第25話 輝く朝日の中で【6日目】
真夜中に目が覚めた。何かの夢を見ていたはずなのに、まるで指先からするするとこぼれ落ちる砂のように、夢の世界が跡形もなく消えていく。どこか懐かしいような、過去にも何度か見たことがあるような、そんな不思議な夢だったのに、もうすでにまったく思い出せない。
見慣れない天井。ほのかに良い香りのするベッド。
ここはレティシア校長の客室だということを思い出した。
ゆっくりと身体を起こし、そっと足を床につけて、立ち上がってみる。昨晩は立つことさえできなくなっていた。今はしっかりと足の感触を感じられる。
ドアを開けて廊下に出ると、この部屋のすぐ近くにお手洗いを見つけた。用を済ませて部屋に戻り、ベッドに座って昨日の記憶を辿った。
眠りに落ちる前に、何かが頭の片隅に引っかかっていた。それが何だったのか、どうしても思い出したい。どうにも胸騒ぎがする。
犯人は、エリス先生だった。
そして、レティシア校長とセドリックは、エリス先生の研究室を捜索しに行った。
――試作機はもう見つかっただろうか。
これはとても気になる。でもそれは明日になれば分かることだから、昨晩、眠りに落ちる前に気になっていたのは、もっと別のことだったはずだ。
――エリス先生は盗んだ試作機を、いったい何に使うつもりだったのだろうか。
これも違う。教員の名簿を眺めたとき、先生方の研究内容と魔力増幅の関係は、私にはさっぱり理解できなかった。眠りに落ちる前は、試作機を盗んだ目的を、私は気にしていなかった。
――エリス先生は、どうしてもう一度、試作機を盗んだのだろうか。
これだ!
最初はただ保管庫で試作機を別の箱に移し替えただけだった。その次は、校長室から盗み出した。どちらも盗んではいる。だけど、それぞれの行為の危険性はまったく異なる。
もし試作機を保管庫に置いたままだったら、たとえ誰かに見つかったとしても、犯人は容易には特定できない。実際に私たちは、最初の段階では犯人を特定できずにいた。
ところが、校長室から盗み出したら、もはや安全に隠し通せる場所はどこにもない。
エリス先生は、確かに魔法の空間に試作機を隠すことができる。でもその技術をエリス先生に伝授したのは、レティシア校長に他ならない。当然、その校長を相手に隠し通すことは、不可能に近い。
学校内で隠し通せないなら、残された手段は外に持ち出す以外にない。
――もしあの保管庫から持ち出したら、すぐに学校の外まで持って行かなればならない。
セドリックが、最初の捜索のときに指摘したあの言葉。
昨晩の議論でもこの言葉を思い出していた。そのときは、校外へ持ち運ぶ手段の議論から、試作機を隠す場所へと論点が逸れてしまった。そのことが、ずっと喉につかえたままだった。
この学校では、何かを外に持ち出すのは難しい。頻繁に出入りする教職員の検査は簡略化されている。とはいっても校門では荷物検査があるから、試作機のようなものは、正式な手続きをしないと持ち出せない。さらに、試作機はとても重い。エリス先生は目を引くほどの長身だけれど、ロレンゾのような怪力を持ち合わせているわけではない。もし荷物検査をどうにか誤魔化して校門を出られたとしても、手で試作機を持ち運ぶことはできない。だから、試作機を運ぶには、必ず荷台を使う必要がある。
胸騒ぎの正体は、それだった。
学校の外へ試作機を持ち出すには、校門での検査を巧妙にすり抜けなければならない。そして、重い試作機を、安全な場所まで運ばなければならない。エリス先生単独では、これはできない。でも、もしエリス先生を助ける協力者がいるとすれば、この難題は容易に解決できる。
「リヒャルト!」
静まり帰った部屋に、悲鳴にも似た私の声が鋭く響き渡った。
リヒャルトが協力者であれば、重い試作機を校外へ持ち運ぶことができてしまう。彼は日課として、教会に寄付する灰を荷車に乗せて校門を出入りしている。教職員はその事実を知っているし、門番も毎日のように顔を合わせて慣れている。おそらく、荷車の中の灰までは検査することはない。そして、荷車に隠してしまえば、試作機のように重いものであっても街まで簡単に運搬できる。
いつも気さくに話しかけてくれて、人懐っこくて、ばかみたいに仕草が大きくて、料理で人を喜ばせるのが大好きな、損するくらいお人好しなリヒャルト。もし彼がこの事件で捕まってしまったら、きっともう会えなくなってしまう。この魔法学校において、『柵を超える』という行為が何を意味するかは、誰もが知っている。
そんなこと、絶対に嫌だ!
試作機が柵さえ超えなければ、きっと罪には問われないはずだ。リヒャルトはまだ、決定的に悪いことをしていない。まだ間に合う。門を超える前に阻止すればいい。リヒャルトには、あの荷車を運ばせない。
今すぐにでも、あの荷車をたとえ壊してでも、リヒャルトが試作機を外へ運ぶことを、私は決して許さない。物品を壊したことで私が咎められるくらいで済むのなら、いくら怒られても構わない。
私は衝動的に急いで立ち上がろうとした。しかし、脚に力が入らず、バランスを失って足がもつれて、その場に崩れ落ちた。焦って昨日の状態に逆戻りして動けなくなってしまっては、肝心のリヒャルトの行動を止めることができない。
夜明けまでじっと待とう。朝になったら全力を出せるように、それまで身体を休めよう。そう理性では理解していても、気持ちは激しく焦ってしまい、時折ベッドから身体を起こしていた。
◆
私は結局、一睡もできなかった。東の空に太陽が昇ると同時に、足音を立てず、そっと校長の館を抜け出した。
雨はすっかり上がっていた。湿った土の匂いが辺り一面に立ち込めている。地面のところどころにできた水たまりに、朝日がきらきらと強く反射して眩しい。学校に隣接する森から飛んできた鳥たちが、賑やかに朝を告げている。
食堂の裏口の近くにある焼却炉の前には、荷車が置かれていた。その荷台には厚手の麻布が掛けられていて、風で飛ばないようにしっかりと綱が巻きつけられている。
私は、綱がわずかに緩んでいる部分を見つけ、麻布をめくりあげた。
ここ数日降り続いた雨のせいなのか、それとも荷台の灰の中に何か大きな物が入っているからなのか、荷台いっぱいに、溢れるくらいの灰が積まれていた。
私は焼却炉の近くに立てかけてあったシャベルに手を伸ばした。その瞬間、魔力がさざ波のように、シャベルから私の身体へ流れ込んできた。それは紛れもなくエリス先生の魔力だった。
興奮して一時的に忘れていたからなのか、それとも昨日の魔力酔いがまだ完全に治りきっていないからなのか、原因は分からない。いずれにしても、感知能力に蓋ができなかった。
シャベルを握って荷車に一歩近づいた。そのとき、後ろから声をかけられた。
「おはよう。今日はずいぶん早いね。どうしたんだい?」
リヒャルトが食堂の裏口の前に立っていた。いつものように大きな仕草をしていない。その顔は緊張でこわばっていた。
「おはよう。リヒャルト。これは今日運ぶの?」
「そう。これから運ぶところなんだ」
こんなに早い時間に灰を運びにいくなんて。やはり、リヒャルトはエリス先生が企んでいたことを知っているし、それを手伝おうとしている。
「だめだよ。運ばせない」
私は荷馬車の前に立ちはだかるように、両手を大きく広げた。
「それは困るよ。いったいどうしたのさ」
「リヒャルトは、この中が何なのか知っているんでしょ?」
「何を言っているんだい」
リヒャルトの声は明らかに震えている。しかし、彼は一歩もこちらに近づいてくる気配はない。他人に気を使いすぎる彼は、いつも相手との距離を測って、不用意に踏み込もうとはしてこない。
こうなったら、無理やりにでも荷車から試作機を取り出して、邪魔するしかない。
私は麻布をめくった隙間から、灰の中に手を突っ込んだ。湿気を含んだ灰は、重くずしりとしていた。手首から肘近くまで進んだとき、ついに硬い試作機に指先が触れた。
エリス先生の魔力が、彼女の感情が、試作機から私に流れ込んできた。さらにその魔力の奥底に潜んでいた、マーブル色に渦巻く魔力が、濁流のように私の身体に押し寄せてきた。あの魔法空間と同じ、途方もない量の魔力が、私の身体に容赦なく襲いかかってくる。
私は反射的に慌てて手を引っ込めた。わずかに間に合わなかった。軽く掠っただけの感覚だったのに、全身から再び力が抜けていき、がくがくと腰が砕けて座り込んだ。
「ごめん! リアラ! 後できちんと謝るから! 本当にごめん!」
リヒャルトが声を裏返しながら、荷車を引いて校門に向かっていった。
私は残された力を振り絞って立ち上がろうとした。思ったように上手く足が動かず、ぬかるんだ地面で転倒した。私は力の限り叫んだ。
「待って! リヒャルト! 絶対にだめ!!」
リヒャルトが校門へ向かう角を曲がるとき、彼の口が動いた。「彼女が待ってる」とつぶやいたように見えた。
這うように立ち上がり、ふらつく脚を拳で叩きながらリヒャルトを追いかけた。彼はすでに校門の直前にいた。足がもつれて何度も転び、泥まみれになる。私は必死で校門まで走った。
校門から少し離れたところにセドリックが立っているのが見えた。彼に止めてもらえば間に合う。
「セドリック!!」
私がそう叫ぶのとほぼ同時だった。
セドリックは、振り上げていた腕を、迷いなくまっすぐに身体の前へと下ろした。
ピィィ――――――ッ!!
けたたましいホイッスルの音が辺りに響き渡った。校門の前からは怒声が飛び交いはじめた。
全力で走って校門の前に着いたとき、私の目に映ったのは、大勢の大人たちが、抵抗するリヒャルトを容赦なく地面に押さえつける姿だった。
それが、私がリヒャルトを見た最後の瞬間となった。
雨雲は遥か遠くに過ぎ去り、すっきりと晴れ渡った空には、朝の太陽が眩しく輝いていた。校門前の激しい喧騒の中、どこか呑気に歌う鳥たちのさえずりが響いていた。
こうして事件は幕を閉じた。




