第16話 動機【3日目】
部屋のドアがノックされた。セドリックがそれに応じると、ランチが運ばれてきた。食べ方が分からないような絢爛豪華な食事……ではなく、肉や野菜が挟まれた簡素なパンだった。とはいえ、昼から肉が食べられることは贅沢なことではある。
セドリックがそれを手にとって食べ始めた。
場の空気が和んできたので、私は思いついたことを言ってみることにした。
「犯人は、欲しかったからじゃないですか?」
セドリックは、きょとんとした。冗談かと思うくらいに間の抜けた表情だった。
「パンを盗むのはパンがほしいからですよね。有名な劇にも、家族のためにパンを盗む話がありますし」
私がそう続けると、セドリックは口に入れていたパンを急いで飲み込み、声に出して笑った。笑われるくらいなら言わなければよかったと思っていたら、どうやらそうではなかったみたいだった。
「シンプルだが、しっくりくる。何か理由はあるはずだが、犯人は試作機を必要としていた。そう考えるべきだ」
セドリックは、自分を納得させるように言葉を紡ぎながら、そう言った。フェリックス先生は難しい顔をして髭を触っていた。
「試作機は、名の通り、検証するためのものです。特定の用途で使うには調整が必要ですし、いくつかの動作やその特性から新たな課題が見えてきました。しかし、魔力増幅の本質、歪みの低減は証明できました。それは定例の教授会で報告しています」
「犯人は間違いなくそれを知っていて、試作機を窃取した。この線がもっとも犯人像に近いように思う。リアラ君、君の発想に助けられた」
セドリックが私を見た。フェリックス先生も包み込むような穏やかな笑顔をしていた。私は恥ずかしくなって俯いた。
フェリックス先生は、ほっ、ほっ、ほっ、と鳥の鳴き声のような笑い声を出した。
「リアラさん。あなたはいつも図書室で本を読んでいますね。先生たちの間でもあなたはとても評判がいい。あれほどにまで集中できる学生はなかなかいないものです。レティシア先生は、あなたを学生にしようと推薦しているのでしょう?」
セドリックは片眉を上げ、興味深そうに「ほう」とつぶやいた。
私は、レティシア校長から何度か「ここに入学なさい」と誘われたことがあった。学費が払えないと言ったら、不要だと即答された。奨学生という制度があって、特定の推薦者は学費が免除される。それでも学生になる気持ちになれなくて、曖昧に濁して逃げている。
「私も推薦しよう。あなたは学生になって、たくさん学んだほうがいい」
フェリックス先生の眼差しは、どこまでも優しい。そんなに優しい目で私を見ないでほしい。どうにも勤勉だと勘違いされているみたいだけど、物語を読むことが好きなだけで、勉強が得意なわけではないし、興味のないことを覚えるのは苦手だ。もし私が学生になったら、あまりの成績の悪さにすぐに落第して、先生方を失望させてしまう。そしてきっと学校にはいられなくなる。たくさんの本がある場所なんて、学校の他に知らない。
「私は、本を、読みたいだけです」
私の言葉に先生は笑い、「そのつもりになったら、いつでも私のところに来なさい」と上機嫌に言った。
聞き耳を立てているセドリックに気がついて、私が視線を向けると、彼は素知らぬふりをして、窓の外を眺めていた。
それからしばらく窓の外の様子を眺めていたセドリックが急に話を切り出した。
「犯人は、どうして試作機が必要だったのだろう。可能性を考えてみたが、どうにも行き詰まる。単純に思いつくのは、金銭目的だ。国内外問わず、試作機を欲しがる人間はいるだろう。もしくは、試作機の存在を知った誰かの依頼で盗んだ。しかし、このどちらも試作機だけを狙う理由にはならない」
彼は淡々と説明を続けた。
「他国の間諜が絡んでいるという線もある。昨日、グリフィスが言っていたのだが、サラハスリアの間諜がよく使う手口らしい。彼らは他国の発展を示すモノを盗み、本国の警戒心を高める。それで予算確保というわけだ」
政治的な話は分からないけれど、それが本当なら大迷惑だ。名前を聞いたことがあるくらいの国の事情で、散々嫌な思いをさせられたことになる。フェリックス先生も顔をしかめて話を聞いていた。
「他は、リアラ君が言うように、パンと同じで、何か、おそらくは研究に使うつもりだったのかもしれない。残念ながら、魔力増幅をどのように使うつもりだったのか、僕には想像がつかない。しかし犯人には必要だった。僕はこれがいちばん可能性があるとみている。その場合だが、犯人は研究内容に詳しい人物になる」
セドリックの推測では、どこかの国の政治的な事情か、もしくは先生の周囲にいる人物に絞られる。フェリックス先生は黙ったまま何も言わなかった。
その後、私は今日の礼として『夜霧』を受け取った。セドリックは「その本はもともと渡すつもりだったから、他の本も選んでいい」と言っていた。仕事で来たわけだし、本一冊でも報酬としては十分だった。そして絶対に、セドリックには貸しをつくりたくなかった。国家安全の某とかいう機関と繋がりのある彼に貸しをつくったら、命がいくらあっても足りない。
帰り際に「明日から学校の職員寮に泊まることにした」と伝えられた。何日もここを往復するくらいなら拠点を移すことにしたらしい。
校門から食堂方面へ向かい、しばらく歩くと四棟の職員寮がある。半分が男性寮で、もう半分が女性寮。各棟ごとの共用部には洗面所や洗濯場が用意されている。簡易炊事場があるが、学校職員は食堂で食事をするため、ほとんど使用されていない。異性の職員寮への立ち入りは規則で禁じられている。
職員寮では身の回りのことは自分でしなければならない。セドリックのような優雅な生活をしている人には大変だろうと思っていたら、意外なことに、「学校は違うが、十代の頃は学生寮で暮らしていたから懐かしい」と言っていた。
明日の捜査は昼過ぎから開始することになった。
校門に着いたときには夕方になっていた。
帰りの道は日差しが強くて、汗ばむくらいに温かかった。遠くの空に雨雲が見えて、早足で歩いて帰ってきたのに、まだしばらく雨は降りそうにない。
今日はもう図書室が閉まる時間だ。なんとなく寮に戻りたくなくて、校庭のベンチに座ってセドリックからもらった本を読んだ。今日の校庭には学生たちがいなかった。小さなボールを追いかけて遊んでいる時間なのに。
薄暗くなって文字が読みにくくなった頃、私は夕食をとることにした。
食堂は学生たちで賑わっていた。どのテーブルにも誰かが座っていたから、相席しようとトレイをテーブルに置いた。すると、そのテーブルに座っていた学生が私を見て、もう一度見てきた。見事な二度見だったから笑いそうになった。私服のままだったから、誰なのかわからなかったのかもしれない。
二度見した学生が席を立ってからしばらくすると、学生の集団が相席してきた。彼らは、明日から始まる考査期間について会話していた。
事件のことで頭がいっぱいで、明日から考査期間に入ることをすっかり忘れていた。考査に怯えていたシオリは大丈夫だろうか。彼女の不安げな顔を思い出す。
考査期間中は授業がなく、午前から午後にかけて筆記または実技があり、それが三日間続く。学生たちはこの勝負の三日間に将来がかかっている。この期間は忙しい教員と、そうではない教員に分かれ、後者には休暇を取る者や研究に没頭する者がいる。フェリックス先生は担当を持っていたはずで、学務事務室はその調整に追われているに違いなかった。
私は次々と移り変わっていく学生たちの話題に耳を傾けながら食べた。
◆
ここまでの登場人物(登場順)
リアラ:19才。女性。用務員
シオリ:15才。女性。学生
司書:年齢不詳。女性。司書
セドリック:20代半ば。男性。高貴な一族の道楽息子
アッシュ:16才。男性。学生
レティシア:40代。女性。校長
フェリックス:50代半ば。男性。教授(教会派)
リヒャルト:30代半ば。男性。調理師
ロレンゾ:30代後半。男性。警備員
エリス:20代後半。女性。准教授(国粋派)
マンフリート:40代前半。男性。警備員
秘書:20代後半。女性。秘書
グリフィス:30代後半。男性。国家機関高官
マルグリット:50代前半。女性。事務員
エリオット:50代後半。男性。教授(教典派)
バルタザール:60代前半。男性。教授(教会派)
街の教会にいた女性:20代前半。女性。
御者:30代。男性。