第30話
竜牙兵達を始末したアシルは何食わぬ顔で王城へ戻った。
相変わらず空は城から吹き出る黒い靄に覆われ、太陽が隠されている影響で暗い。
城内の廊下、天井にふよふよと漂うウィル・オ・ウィスプの明かりを頼りに階段を上がる。
共同部屋の前にはノルがおろおろとしながら何かを探していた。
「……どうかしたか?」
嫌な予感を感じながらアシルが駆け寄る。
「……あ、アシル」
ノルは気まずそうに眼を逸らしながら、
「……あの子。どっか行った」
「……ヘレナが?」
アシルは思わず背筋が震えた。
すぐに部屋の中を探す。
隠れているだけではないかという希望的観測を胸に。
ベッドの下、クローゼットの中。それから扉窓を開けてバルコニーも探す。
「……いない」
「……ノルが部屋に帰ってきた時にはいなかった」
「……そうか」
この生活が嫌になったのだろうか。城内に設けられた客室だけあって馬鹿みたいに広いが、同族を食ってきた屍鬼と同じ部屋で生活している現状に嫌気がさした。
その可能性は否定できない。
だが、彼女が一人で自発的に逃げる事はない。
言動から察するに、逃げるなら地下牢にいる皆を連れていくはずだった。
確かめるためにアシルが地下牢に足を向けようとしたその瞬間、背後に誰かの気配を感じて振り返った。
「――今、少し時間が欲しいのじゃが、いいかの?」
「……ッ」
アシルの影から、ぬるりと姿を現したのは漆黒のローブを羽織ったミイラの魔法使い――不死人である。
「おや、お取込み中でしたかな?」
「……急に転移してこないで、アシュトン」
ノルが眉根を寄せて苦言を呈す。
「わざわざ足を動かすのが面倒に思っての。申し訳ない、ネクロエンド卿」
「……要件は?」
アシルが平静を装って尋ねる。このタイミングでやってきた事に作為的なものを感じる。
「ちと屍鬼人殿に用があっての」
「……俺に?」
「儂の研究室に来てくれ」
「……いつだ」
「今すぐにじゃ」
アシルはノルと視線を交わす。
「前言ったように、俺の爪や血液が欲しいのか」
「……儂個人の用ではない。エルハイド軍の今後を占う事になる」
「……どういう意味だ」
「ザガンが死んで、眷属である吸血蝙蝠が言う事を聞かなくなってしまったのじゃ。アレはアンデッドではないからの」
「……それで?」
「人族の動向を知る事は戦争を優位に運ぶ。空から偵察できる吸血蝙蝠達は見つかって殺されても構わない理想的な偵察兵じゃ。あれを操れるのは吸血鬼のみ。吸血鬼へ進化すれば誰でも従える事ができる」
アシュトンは意味深に笑みを浮かべる。
「だからお主をまず下位吸血鬼の原種へと進化させる必要がある。軍のためにもじゃ」
「……下位アンデッドでははっきり言っていくら倒しても進化できる程の存在力は得られないぞ」
「ネクロエンド卿がアンデッドの作成を代わってくれたおかげでの、手が空いた儂が何をしていたと思っておる」
上機嫌にアシュトンは続ける。
「儂はアンデッド同士を合成させ、より強い存在へと昇華させる事ができるのじゃ。その強化アンデッドたちを何体も作っていた」
「……なるほど。それに打ち勝てば、膨大な量の存在力を得る事ができると」
強くなれるなら喜ぶべき事だ。
ザガンが死んで、相手の情報を得ることができなくなったからこそ偵察役が欲しくなった。
その言い分は納得もできる。しかしヘレナを探す事のほうが大切だ。
アンデッドで溢れる王都内を出歩けば、たちまち亡者の群れに襲われる。
彼女の命がかかっているのだ。
「何故思い悩む?」
「……」
「何か……他にしたい事でもあるのか?」
アシュトンはただただ笑っている。その笑みが妙に癇に障った。
「いや……」
「これはエルハイド様の命令じゃ。断る事は許さん」
「……分かった」
「うむ。それでいいのじゃ。では儂の研究室に案内しよう」
アシュトンの足元に伸びていた影が広がる。
「儂は影がある場所ならば自在に移動できる。この中に飛び込めば儂の研究室に着く」
ノルの方を見つめると、彼女は一度首を縦に振った。
ヘレナの捜索は彼女に任せる他ない。
アシルも頷き返し、覚悟を決めて足を踏み入れた。
ずぶりと身体が沈んでいく不快な感覚。
視界が真っ黒に染まった。
数瞬後、視界が再び一変してすぐの事だった。
上から振り下ろされた何かに押し潰され、アシルは床に這いつくばる事となった。




