EP19 タイムトラブル(Time Trouble)
【9:40】
タクシーが会場のロータリーに滑り込み、ブレーキの音が夏の熱気を裂いた。
京都駅近くのビルからぶっ飛ばしてきた二人は、ほぼ飛び降りるようにして地面を蹴る。
「蒼空、今9時40分。受付は済ませてある。俺についてこい!」
アキラが短く告げて、走る。
「颯真先輩、タクシー代払っておいて!」
「なんで俺が!」
「先輩は賭けに負けたんで、私の奴隷でしょ♡(※EP05参照)」
「ぐっ……!」
礼を叫んで運転手に手を振り、蒼空と桃子はアキラの背を追った。
階段を駆け上がる。二階――第二展示場。立て看板に「全日本高校チェス選手権」の文字。
アキラが会場を一望し、指さした。
「蒼空、あそこがお前の盤だ。今9:43!」
「蒼空、大丈夫。間に合うよ。落ち着いて!」
「――行く!」
椅子に滑り込み、すでに盤上に置かれた白の1手目 e4を見た。対面の高校生は腕を組み、余裕の笑みを浮かべている。
「お願いします」蒼空は礼をして座った。
対局時計、自分側は 01:00。――遅刻ペナルティで残り時間は60秒のみ。
不戦敗の秒読みがこちらに向かって歩いてくるみたいだ。
蒼空は目を閉じた。
机の端に置いた指先で、拍を取る。四拍で吸い、四拍で止め、四拍で吐き、四拍で止める。
(低空飛行――落とすな。戻れる形に帰れ)
桃子(内心):(……どうしたの、蒼空?)
颯真「おいおい、あと30秒やぞ! アイツ目ぇつぶって時計も見てないやん!」
アキラ「まずい……1秒だって無駄にできないはずのに、マジでまずい……!」
対面の白――コウタは、眉一つ動かさずこちらを見る。
コウタ(内心):(なぜ指さない? なぜ“拍”を数えてる?)
観客のひそひそ声が胸に刺さる。
「6、5、4、3――」
蒼空は目を開いた。c6。
指は滑らかに黒のポーンを押し出し、カチとクロックを叩く。
残り00:01。
(間に合った)
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☆☆開幕:21のリズム☆☆
> ★1手目:コウタ 45:30 ― 蒼空 00:01 (1. e4 c6)
インクリメント+30秒――蒼空の時計が00:31に跳ね上がる。
コウタ(舌打ち):(遅刻で不戦勝だと思ったのに……カロ・カン(Caro-Kann Defense)? 意外に冷静だな)
颯真「45分+30秒/手ルールや。蒼空は毎手30秒の中で指さなあかん。一手でも溢れたら即死やぞ!」
桃子「大丈夫。蒼空はなんとかする」
> ★2手目:コウタ 45:57 ― 蒼空 00:31 (2. Nf3 d5)
白は蒼空のタイムトラブルを楽しむかのように、わざとゆっくり考え、Nf3。
蒼空はコウタの目だけを見据え、残り10秒の表示でd5。
> ★3手目:コウタ 42:22 ― 蒼空 00:40 (3. exd5 cxd5)
> ★4手目:コウタ 41:20 ― 蒼空 00:49 (4. Bb5+ Nc6)
> ★5手目:コウタ 41:00 ― 蒼空 00:58 (5. Nc3 a6)
コウタの背に汗がじわり広がる。
(……こいつ時計を見ない? ずっと俺を見て指してる……何のつもりだ)
アキラ(低声):「蒼空の時間、だんだんと増えてる――いや、増やしてる」
> ★6手目:コウタ 38:45 ― 蒼空 01:07 (6. Bxc6+ bxc6)
> ★7手目:コウタ 34:32 ― 蒼空 01:16 (7. Nd4 Bb7)
> ★8手目:コウタ 32:02 ― 蒼空 01:25 (8. O-O e6)
蒼空残時間:01:07 → 01:16 → 01:25(毎手21秒消費−30秒加算=+9秒)
コウタ:(こいつの残り時間、いつも9秒ずつ増えてる……? 毎回“21秒”で指してる? バカな――)
観客「え、毎手21秒ぴったり? 遊んでるのか?」
> ★9手目:コウタ 28:20 ― 蒼空 01:34 (9. Qf3 Nf6)
> ★10手目:コウタ 26:29 ― 蒼空 01:43 (10. d3 Qe7)
デジタル時計の分と秒の間にあるコロンが点滅するたびにコウタの鼓動が乱れる。
(余計なことを考えるな。集中しろ。次は――)
> ★11手目:コウタ 25:09 ― 蒼空 01:52 (11. Bg5 O-O-O)
(大丈夫、この筋なら勝てる――)
盤の横には黒白の評価バーが立っていた。これはAIが「どちらがどれだけ有利か」を示す形勢の温度計だ。たとえば「+1.0」だと白が小さく優勢、「−3.0」は黒の圧勝に近い。
この時点で評価値 は+0.7(白が優勢)、それは数値で見える呼吸でしかない。蒼空は――AIのバーよりも、相手の呼吸の拍で形勢を感じ取っていた。
> ★12手目:コウタ 22:39 ― 蒼空 02:01 (12. b3 h6)
> ★13手目:コウタ 17:19 ― 蒼空 02:10 (13. Bxf6 gxf6)
コウタ(額に汗):(また21秒。なぜ時計を見ずに俺を見続ける!?)
桃子(内心)(盤上だけじゃない。呼吸、瞬き、肩のわずかな上下。tempo empathyは相手の拍を“盗む”技術……相手の拍に合わせて、時間の重心をずらしてる)
> ★14手目:コウタ 11:17 ― 蒼空 02:19 (14. a4 Qb4)
コウタ(ハッ):(気づけば俺の残り時間がない! 何を指せば――)
> ★15手目:コウタ 07:16 ― 蒼空 02:28 (15. Qxf6 Rg8)
コウタ(心の悲鳴):(やめろ……その21秒……!)
> ★16手目:コウタ 01:52 ― 蒼空 02:37 (16. Nde2 Bg7)
コウタ(青ざめる):(時間が逆転した。今度は俺がタイムトラブル……!)
> ★17手目:コウタ 00:54 ― 蒼空 02:46 (17. Qxf7 Qh4)
> ★18手目:コウタ 00:04 ― 蒼空 02:55 (18. Qxe6+ Kc7)
コウタ(手が震える):(30秒以内に指さないと負けだ……!)
> ★19手目:コウタ 00:06 ― 蒼空 03:04 (19. Rae1 Qg5)
コウタ(視界が揺らぐ):(怖い……俺は今、誰と指している――人間か、時間か……?)
> ★20手目:コウタ 00:07 ― 蒼空 03:13 (20. f4 Bd4+)
コウタ(思考が途切れる):(早く、早く――!)
ここまでの時点では評価値は+2.6(白が圧倒的に優勢)だった。
しかしコウタがクイーンを追い払うためにf4にポーンを進めた瞬間、f4で白王の斜線が緩み、黒ビショップの“王筋チェック”uが通ってしまった。評価値が-99.9(詰みの領域)に変わり評価バーが黒一色に染まる。
観客「え!何が起こったの?」
蒼空はAIの計算した評価値ではなく、拍で形勢の逆転を感じとっていた。
そしてビショップBd4+でチェック
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☆☆収束:21手、21秒☆☆
> ★21手目:コウタ 00:10 ― 蒼空 03:22 (21. Nxd4 Qxg2#)
チェックのビショップは白ナイトで排除されるが、今度は黒のクイーンがg2に滑った。
駒音は、やけにやさしく響いた。
コウタ(茫然):(……チェックメイト? ……負けた……)
その胸に湧いたのは、敗北の苦さよりも――奇妙な安堵だった。
(終わった……この脈拍から解放される……)
蒼空は静かに礼。
「ありがとうございました」
「……」コウタは頷き、視線を逸らした。(二度とやりたくない――けど、忘れられない)
客席のどよめきが重なって波になる。
「え、いつのまにかタイムトラブルは白だったの?」
「21秒で21手って……何それ、呪い?」
「いや、戦術だよ――相手の時間を奪う戦い方」
颯真は頭をかきむしった。
「やりやがった……! 時間ごと詰ませよった!」
アキラは小さく笑い、腕を組む。
「説明できる驚き、だ」
クロックの数字が静かに止まる。
21手で――21秒のリズムが、最後の数字に収束した。
盤上に描かれた螺旋が、ここできゅっと閉じる。
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☆☆終局後:呼吸の位置☆☆
<PGN>1. e4 c6 2. Nf3 d5 3. exd5 cxd5 4. Bb5+ Nc6 5. Nc3 a6 6. Bxc6+ bxc6 7. Nd4 Bb7 8. O-O e6 9. Qf3 Nf6 10. d3 Qe7 11. Bg5 O-O-O 12. b3 h6 13. Bxf6 gxf6 14. a4 Qb4 15. Qxf6 Rg8 16. Nde2 Bg7 17. Qxf7 Qh4 18. Qxe6+ Kc7 19. Rae1 Qg5 20. f4 Bd4+ 21. Nxd4 Qxg2#</PGN>
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棋譜を確認していた蒼空に、桃子が駆け寄る。
「やっぱり21手だったのね」
蒼空は汗を拭き、短く笑う。
「ここで息が合った。だから――終わる気がしてた」
桃子は彼の胸元を指で突く。
「いい?次は終わらせない。延ばす。見せる。奪うだけじゃなくて、与える試合。――準々までは“定石美”、準決は“鋭さ”、決勝は“息を呑ませる”。師匠のカリキュラム通り」
「了解」蒼空は深くうなずく。
四拍で吸い、四拍で止め、四拍で吐く。
息はもう、盤上の中央に置いてきた。
アキラがスコアシートを受け取り、黙って親指を立てる。
颯真は肩をドンと叩いた。
「次も21秒で行くんか?」
「さあ。相手の呼吸が変わったら、拍も変える」
「ほな、お前の拍を奪わせへん相手の時は?」
蒼空は笑う。「その時は――歌うよ」
「は?」
「音にする。説明できる驚きのテンポで」
桃子が吹き出す。
「なんだそれ詩人か!じゃ次は、詩人の王手、期待してる」
アナウンスが響く。「2回戦の組み合わせを掲示しました」
会場がまた波打つ。駒の音が増え、足音が重なる。
蒼空は立ち上がる。
(やめないなら――優勝しろ)
エレナの声が、遠いラウンジの氷みたいに胸で鳴る。
時間は敵でもある。でも、今日だけは――味方だった。
「行こう」
「うん」
蒼空は桃子と並んで掲示板へ向かった。
四拍、四拍。
戻れる形は、もう身体に刻まれている。
こうして蒼空は――2回戦へ進出した。
盤の上の次の螺旋が、静かに開き始めていた。
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【サンドラの登場】
一方、別の盤の周りでは大きな人だかりができていた。
A-01、アレクサンドラの盤。
ELO2400の東欧から来た優勝候補。関係者、報道、そしてギャラリーが彼女の初戦を観戦するため集まっていた。
(続く)
<PGN>1. e4 c6 2. Nf3 d5 3. exd5 cxd5 4. Bb5+ Nc6 5. Nc3 a6 6. Bxc6+ bxc6 7. Nd4 Bb7 8. O-O e6 9. Qf3 Nf6 10. d3 Qe7 11. Bg5 O-O-O 12. b3 h6 13. Bxf6 gxf6 14. a4 Qb4 15. Qxf6 Rg8 16. Nde2 Bg7 17. Qxf7 Qh4 18. Qxe6+ Kc7 19. Rae1 Qg5 20. f4 Bd4+ 21. Nxd4 Qxg2#</PGN>
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