表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/22

EP12 期末テストと七月のチョコレート

席替えの紙が黒板に貼られた瞬間、教室がざわっと波立った。


七月の陽射しは窓のブラインドの隙間から斜めに差し込み、チョークの粉を金色に浮かせる。


「え——っと……」と指で自分の名前を追っていくと、桃子の視線が止まった場所に、もうひとつ見慣れた文字列が並んでいた。


蒼空 / 桃子


「よし、となりだ!」


桃子は迷いゼロでイスを引き、コロコロと足元のキャスターを鳴らして腰を下ろす。そしてガンッと机と机をくっつけて、教科書一冊ぶんくらいの距離が、秒でゼロになった。


「ねぇ蒼空、期末テストって勉強してる?」


「うーん、家に帰った後に軽く授業の復習をするくらい」


「“軽く”って言うわりに、いつも成績いいじゃない。数学おしえてくんない? あたし苦手なんだー」


唐突にくるド直球。蒼空は一瞬、口の中の言葉を順番待ちさせてしまう。


「べ、別にいいけど……」


「じゃあ、全国大会まで間があるし、今日の放課後は図書室で勉強ね♡」


小さなハートの絵文字が実体化して机の上に落ちた気がした。蒼空はうなずくしかない。


(今日は4拍子、しかもテンポ速い……)


教室の空調がブーンと一定の低音を刻む。拍で数えると1、2、3、4。桃子の声は二拍目で跳ねる、明るい音。


鐘が鳴る。授業が終わる。昼休み、午後の授業、放課後。時刻は滑るように進んで、二人は図書室へ向かった。


===================

学校の図書室は、冷房が効きすぎでもなく弱すぎでもない場所だ。


入口の消毒用アルコールの匂いを通り過ぎると、紙と糊と静けさの香り。


「四人掛け空いてる」と桃子が指差した席に座る。彼女はためらいなく蒼空の隣へ。向かいじゃない、隣だ。(先手の白に攻められている?)心臓が四拍のテンポから、また少しだけアゴーギク(テンポ上昇)する。


「え、えーと」


「はい、これが数学の教科書とノート。あ、シャーペン貸して」


「持ってないの?——」


「失くした」


だけど蒼空には桃子の筆箱には何本かのシャーペンが入っているのが見えていた。


(ヤバ……距離、めっちゃ近い……)


ノートを覗き込む肩と肩が触れるか触れないかの角度に、空調の風がひんやりと入り込む。髪からほのかにミントっぽい香りがする。拍が狂う。1、2、3、4、5。戻せ。


「ねえ、そういえばさぁ、日本って女子が男子にチョコあげる慣習があるんでしょ?」


「……2月の行事だよ、それ。今は7月……」


「えっ(汗)?き、季節なんてどうだっていいじゃない?チョコはチョコ。はい、これあんたに♡」


桃子はごそごそと鞄からリボンのついた板チョコを取り出し、蒼空に渡した。青い箱に金の箔押し、やや高級そう。


「(どゆこと……受け取っていいの?)……あ、ありがとう……?」


「(桃子、内心ドキドキ)ただの義理チョコだからね! べ、別に深い意味ないから!」


頬に色が差す。視線が左右に泳いで、彼女はポーランド語で小さく付け足した。


「……Głuptas」


(もうGłuptasは覚えた。でもどういう意味の“バカ”?)


蒼空はチョコの箱をカバンにそっと滑り込ませる。四拍で心を落ち着かせ、ノートを開いた。しかし自分でも何で緊張してたのかわからなかった。


「で、数学。どこを教える?」


「最初から」


「全部?」


「ぜんぶ」


「……りょ。」


蒼空はノートの端に数直線を引き、関数の基本から始めた。


「この式は二次関数、グラフは放物線。xの係数が負だから、頂点は右にずれる——」


「待って待って、頂点ってチェスでいう“キングの位置”みたいな?」


「チェスならxが時間でキングが右の安全地帯に逃げてるって考えるのはアリ」


「じゃ、この辺の“頂点”にキャッスリングみたいに寄せるわけね」


「数学では城は寄せない」


二人とも小さく笑った。図書室の司書さんが一瞬だけこっちを見て、しかし何も言わず、スタンプをパタンと落とす音だけが遠くでする。


「じゃ、問題やってみて」


桃子はペンを握る。けれど、手が空中で迷っている。


蒼空はそっと手を伸ばして、ノートの端に矢印を書いた。


「ここ。ここから置き換えしていく」


「……ふむふむ」


ペン先が紙を走り、少し止まり、また進む。桃子が時々、唇を尖らせる。


「うーん……頭が甘い匂いになってきた」


「それ、チョコの匂いかな?」


「そうかも。ひと欠片、開ける?」


「図書室で開けるのはやめとこう。飲食禁止」


二人の視線がふっと合って、何でもない会話が少しだけ危険に感じられる。蒼空は視線をノートへ戻した。拍は保たれている。1、2、3、4。


しばらく問題を解き、正解が続くと、桃子の目がちょっとだけ猫っぽく細くなる。


「できた。やるじゃん、私」


「うん、先生が優秀」


「チェスでの先生はあたし、でも今日は——私が生徒?」


「うん、(かわいい)。生徒」


蒼空がボソッと言ったセリフに桃子の頬が赤くなる。


「次、ここ。三角関数」


「結構出題範囲広いのね」


桃子は、真剣にペン先を構え直す。


時計の針が動く。午後四時を回る頃、図書室の外の廊下から部活の掛け声がかすかに届き始めた。


桃子がふいにペンを止め、横顔で囁く。


「ねえ、期末テストが終わったらなんだけど……週末にさ、買い物付き合ってくれない?原宿とか。あたしあまり詳しくなくてさ……」


蒼空はペンを空中で止める。原宿。


「……俺が詳しいと思う? 原宿……」


「ほ、ほら、チョコもらった男子は女子にお返しする慣習もあるんでしょ、日本って」


「……それは3月のイベント」


「Zamknij się(いいから)、ポーランドじゃ7月なんだよ(大嘘)!」


声が跳ねて、慌てて自分で口を押さえる。司書さんがこちらをちらり。桃子は小さく謝り、また蒼空に向き直る。


「付き合うの?付き合わないの?どっち!?」


彼女の目は冗談の光と本気の影のちょうど真ん中で揺れている。


蒼空の胸で、四拍が一拍だけ長く伸びた。


1、2、3、4。1。


(ここでずらさない。テンポは、ちゃんと合わせる)


「……付き合う」


言葉が空気に落ちる。


一拍遅れて、桃子の口角が上がり、ポーランド語がこぼれた。


「Głuptasバカね。素直にそう言えばいいのよ!じゃあ……期末が終わった土曜日。原宿駅の竹下口に13:11だよ」


「なぜ11分?」


「……ふふん、あんた流に言えば”拍があうから”にきまってるでしょ♡じゃ、あたしはちょっと前に着いて、食べ歩き下見してる。千駄ヶ谷の方から歩いてきてもいいし」


(……拍、それだとちょっとずれてる気がする……)「食べ歩きの下見?」


「勝ち筋は序盤で決めるのよ」


「それってチェスの格言?」


「エレナ師匠の口癖」


桃子は机の下で足をぶらぶらさせ、急に真面目顔で付け足した。


「そうだ!あんたちゃんと携帯持ってきてよね、スマホもってない人との待ち合わせは恐怖だから!」


「……わかった」


「そして遅刻したら、罰金だよ」


「罰金?」


「スイパラでおごってもらうから!」


「その罰、甘くない?」


「どうして?甘いほうがいいでしょ」


目が笑っている。蒼空も笑った。胸の四拍がぴたりと会う。


図書室のスピーカーから閉館五分前のアナウンスが流れる。司書さんからも「帰りの準備を—」の声


二人はノートを閉じ、ペンをしまい、立ち上がる。


外はまだ明るくて、蝉が勢いよく鳴いていた。


廊下を歩く間、何も言わず、でも同じ歩幅で、同じ拍で。


階段の踊り場で、桃子が立ち止まる。


「ねえ——全国、勝とうね」


「うん」


「その前に、原宿」


「うん」


「チョコは溶ける前に食べてね」


「柔らかいチョコは好き。日本も7月のイベントにするべき」


「Głuptas♡」


三回目のGłuptasは、やさしい響きだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ