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魔法学校の用務員リアラ  作者: エーカス
第1章
17/28

第17話 停滞前線【4日目】

 昨晩遅くから雨が降り始めた。地面を跳ね返る雨が作業着を濡らして歩きにくい。今日から考査が始まり、その実技試験のため、この雨の中を、ローブを着た教員や学生たちが演習場へと駆けていく姿が見えた。

 セドリックは今日の午前中、職員寮への移動のために捜査できないため、その間に、私は学務事務室から部屋へ資料を運ぶように依頼されていた。

 学務事務室のドアを開けると、「あら。どうしたの?」とマルグリットが声を掛けてきた。一昨日の喧騒が嘘のように、今朝の学務事務室はとても静かだった。

「セドリック様から資料を運ぶように言われてて」

「あれね。こっちにいらっしゃい」 

 マルグリットは手招きをして、学務事務室から繋がっている隣の倉庫部屋の方へ歩きだした。

「いつまでも取りに来ないから、要らないんじゃないかって話になってたのよ。せっかく用意したのに」

 そう言いながらドアを開け、「これと、これと、そっちも」と三つの箱を指さした。マルグリットは倉庫に置いてあった荷台を持ってきて、「手伝う?」と訊いてきた。

「ありがとう。大丈夫」

「がんばってね。重いから、手伝いが必要になったらいつでも言って」

 マルグリットは力こぶを作る仕草をして、事務室に戻っていった。

 あまり考えずに身体を動かしたい気分だった。マルグリットの言った通り、手が痺れるくらい重かった。

 運んだ箱には、たくさんの書類が詰め込まれていた。

 その中に紐で綴じられた教職員名簿がある。この名簿の中に事件の犯人がいる。これはすぐに使うはずだと考え、名簿の紐を解き、執務机の上に置いた。

 先生たちが何を研究しているかなんて、これまでは気にしたことがなかった。授業や実技に使う道具の準備のお手伝いをお願いされることはあっても、怪我をしないように取り扱いの注意点を質問するだけで、それが何の役に立つものなのか、どのように使うのかなんて説明されたこともないし、尋ねたこともない。

 名簿の先頭はアダム先生だった。頬から顎まで髭が生えていて、腕や脚も毛で覆われている熊のような男性だ。野性的な見た目に反して性格は温和で、私が重い荷物を運んでいたときに手伝ってくれたこともある。直近の研究内容には『安定透明化スピン技術を用いた次世代高出力魔道具の製造・評価過程における標準化』と記されていて、それが魔力増幅に関係があるのか否か、私にはさっぱり見当もつかない。

 フェリックス先生から魔力増幅の説明を受けたとき、正直にいうと、楽しそうだと思った。この学校の図書室に大量にある、魔法について書かれた本や資料を眺めてみても、興味を持つことさえできなかったのに、フェリックス先生は私にも分かるように教えてくれた。でも名簿に記された言葉たちを眺めてみると、やはり私には無縁のものに思えてくる。

 教員の資料には、魔法学校での経歴や研究内容の概要以外にも、出身地や家族構成といったプライベートなことまで書かれていた。

 ふと、この名簿には、私のことが書かれた紙もあることに気づいた。

 手が震えて、動悸が速まるのを感じる。恐る恐る、私の紙を手に取った。

 私の出生地には聞いたことのない名前の土地が記され、出生時の家族構成は不明と書かれていた。

 これまで誰にも訊こうとしたことはなかったし、もしこの資料を手にしなければ知ることもなかった。もちろん私の両親が養父母ということに変わりはない。それでも一度も気にならなかったというと嘘になる。もしいつかその土地を知る人がいれば、そこがどのような場所なのか、話ぐらいは聞いてみよう。

 ゆっくりと呼吸を整えて、私の経歴を、名簿の山の中にそっと戻した。



 セドリックは、昼過ぎに共通棟の部屋に来た。ドアを開けるなりすぐに、「君に確認しておくことがあった」と、真剣な表情で私に尋ねてきた。

「この学校内では、おやつが売られている場所はあるだろうか」

 おやつの時間を心配していた。心の底から。

 私は小さく息を吐いて首を振った。

「ありません。保存食なら売店にありますけど、たぶん、おやつにはならないです」

 学校の敷地内にある売店には、文房具や生活必需品などが売られている。街までは気軽に買い物に行けるような距離ではないし、売店があれば、学校の出入りを最小限に抑えることができるという学校側の事情もある。

 セドリックは、おやつが手に入らないことにショックを受けて背中を丸めてしまった。

「職員寮には簡易炊事場がありますし、そこなら作れるかも」

 なんとなく可哀想になって声を掛けた。

「君は何がつくれる? スコーンはどうだろうか? ジンジャーブレッドは?」

 セドリックは満面の笑顔で尋ねてきた。まるで尻尾を振る犬のような態度に見える。

 なぜか私が作ることになっている。言い方が悪かったかもしれない。

「私ですか? お菓子は作ったことがないです。一度も」

 そう言うと、今度こそセドリックは完全に肩を落とし、しゃがみ込んで俯いてしまった。意気消沈したセドリックに、名前を呼んでも反応しなくなってしまい、私は困り果てた。とりあえず、学務事務室から受け取った大量の資料の種類と、どこに何を置いたのか説明した。

 セドリックは俯いていながらも、しっかりと耳は立っている様子だった。

「机には教職員名簿を置きました。これから必要になるかなと思って。……セドリック様、保管庫に話を聞きにいかなくていいのですか?」

 私がそう言うと、彼はしぶしぶ顔を上げて立ち上がった。


 雨足は弱まっていた。ところどころに大きな水たまりができている。考査の時間帯の校内は、気味が悪いほどに静かで、保管庫に近くなると、その向こう側にある大型演習場から、規則正しいホイッスルの音と、学生たちの声が聞こえ始めた。

 保管庫の周囲には人の気配がなく、詰所の前には腕を組んだロレンゾが立っていた。私たちの姿に気がつくと、ロレンゾは慌ててドアを開けて、「早く入ってくれ。嬢ちゃんたちが来たことは誰にも知られるな、と命じられているんだ」と私たちを詰所の中に通した。

「あの衝立の向こうにいるマンフリートが、昨日の報告をする。誰かが近づいて来たらノックする」

 そう言って、ロレンゾは親指を立て、詰所のドアを閉めた。いつも通り腕を組んで仁王立ちしているのだろう。

 警備員のマンフリートは、顔つきが良くも悪くもなく、ホクロやシミさえない。くたびれた警備の制服を着て、古ぼけた平凡な結婚指輪をつけている。いつも眠そうな顔をしていて、挨拶をしても挨拶が返ってくるだけ。街のどこかで見かけたことがあるような中年男性。誰の記憶にも残らない。彼は意図的に、あるいは意識さえすることなく、そう振る舞っていた。

 保管庫の隣にある詰所で、「怪しい動きをした教員をリストアップした」と言葉少なく昨日の報告を受けた。

 教会派、国粋派、教典派をしっかりと分け、名前、入室時刻、区画と位置、搬出搬入にかかった時間が記載してある。やる気がなさそうにさえ見える態度とは裏腹に、几帳面な文字で、セドリックが必要とする情報を的確にまとめていた。

 マンフリートの書いたリストのうち、その何人かには下線が引いてある。荷物の場所がA9から遠い場合もあった。セドリックはそれに気づき、「この下線は?」とマンフリートに尋ねた。

「複数人で来た教員が何人か来た。前からそうだったから通したが、人数制限したほうがいい」

 ぼそぼそとつぶやくようにマンフリートが答えると、セドリックは「確かにその通りだ。そのほうがよさそうだ」と言い、顎に手を当てながらリストを眺めていた。

 その瞬間、詰所のドアが叩かれた。ノックというよりも、叩くという言葉が相応しいくらいにドアが揺れた。教員が保管庫に近づいてきたというロレンゾが合図のようで、何食わぬ顔でマンフリートが詰所を出ていった。

 私は椅子から飛び上がり、セドリックは背筋を伸ばして身構えていた。

「まさか今のが合図なのか?」

「わ、わかりません。何なんですかあれ」

「彼は力加減というものを知らないのか? それとも、加減してあれなのか?」

「知りませんよ。そんなこと」

 私は小さく息を吐いて、椅子に腰を下ろした。

 思い返すと、ロレンゾが校長室をノックしたときは、ここまで酷く扉は揺れていなかった。もしかすると建付けが悪くなっているのでは、などと気になってしまう。今度時間があるときに調べよう。

 しばらくするとマンフリートが戻ってきた。

 リストを眺めていたセドリックが顔を上げ、「この中で最も怪しいと感じた者はいるだろうか? 根拠がなくてもいい」と尋ねたが、マンフリートは軽く首を振った。

「怪しいと言えば全員が怪しい。奥は荷物が少ない。離れた場所でも上段の箱が見える。絞りきれない」

 セドリックは肩をすくめた。そして、何かを思いついたらしく、マンフリートに尋ねた。

「この中で身長が高い者は? 僕よりは低いくらいでもいい」

「そうすると、もう少しだけ絞れる」

 マンフリートはリストの名前の横にチェックを入れた。下線が引かれていて、チェックの入っている教員は三人だった。

「それと、これからは荷台を持ってきた教員にも印を入れてほしい。ある程度の膂力があれば、箱を持ち上げることはできるが、あの試作機を箱に入れたまま持ち運ぶとなると、相当に鍛えるか、さもなければ荷台が必要だろう」

 マンフリートは頷き、「わかった」と短く返事をした。

 その後、マンフリートからの進言の通り、保管庫の入室制限が必要と伝えようと校長室へ向かったものの、レティシア校長は会議で不在だった。そのまま私たちは拠点に戻った。

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