドラ: “Oh? Then why, pray tell?”(ふうん、じゃあどうしてだって言うの?)
桃子(目を泳がせ、ほんのワンテンポ置いて): “W-we were… helping an old lady who collapsed at a crosswalk.”(ち、ちょっと交差点で倒れたお婆さんを助けていたんだよっ)
(言い切った自分に内心で赤面。勢いって大事)
サンドラは小さく息を笑いに混ぜる。
サンドラ: “How quaint. Anyway, my next game is against Iori, who also goes to your school, right? I’ll show you what a difference in class looks like. Try to keep up. ♡”(ふふ、古風な言い訳ね。そうだ私の次の試合、あなたの学校の伊織との対戦ね。これから私が”格の違い”ってやつを見せてあげるわ。ついてこれるか楽しみね♡)
彼女は空いたペットボトルをゴミ箱に投げ入れ、音もなく去った。
残った空気だけが、氷の香りをわずかに掴んでいる。
蒼空の心臓が、一瞬拍を狂わされる。
「……サンドラの拍、本物……強い」
桃子は何事もなかったみたいに振り返り、蒼空の腕にそっと指先を触れさせる。
「ねえ。私たちって付き合ってるように見えるのかな? ……いっそのこと付き合っちゃう?」
(ドキッ)「え……午後も試合だし、お願いだから試合に集中させて……」
「冗談。――今はね」
桃子は悪戯っぽく笑ってツナ&たまごをトレーに乗せた。「はい、糖質コンボ」
(読まれた……!)蒼空は耳まで火照ったままサンドイッチを齧る。冷房の風が首筋を撫で、落ち着いた糖のやさしさが胃の底に沈む。
(四拍。戻れる形。午後は――友梨佳)
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【それぞれの午後――友梨佳の美、サンドラの刃】
テーブル席に戻ると、颯真がまだノートPCを叩いていた。
「友梨佳の盤上の好みはな、整った形や。美的やけど、合理の裏打ちがある。対称・調和・省略。――どっちか言うたら、お前とは真逆や」
「真逆……?」
「お前は拍と呼吸で盤を曲げる。向こうは美で盤を整える。21秒でいくとかどうかは相手の拍次第やけど、“説明できる驚き”を一本、どっかで置いとけ。――形が美しいまま、最後にドカン、とか」
「……なるほど」蒼空は頷く。
(美を壊さない“遅効性ショック”を目指す)
伊織がペットボトルを差し出す。「水分。塩も忘れずに」
アキラは小袋のタブレットを置く。「Na補給。1.5Lは飲め」
「了解」
(盤外は整っている。盤上は、俺が整える)
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「Round 2 players, please proceed to your boards.」(二回戦の出場者は席についてください)
英語のアナウンスが流れる。人波が立ち上がり、椅子が一斉にきしむ。
「行ってくる」
蒼空はサンドイッチの包み紙をたたみ、ゴミ箱に投げ入れた。百発百中の音。
桃子が手を上げる。
「行ってらっしゃい。低空飛行、忘れずに」
「了解」
(戻れる形――中央、四拍、自分の声)
掲示板の前、桃子 vs ヒロキ、怜 vs ヒロキ、サンドラ vs 伊織そして蒼空 vs 友梨佳。
それぞれの名前が、それぞれの呼吸で光って見えた。
売店の角、金髪の影が横目でこちらをかすめる。サンドラは別のペットボトルを新しく手にし、無表情で言った。
サンドラ: “Try not to trip over your own heartbeat, Sora.”(ここで自ら躓かないように気を付けてね、蒼空)
蒼空は立ち止まらない。
“You too. Iori-senpai is strong”(あなたもね、伊織先輩は強いよ)
英語の返しは短いけど、四拍の間合いで放たれた。
サンドラの唇の端が、少しだけ針のように上がる。
静かな駒音が、再び会場に満ち始めた。
ここからは、盤上の午後。
そして、優勝に向けた一手へ。




