第12話 手紙【2日目】
昨日よりもさらに早い時間に解散してしまい、私は手持ち無沙汰だった。図書室へ向かおうかとも考えたけれど、この時間は昨日よりも学生が多い。外出許可を受けていないから、学校の外に出ることもできない。校内を目的もなくぶらつくのも、仕事中の同僚たちに会うと気まずい。行き場がなくて、職員寮の自室に戻ることにした。
自室のドアを開けて、私はため息をついた。ここは、ただ帰って寝るだけの場所。無機質で殺風景。まるで私の性格のようだった。
備え付けの机、椅子、ベッド、棚、クローゼットが整然と並んでいる。カーテンとシーツは落ち着いた紺色で統一している。冷たい石壁には何も貼っていなくて、前の住人が何かを貼っていた日焼け跡だけがうっすらと残っていた。棚の上には、学校に来たばかりで希望に満ちていた頃に買った、いくつかの小物が置いてある。埃をかぶらないように掃除をするのが面倒で、何度も捨てようと思ったけれど、結局捨てられずにいる。故郷を離れ、新しい生活への期待に胸を膨らませていた自分が、遠い昔の他人のように思える。
ふと、今日は何も食べていないことに気づいた。お腹が空いているから気分が落ち込んでいるに違いない。椅子に座って、レティシア校長からもらった蒸し菓子を頬張った。冷えてぺたぺたしていたけれど、やわらかくて甘かった。
明日は、何を着たらいいのだろう。クローゼットには替えの作業服と、数少ない私服が入っている。小さな刺繍が施された古びた青色の、お気に入りのワンピースは、養母が手作りしてくれたものだった。もしこれを着ていって否定されたら、きっと私はすべてを失った気持ちになってしまう。
私はコットンのブラウスを手に取った。街の服屋で気分が高ぶって買ってしまったものの、この部屋に戻ってから着てみると、自分にまったく似合っていないことに気づいた。あれから袖を通さないままクローゼットに畳んで置いてある。コットンの柔らかい生地に、綺麗に染められたコーラルピンク。どうしてこんな服を買ってしまったのだろう。それまで手が届かなかったような高い服を買ってみたかっただけだったのかもしれない。
これにしよう。この服ならどれだけ否定されても、たぶん私は傷つかない。クローゼットの中にあった暗い色合いのショートケープを肩にかけてみた。たまに使っている服だけど、これでピンクを減らさないと、人前に姿を現したくない。パンツは、どれもシンプルなものしか持っていないから、適当でいいか。
ブローチを手に取る。養父母から誕生日にプレゼントされたものだった。青と銀のガラス加工が複雑な光を反射する。これは、やめておこう。明日は、とにかく目立たないようにやりすごそう。
机の引き出しを開けると、筆記用具の他に、養父母からの手紙が入っていた。
この学校で働き始めたばかりの頃は頻繁に手紙を出していた。やがて、だんだんと手紙のやり取りが減っていった。繰り返しの日常。本を読む時間もなく、その気力さえもなくしていた日々。私が返信していなくても、養父母からの手紙は届いた。
最後に届いた手紙は開封しないまま机の中に眠っていた。その手紙を読み終えると、私は目から涙が溢れて止まらなくなった。綴られていたのは、温かくて優しい言葉ばかり。こんな私でも心配してくれて、帰りを待ってくれている。こんな幸せを、私は気づかないふりをして、遠ざけていた。
手紙を書こう。今すぐに。事件のことは書けないけど、シオリという新しい友人ができたことは伝えたい。彼女は長期休暇中に帰省できないと言っていた。学校にひとり残されるシオリを思い浮かべると、心が痛む。半年後の長期休暇期間には養父母の住む街に帰省しよう。シオリを、私の育った街に連れて行くのもいい。そうしてもいいか、手紙に書いて聞いてみよう。
◆
学務事務室は共通棟にあり、学校に関する様々な事務手続きを担っている。学費や職員の給料を扱う出納業務、各種届出の処理、学校全体の連絡の調整、文章の郵送や受け取り等、幅広い業務があり、たくさんの職員が働いている。
養父母への手紙を出すため、受付にいる職員が来るのを待っていた。いつも忙しそうな部署ではあるけれど、今日の事務室は一段と慌ただしく、まるで戦場のようだった。職員たちは書類を睨みつけ、大きな声で話し合い、険しい顔で駆け回っていた。
養父母と同じくらいの年代のマルグリットが、受付の前に立つ私を見つけ、口早でまくし立てた。
「ごめんないね、待たせちゃって。今日は何回も全体連絡があって、もうまったく手が回ってないの。先生方もピリピリして、会議室に集まって話し合いをしてるみたいで、連絡つかないし」
「ううん、ぜんぜん」
私は首を振った。時間を持て余して、職員寮で落ち込んでいたことに罪悪感を抱いてしまう。マルグリットは私が持っている手紙に目を落とした。
「あら。お手紙? 今日はもう間に合わないから、明日でもいい?」
「うん。忙しいみたいだし、急がないから大丈夫。郵送お願いします」
手紙を渡して立ち去ろうとすると、「リアラさん、ちょっと待って」と呼び止められた。マルグリットは事務室の奥から、一枚の紙を手に早足で戻ってきた。
「はい、これ、外出票」
明日はセドリックの家に行くことを思い出し、外出表を受け取った。明日は早朝に通用門を出なければ、予定の時刻に間に合わない。もし忘れていたら大変だった。
「さっき緊急外出届が来ていたから、ちょうど良かった。お仕事?」
「そうみたい。お昼前に教会だって」
「そう。明日は休校日なのに大変ね。がんばって」
マルグリットは笑顔をつくって、ウィンクしてくれた。
休校日?
マルグリットに言われるまで、明日が休校日だったことをすっかり忘れていた。休校日に出勤すれば、学校から手当が支給される。それに、職務で街に出る際は、移動や食事のついでに自由時間がとれるため、ほとんどの職員にとっては幸運なことでもあった。この学校で生活していると、お金を使う機会がほとんどなく、街へ出ることが唯一の娯楽なのだ。
私はマルグリットに微笑み、「ありがとう」と言って小さく手を振った。本心を言えば、私にとっての娯楽は図書館で過ごす時間なので、せっかくの休校日に街で自由時間を過ごすのはあまり楽しいとは思えないけれど。
振り返ると、事務職員がまたひとり、出入口から駆け込んで来るのが見えた。この戦場はまだしばらく終わりそうにない。
マルグリットの深いため息が、私の背中のほうから聞こえた。
誤字訂正 ✕職員量 ◯職員寮
言い訳になってしまいますが、第12話は投稿時間を誤ってしまい、最終の校正が間に合いませんでした。
他にも誤字や修正したい表現が出てくるかもです。
引き続き、お楽しみいただけましたら幸いです。
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