EP18 System Combat 56
【開場、欠けた二枚の駒】
京都パルスプラザの前に、陽炎のような熱がたちのぼる。
入口に掲げられた横断幕「全国高校チェス選手権」の文字が白く眩しい。会場の空気は早くも大会特有の緊張で張りつめ、地方紙のカメラがシャッターを刻んでいる。
「……二人、来ないな」
伊織が腕時計をちらと見た。8:45。
「あいつら、どこほっつき歩いとるんや」颯真が眉をひそめる。「よりによって今日やで」
アキラは無言でスマホに連打する。既読が増えない。
「9:00から一回戦開始だ。持ち時間の45分が過ぎると自動的に蒼空は不戦敗だけど、受付だけでも済ませよう。トイレにでも行っていることにしてぎりぎりまで待つ」伊織はそう決めて、代表者受付の列に入った。
会場へ吸い込まれていく人波の中、彼らの隊列だけが穴のように空いて見えた。
(二枚欠けたままでは、布陣すら組めない――早く来てくれ。蒼空、桃子)
――その頃。
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【黒い車、逆走する夏】
黒塗りのセダンは、京都パルスプラザとは反対方向、京都駅へ続く幹線を滑っていく。
窓の外を白い陽光が水平に流れ、蝉の声は密閉された空間の外に置き去りにされていた。
前席の二人が低く話す。
男A「蒼空って子だけを連れてこいって命令だったよな」
男B「この女の子、ずっと離れないからしかたなかった。すぐ警察に駆け込まれても面倒だし……ボスに決めてもらおう」
後部座席の中央で、桃子は静かに呼吸を整えていた。指先は膝の上。視線は落として、鏡面のドアハンドルに自分の瞳だけを映す。
(――騒がない。動く時は、一度だけ)
隣で蒼空は、こめかみの鼓動が耳にまで届くのを感じていた。
(……落ち着け。戻れる形。息を、四拍へ……)
しかし肺は冷え、拍がすぐ崩れる。握った拳に汗が滲む。
車は駅近くの雑居ビルの地下駐車場に入り、影の温度が一段下がった。
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【“事務所”という盤面】
エレベーターが開く。そこは無機質なオフィスフロア――だが壁にはモデルガンが幾丁も飾られ、異様な艶を帯びている。
“UZI / MP5 / AR-15”――プレートが小さく光る。
男Aが肩越しにぼそり。
「俺、ここの事務所初めてなんだけど、これ本物じゃないよな?」
男B「ボスは収集癖があってな。模造銃だ。インテリアだよ。威圧用の」
(威圧用、ね)桃子は目線だけで数を数える。バット代わりになる重量は?可動箇所は? ――頭の片隅で、師匠の声が響く。出口。証人。注目。
(ここで“注目”はいらない。出口だけ)
奥のガラスドアが開き、外国人が現れた。淡い色の瞳、よく通る声。
「よく連れてきた。」
男たちに顎をしゃくってから、蒼空を一瞥する。
「本社指定の“サンプル”。間違いないな。それで――その娘は?」
男A「“サンプル”と一緒にいて、抵抗したので連れてきました」
外国人――日本支部責任者を名乗るその男の目が、桃子の顔で止まった。
虹彩の奥で、警告灯が灯る。
「お前……Monikaじゃないか」
声の色が変わった。「なぜこんな有名人を連れてきた?」
男Aと男Bの肩が同時に跳ねる。
桃子は、淡く笑った。
「ふふ。Monikaを知ってる人が、こんな所にいるとはね」
蒼空が一歩、前へ出る。
「桃子を巻き込むな!」
男Bが反射で腕を伸ばす。その瞬間、蒼空の視界が白く切り替わる。肘、重心、肩――飛びかかる。
(今、俺が囮になる。桃子、出口――)
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【三手詰めの乱戦】
「やめ――」責任者が言い切る前に、音が変わった。
桃子の足が床を滑り、男Aの金的へ一閃。
「っぎゃ――!」
男Aが折れた。空気が揺らぎ、視界が開く。
蒼空に組みつこうとした男Bへ――桃子は背中から体当たりし、階段のパイプ手すりへ腕を回す。
その場のにある物を利用した関節技、金属の冷たさが掌へ移る。絡める/縛る/流す。
「ごめんね、先に落ちてくれる?」
次の瞬間、頸動脈に圧がかかり、男Bの瞳が泳いだ。膝から力が抜ける。
(窒息――“息の道”を塞いだら、人は盤面・意識から手を離す)
蒼空は振り返った。
(桃子……。強い。俺は――)
胸の奥の震えが、別の熱に置き換わっていく。
「二人とも、やめろ!」
責任者が叫び、机の引き出しからナイフを引き抜いた。鈍い銀色が照明を弾く。
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【刃の距離、武器の距離】
責任者は間合いが上手かった。半歩ずつ、刺突のリズムで入ってくる。
桃子はギリギリで避けるが、ナイフは頬をかすめ、袖の布が裂ける。白い肌に浅い線。血の匂いがほんのり立つ。
(正面は悪手。角度をずらす)
後ろ足に体重を乗せて回り込む――その時、壁のモデルガンが目に入った。黒い、角ばった、短い銃身。UZIサブマシンガン。
桃子は、にやりと笑う。
「あ、良いものがあるじゃないの」
「は?」責任者が嘲る。「そんなおもちゃでどうする気だ」
桃子は壁からUZIのモデルガンを引き抜いた。ずしりと手に伝わるバランス。
握りを軽く、脇を締め、手首を柔らかく――銃で殴るための持ち方。
「こうするのよ♡」
――カンッ。
銃身の角でナイフの手首を叩く。次に、グリップ尻で肘を払う。足さばきは円、腕の軌跡は弧。
回転をかけながら、銃身をトンファーのように殴打/突き/絡め、刃を外へ追い出す。
壁面にナイフの音が跳ねた。責任者の手から刃が離れる。
「その銃器の捌き方……まさかCombat 56!? なんでこんな小娘が……」
桃子は片目をつむって、軽く肩をすくめる。
「よくご存知ね♡ System Combat 56っていう格闘術。ポーランドで近所の“おじさん”に叩き込まれたの。銃器って撃つだけが使い道じゃないのよ」
蒼空「近所のおじさん……?」
(※System Combat 56:ポーランド軍第56特殊中隊のArkadiusz Kups少佐が創始。銃器を殴打/突き/テコの“多目的武器”として扱う実戦技法)
責任者が下がる。
桃子は一歩も追わない。間合いを保ち、盤面を俯瞰する。
(詰めは急がない。逃げ道を一つずつ塞ぐ)
壁際に追い詰められた相手の肩がわずかに触れた瞬間――
桃子は銃身を喉元へ滑らせ、テコの原理で気道を狙って潰す。
責任者の目が見開き、空気が擦れる音がした。
三拍で意識が遠のく。四拍目で膝が折れ、失神。
「――終局」
桃子は軽く息を吐き、UZIを肩に担いだ。
床には、男Aが悶絶しながら丸くなり、男Bが静かに眠っている。責任者は壁にもたれ、目を閉じたまま規則的に胸が上下している。
部屋の時計は、9:21を指していた。
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【退却は“勝ち”の一部】
「はい、これで――Szach-mat」
桃子はウィンクしながらピースサイン。
「……チェックメイト、だよ。ポーランド語でね」
蒼空は一瞬、呆け、それから小さく笑った。
(うん、桃子には今後なるべく逆らわない)
「行くよ、蒼空」
桃子は壁の非常ベルを見て、押さないと決める。注目は今はいらない。
代わりに、倒れた男Bのスマホを拾ってSIMを抜き、男Aの胸ポケットから社員カードをつまみ出す。
「出口」
短く言って扉を開け、廊下の角を二つ折れる。非常階段、非常口、地下駐車場――三つの離脱線を重ねておく。
エレベーターは使わない。
階段を駆け降りながら、蒼空が息を整える。
「大丈夫……四拍で……吸って吐く……」
「上出来」桃子は振り返らずに親指を立てた。
駐車場の出口でタクシーを捕まえる。
後部座席に滑り込むと同時に、蒼空が身を乗り出す。
「運転手さん、京都パルスプラザまで! 急いでください!」
運転手はバックミラー越しに必死な形相の二人を見て、短くうなずいた。
「つかまっててや。最短でいく」
車が地上へ躍り出る。夏の白光が、今度は前方から差し込む。
赤信号が青へ変わるタイミングを拾い、細い路地へスライド。
後ろでエンジン音がひとつ、こちらを追いかけるように高鳴った――が、すぐに遠ざかった。
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【車内の呼吸、盤外の宣言】
「間に合う?」蒼空が問う。
「間に合わせる」桃子が即答する。「師匠に言われたでしょ。やめないなら――優勝しろ。そのための“盤外”は、私がぜんぶ整える」
蒼空は窓の外を見た。京都の街が一定の速度で後方に流れていく。
胸の奥で、さっきの黒い部屋の冷気がまだ残っている。けれどその上に、別の温度が重なった。
(説明できる驚きで勝つ。準々は定石美、準決は鋭さ、決勝は――息を呑ませる)
「……桃子」
「なに?」
「ありがとう」
その一語で、車内が少しだけ広くなった。
桃子は窓の外、遠くに見える白い屋根に視線を投げる。
「礼は優勝してからでいいよ」
車が大通りへ戻る。遠くに、京都パルスプラザの横断幕が見えた。
時計は、9:36。
「残り9分」
アキラからのメッセージがそのとき入る。
> 9:45までに盤の前に座らなければ不戦敗。走れ。
> 行ける?
「行く!」
二人は同時に答えた。
タクシーが会場前に横付けする。
ドアが開く音が合図になって、二人は夏の光へ飛び出した。
――盤外の戦いは、いったん終わった。
ここからは、盤上だ。
呼吸は四拍。
そして、目標はただひとつ、やめないなら、戦うなら――圧倒的勝利




