第26話 事件後
私がようやくたどり着いた推理を、セドリックが見抜けないわけがなかった。
リヒャルトが何をしようとしているのかすべて知っていて、セドリックは敢えて彼を逮捕させた。
それに気付いた私は、咄嗟にセドリックに掴みかかろうとした。その瞬間に、レティシア校長がセドリックの前に立ちはだかり、私は寸前で止められた。
なぜあのときセドリックに飛びかかろうとしたのかなんて、今になって思えば、論理的な説明なんてできない。彼に詰め寄ったところでリヒャルトは助けられないことは明白だ。でもそのときは、セドリックの冷酷な判断と、柵を超えてしまったリヒャルトのことで頭がいっぱいになり、行き場のない激しい感情に突き動かされて、身体が勝手に動いたとしか言えない。
その日の私には断片的な記憶しかない。
髪や作業着の泥を落とそうと、近くの水場に行った。いちばん近くの水場は、食堂の裏口だった。ついさっきまでリヒャルトがいた場所。頭から水をかぶったときに、リヒャルトの最後の姿を思い出した。泣き崩れている私をレティシア校長が見つけ、私邸のシャワー室に連れて行ってくれた。そのまま客室で休むように言われ、ベッドの中で長い時間を過ごした。幾度となく校長が様子を見に来てくれた。
夕方、職員寮の部屋に戻ろうとしたところを校長に止められ、その日も校長の客室に泊まることになった。レティシア校長と夕食を一緒に食べた。何か話したのか、それとも何も話さなかったのか、覚えていない。
そして、私はこの客室で目が覚めた。よく食べてよく眠ると気分が良くなることが、私の数少ないとりえだったのに、気分は浮かないままだった。それでも頭は働くようになったのだから、きっと私は単純だ。
ドアを開けると、レティシア校長が廊下の掃除をしていた。
「リアラさん、おはようございます。起こしちゃったかしら?」
「おはようございます。今起きたところです」
校長は使用人を雇っていない。これまで気にしたこともなかったけれど、この広い居住空間を、彼女はいつもひとりで掃除しているようだった。
「お手伝いしますか?」
「あなたはゆっくり休んでて構いません。まずは顔を洗ってらっしゃい」
そう言って、洗面所まで連れて行ってくれた。
そうはいっても用務員の職を失うわけにはいかない。昨日は働いていないから、今日から働かなくては。
顔を洗って部屋に戻ると、テーブルの上に私の作業着が折りたたまれて置かれていた。泥が綺麗に落とされていた。作業着からは、かすかに校長の香りがして、いつもの作業着ではないような感じがした。
レティシア校長はすでに掃除を終え、リビングでティーを淹れているところだった。
「今日から仕事に戻ります。ご迷惑をおかけしました」
「休校日ですし、あなたはゆっくりしていて大丈夫ですよ。はい、どうぞ」
テーブルに、そっとティーカップが置かれた。
昨日で考査が終わり、今日は休校日になっていた。用務員は休校日であっても当番制で仕事になることがあるけれど、当番は事前に決まっている。私には仕事がないらしい。じっとしていると気分が落ち込む。
「何か仕事はありませんか? とにかく何かしていたいです」
私がそう言うと、レティシア校長は考える仕草をした。
「そうですね。では、昼から私のお手伝いをお願いします」
テーブルの前の椅子に私が腰を下ろすと、校長は微笑んで目を細めた。
レティシア校長は静かに新聞を読んでいる。私には新聞を読む習慣がない。周囲がゴシップで盛り上がっていても、いまいち興味が持てなかった。誰かを傷つけるために書かれた記事を読むくらいなら、物語を読むほうがずっと楽しい。
事件に関わってから、図書室へ行けたのは最初のうちだけだった。忙しくなると本を読む時間がなくなってしまうのに、途中からは私も事件の捜査にのめり込んだ。私らしくない。もしかすると、これも私なのか。
レティシア校長は敢えて何も話さないでいてくれている。気持ちは簡単には切り替わらないけれど、忘れてはならない記憶でもある。身近な人のことからは、目を背けたくない。
「レティシア校長」
「なあに」
リラックスしているからか、甘い口調の返事が来た。
「この後も、今回の事件のことで、何かありましたら、私には話してください」
レティシア校長はゆっくりと、こちらに顔を向けた。そして、少しだけ俯いた。
「こんな形であなたを事件に巻き込んでしまうことになるなんて。私の落ち度です。本当にごめんなさい」
「いえ、私は大丈夫です。でも、できればこの後、どうなるかも知りたいです。その……リヒャルトが、どうしているのかも」
校長は小さく息を吐いて、眉間を揉んだ。少しだけ沈黙があった。
「私としても、リヒャルトさんのことは、最大限どうにかして助けたいと思っています。今の時点では、犯人は保管庫に出入りできる教員という推測だけ。明確な根拠を示すものは何もありません。リヒャルトさんが自白することで、決定的な証拠になります。私たちは、自白を考慮しての減刑を、嘆願する準備をしています」
聞いた言葉を、何度も反芻した。それが唯一の現実的な道筋だと頭では理解できる。それでも、リヒャルトの待ち受ける未来を、受け入れることができない。
エリス先生はどうなったのだろう。
私は口を開きかけて、言葉を飲み込んだ。エリス先生は、レティシア校長が信頼していた先生だったはずだ。自らの研究を継承するくらいに。レティシア校長も、エリス先生が犯人だったことに、気持ちの整理ができていないと思う。
そして、そんなレティシア校長にすべて負担させて、私だけが守られるなんて嫌だ。
昼食後、校長の付き添いということで外出票なしで街へ向かった。レティシア校長の歩く速さは、私にとって心地良い速さだった。私は普段から早足で歩く癖があって、小柄なのに周囲よりもやや速い。レティシア校長も早足で歩く癖があるらしい。
空はすっきりと晴れ渡っている。薄い水が空いっぱいに張られたように青く澄んでいる。レティシア校長が歩く音と私の歩く音が耳に届く。時折、鳥のさえずりが聞こえてきた。
街に着くと、レティシア校長は、服屋で私の服を選び始めた。私は気にしていなかったけれど、「作業着のまま街に連れてきてしまったでしょう。ですから、そのお詫び」と言っていた。さすがに服を買ってもらうのは気が引けて、どれだけ断ろうとしても、校長は聞く耳をもたない。どうにも、私に着せる服を選ぶのを楽しんでいるようだった。終いには、あれもこれも似合うと言い始め、たくさん買いそうになっているところを私が止めた。
いちばん安いのを選ぼうとしたけれど、どれも高級な服だった。落ち着いたデザインの服を一着だけ選んで、それに着替えた。
向かった先は、セドリックの邸宅の近くにある住居だった。あの邸宅ほど豪華ではないが、丁寧に庭が整備されていて建物も大きい。
「ここもセドリック様が所有する建物のひとつです。セドリック様が不在の間、フェリックス先生がこちらに移されたと聞いています」
入口に近づいたときにドアが開かれ、使用人が出てきて挨拶をした。数日前、馬車に乗ったときの御者に似ているけれど、明らかに老いていた。あの御者の父親だろうか。
「ようこそいらっしゃいました。フェリックス様が中でお待ちです」
使用人は丁寧に挨拶をして、私たちを案内した。
セドリックは不在だった。正直に言えば、セドリックには会いたくない。冷徹に腕を振り下ろしてリヒャルトを逮捕したときの、あの姿が頭から離れない。
意外なことに、フェリックス先生は元気そうだった。バルタザール先生を筆頭とした教会派の仲間から学校を追放されそうになったと聞いて、落ち込んでいると思っていた。数日前に会ったときと変わらない様子に、私は安心した。
フェリックス先生は、教会派の母体である『古代魔術文献考究会』を脱退することにしたと告げた。
「今では教会派と呼ばれていますが、もともとは教会の管理化におかれていた古代の文献を読み合うための定例会だったのです。それが互助会になり、いつしか政治的な組織になっていきました。親交のある先生が多かったものですから、長らく籍をおいてきましたが、今回の件で、会合から身を引く決心がつきました」
フェリックス先生は穏やかな笑顔だった。
「考究会に所属していないことで何か不都合がありましたら、必ず私にご相談ください」
レティシア校長が心配そうにそう言うと、フェリックス先生は上機嫌に、ほっ、ほっ、ほっ、と笑った。
「ご心配には及びません。派閥などなくとも、教員たちが正しく支援を受けられるように制度を整えてくださったではありませんか。私はそれで十分です」
しばらく校内の政治的な話が続いた。私は話半分に部屋の中に飾られている花を眺めていた。対立構造は物語を読む分には楽しめるのに、私が知る身近な先生方が、私が知る以上に対立している事実を聞きたくなかった。
レティシア校長は、そんな私の様子に気がついた。
「さて、この話はここまでにしましょう。フェリックス先生。すでに耳に届いていらっしゃると思いますが、一連の事件の捜査は、終了する運びになりました」
「手放しには喜べませんが、学校に平穏が戻り、私も安堵しているところです。リアラさん。あなたの活躍が大きかったと聞いています。ありがとうございました」
フェリックス先生は、穏やかな表情のまま私を見ていた。
私は首を振った。結局、私はリヒャルトを救えなかった。もしかしたら、エリス先生を止めることだってできたかもしれない。昨日、ベッドの中で何度もそのことを考えた。
沈黙が続いた。
そうだ。気になっていたことがあった。このまま黙っていてもいいことだけど、やはり聞いておきたい。
「フェリックス先生。気になったことがあったのですが、質問してもいいですか?」
「どうぞ。私に分かることでしたら」
「魔力増幅装置を使えば、『魔力空間を安定化』させることはできますか?」
フェリックス先生は、私からの意外な質問に、一瞬驚き、たじろいだ。レティシア校長も同じだった。
しばらくの間、髭をなぞりながら考えた後、フェリックス先生が口を開いた。
「リアラさん。できる可能性があります。もちろん、単純に解決というわけにはいきませんが、手段の方向性としては間違えていません」
「私も、そう思います」
レティシア校長も、呟いてそう答えた。
私がそれに気がついたのは、感知した魔力だった。専門的なことは何も分からないから、気がついたという言葉は適切ではなく、単なる直勘に近い。
荷車の箱の中から試作機を取り出そうとしたとき、試作機の中には、魔法の空間と同じ、マーブル色の膨大な魔力が残っていた。慌てて手を引っ込めたけれど、掠っただけで私は身動きが取れなくなってしまった。
あのときどうして空間魔法の魔力が流れ込んできたのか、ずっと考えていた。
最初は、魔力増幅装置が魔法の空間に置かれていたから、その残り香のような魔力に襲われたのかと想像した。でも魔力増幅装置は、パッシヴではなくて、アクティヴな装置だ。パッシヴな魔道具のように周りの影響を受けて魔力が残留していたというよりも、あのマーブル色の魔力は、魔道具そのものから発された魔力ではないだろうか。ということは、空間魔法の魔力を、魔法増幅装置の試作機によって増幅しようと試してみたのではないか、と思った。
つまり、エリス先生は「魔法空間の安定化」という自身の研究のために魔力増幅装置を使ったのだ。
どうして試作機を盗んだのだろうか。そんなことをしてまで、研究をしたかったのか。
きっと何か特別な事情があったに違いない。でも決して、誰かに対する悪意ではなくて、何か絶望的なことがあって、盗むしかなかった、と彼女の魔力から感じた。
いったいどんな思いで試作機に触れたのだろう。試作機を盗む以外に方法はなかったのだろうか。事件の捜査は終わったけれど、エリス先生のことは、もうしばらく考えてみる。私なりに納得ができるように。




