第5話 君はすぐに顔に出る【1日目】
私たちは報告のために校長室に来た。
校長室の入口から窓の方を見ると、落ち着いた色合いのソファーが三台、テーブルを囲むように配置されている。セドリックとレティシア校長は、それぞれ向かい合って座った。私は少し離れた場所に立っていたが、レティシア校長に促され、ソファーに腰を下ろすことにした。
レティシア校長は、まさに眉目秀麗という言葉が似合う端正な顔立ちの持ち主だ。四十代とは思えないほどの、きめ細かい肌をしていて、ベージュブラウンのコンパクトなショートヘアから、翠眼の瞳がきらりと輝く。常に知的で落ち着いた身のこなしをしていて、卓越した魔法操作と優れた政治力を併せ持つ。魔法学校を牽引する重責を果たす一方、プライベートは謎めいている。それもまた彼女の持ち合わせる魅力のひとつだった。
私の生まれ育った養家がある街から、この学校までは五日ほどかかる。養父母が通っていた教会に魔法学校の職員募集の話があり、街に滞在していたレティシア校長と面談した。そして、その翌年から魔法職員として雇われることになった。その面談での会話は、図書室があること以外、ほとんど覚えていない。でも、レティシア校長の優しい微笑みは今でも覚えている。
セドリックは、入室管理簿には欠陥があること、そして試作機はまだ保管庫にある可能性が高いこと、この二点だけを簡潔にレティシア校長へ報告した。それを聞いた彼女が保管庫内の捜索を手配しようと椅子から立ち上がると、セドリックはそれを手で制した。
「保管庫は、一時的に搬出を禁止するだけにしてほしい。捜索は明日、僕とリアラ君、それと警備員のロレンゾ君だったかな。その三人だけで行う」
「理由をお聞かせ願えますか?」
「証拠隠滅のリスクを避けたい。この件は内部の犯行で間違いない。捜索する者の中には、犯人、または犯人と繋がりのある者が含まれる可能性がある。それだけは避けなければならない」
セドリックは、きっぱりと言い放った。
確かに、不特定多数で保管庫を捜索すれば、その中に犯人が含まれる危険性や、調査が不完全な可能性、最悪の場合には証拠隠滅が図られる危険性がある。慎重に少人数で捜査したほうがいいのはわかる。でも、あの広い保管庫の中をたった三人で探すとなると、何時間もかかってしまう。面倒というよりも大変だから、もう少しだけでも人数を増やしてほしいと思った。
レティシア校長は驚く様子もなく、彼の言葉に耳を傾けていた。セドリックが最後まで話した後、彼女は不思議そうに尋ねた。
「どうしてロレンゾなのですか?」
私も不思議だった。あれほどまでに怒らせたのだから、捜索中に揉めそうな気がする。しかし、セドリックは即答した。
「彼は信用に足る人物だ。僕は、彼のことを試した。リアラ君はそれを見ていたからわかると思うが、あれほどまで仕事に誇りと情熱を持つ者は、そうはいないだろう」
セドリックは、ロレンゾに紙幣を渡そうとして手酷く怒られた。誰かに見られて取り繕っているという感じではなく、心底怒っていることは確かだった。セドリックはそれを高く評価していたらしい。それが彼の価値観なのだろう。揉めなければいいけど。
「委細承知しました。取り急ぎ、指示を出してきます。少々お待ちください」
レティシア校長は足早に部屋から出ていった。
部屋に残されたセドリックは、私の顔を見て、軽く笑った。
「意外そうな顔をしているな」
「そう見えますか?」
「君はすぐに顔に出る」
顔立ちは整っているのに、この男の顔はどうしても腹が立つ。私は顔を背けた。
セドリックは、どうにも私をからかって楽しんでいるようにみえる。そして、私が怒った顔をすると、さらに喜んでいるようだから余計にたちが悪い。不機嫌な顔はできる限り見せないようにしよう。
それからしばらく二人は黙っていた。
静かな校長室にいると、心が安らいでくる。壁にかかった時計の針の動く音だけが、小さく響いていて、余計な装飾はほとんどなく、窓際には花が飾られている。ただ飾っているというよりも、育てられているかのようにも見える。机の上には書類の束が整然と積まれていて、その周りの壁には、初代校長の肖像画と、美しい形のいくつかの魔法陣が飾られていた。静かで落ち着いたこの部屋は、校長の穏やかな人柄を映し出しているかのようだ。
しばらくして、つぶやくような、落ち込んだような声がした。
「入室管理簿については、もう少し慎重に伝えたほうがよかったか……」
私はセドリックを見た。ついさっきまで私のことをからかって喜んでいた、鼻を垂らした少年ではなく、彼は真剣に考えているようだった。
私には、その言葉の意味がよく分からなかった。
「どういうことですか?」
「制度の不備というのは、犯人探しをして終わりなどという単純な話ではない。同じことが起きないように直していくしかないだろう。肝要なのは繰り返さないことだ」
セドリックの話の着地点が見えてこない。
「だから、警備員が責められることがあってはならない。彼らの職務は、保管庫のドアと鍵を守ることだったはずだ。物品の管理をしていないのは、怠ったのではなく、そもそも職務ではなかっただけのことだ」
そんなことは、仕事をしていればよくあることだと思った。
つい最近も、校庭のベンチが壊れたので見に来てくれと頼まれて、壊れ具合を調べに行った。すると、壊れそうになったらすぐに直さないからだと怒る人がいた。学校中のすべての設備をきちんと点検するなんて、いくら人手があっても足りないし、そもそも点検が義務付けられている設備は決まっている。面倒なので謝ると、悪いことをした自覚があるから謝っているのだろうとまくしたてられ、その後は何を言っても話が通じなかった。他にも挙げたらきりがない。
セドリックは、レティシア校長が警備員を叱責し、何らかの処分を下すのではないかと心配しているようだった。きっと、彼女はそんなことしないのに。それともセドリックには、彼女がそうすると考えるような理由があるのだろうか。
仕事をしていれば理不尽なことはいっぱいある。いちいち気に病むことなんてないのに。
時折、セドリックの繊細さがちらつく。傲慢さと繊細さ、どちらも彼の持ち合わせた性格なのだろう。まったく面倒な人だ。
そんなことを考えながら私が黙っていると、セドリックは急に話題を変えてきた。
「犯人を絞り込むためには、まだいくつか調べたいことがあるが、それは明日しよう。さて、この事件は解決しなければならないが、その前に解決すべきことがある」
セドリックはそう言って、まるで重大なことを打ち明けるかのように、人差し指を立てて腕を伸ばした。
何を言い出すのだろう。さっぱり想像できない。
「レティシアがこの事件の調査に、どうして君を選んだのか、ということだ」
「他の職員は忙しいからじゃないですか?」
「あのレティシアともあろう女傑が、果たして理由なく君に任せるかな」
セドリックには何か考えがあるのだろうか。でも今の彼は、オーバーなジェスチャーをして、迂遠な言い回しをしているから、きっと碌でもないことを言うに決まっている。思い通りにさせるのは癪だった。それに、セドリックが校長を『レティシア』と呼び捨てにすることが気になっていた。
「レティシア校長とは古くからのお知り合いなのですか?」
セドリックは、ふっと鼻で笑った。
いくら言葉を待っていても、ただ笑っただけで、何も言わずにこちらを見ている。
はあああああ!? 言わないの? 信じられない。なんなのこいつ。
危なく声を出しそうだった。
「君はすぐに顔に出る」
今度こそ、セドリックが何を言おうと、私は振り向かないと決めた。
部屋に戻ってきたレティシア校長は、ふくれた私を見て少し慌てていた。
誤字訂正 ✕処理の束 ◯書類の束
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