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第7話 パーフェクト・ワールド

『90分一本しょおおおおぉぉぶっ! 3カウント、フォーォォォルマッチ!』


 割れんばかりの大歓声が壁の向こうから聞こえてくる。朝浦は壁に背を向けたまま、ぼんやりと行列の様子を眺めていた。兄と弟、小学生くらいの子供2人を連れた家族、手を取り寄り添い合うカップル、杖を付き、お互い支え合うようにしてゆっくりと歩いていく老夫婦……誰もが壁の向こうに、興奮した様子で想いを馳せている。誰もが今日の試合を楽しみにしていたのだろう。


 それもそのはず、今日は帝覧試合なのだ。


 期待以上の快晴だった。穏やかな風が頬を撫で、心地良い日差しが燦々と降り注いでいる。誰もが幸せそうで、誰もが笑顔に溢れていた。

 天空都市・ネオトーキョー……都民には幸せになる義務がある。ここには悲しみや怒りといった感情はない。仏頂面をしているのは、警備を任された朝浦たち警察官くらいだ。会場をぐるりと囲った警察官の網は、ネズミ一匹侵入できない厳重な警戒体制を敷いていた。


 青々とした空に流れ行く羊雲を眺めながら、朝浦は再びため息をついた。本当だったら今日は祝日で、恋人と映画館に行っているはずなのに……とはいえ都民には幸せになる義務がある。お上に対する不満や批判は法律で禁止されていた。それからしばらく、朝浦は眉間に皺が寄りそうになるのを必死に絶えねばならなかった。街は平和そのものだ。羊雲が流れていく……。


「何の騒ぎだ?」


 不意に声をかけられ、朝浦は我に返った。いつの間にか目の前にサングラスの男が立っている。彼は一瞬おや、と思った。会場へと並ぶ人たちは楽しそうな笑顔でいっぱいだというのに、この男だけは何か……嗤ってはいるが……笑ってはいない。()()()が違う。


「入場者はきちんと列に並ぶように」

「入場者?」

「試合を観に来たんじゃないのか?」

「試合?」


 朝浦はますます怪訝な顔をした。ここにいる人たちはほとんどが帝覧試合を観に来ているはずだった。


「アンタ、名前は?」

「名前? ダン・クーパー」


 朝浦は半ば呆れた。クーパー? この男、どこからどう見ても日本人顔である。

 後に彼はインターネットを検索して、この偽名が1971年に実際に起きた事件、シアトル行きボーイング727のハイジャックを成功させた犯人が使っていたものだと知った。


 クーパーは用意させた20万ドルとともに、上空約3000mの飛行機から何とパラシュートで飛び降りて、まんまと逃げおおせた。忽然と姿を消したのだ。空港が金属探知機を導入したきっかけになった事件とも言われている。今思えば、彼がこの偽名を使っていたのは、最初から()()()()()だったのだろう。


「そうか……ダン。ここに何しに来た? ここが試合会場だって知ってるだろう?」


 朝浦は無視してこの男を追い払うことにした。今日は特別な日だ。いちいち奇人変人を相手にしている暇はない。ダン・クーパーを名乗った男はひょいと肩をすくめた。


「誰と誰が戦ってるんだっけ?」

「誰って……主人公と主人公だよ。そんなことも知らないでここに来たのか」


 朝浦はあからさまに嫌そうな顔をして見せた。コイツは典型的な嘘つきだ。あるいはこちらの反応を試すため、わざと知らないフリをしたのかも知れないが……このネオ・トーキョーにおいて、毎回視聴率1000万%越えの好カード、ましてや帝覧試合を知らない者などいるはずがない。


「俺は【レッド・ウッドペッカーズ】が勝つと思うね!」


 ふと、2人の横を行列に並んでいた男がすり抜ける。40代くらいの腹の出た男は、全身赤のユニフォームに身を包み、贔屓の主人公を応援するために、わざわざ地方から駆けつけたらしい。


「【レッド・ウッドペッカーズ】と【ブルー・ウィーゼルス】じゃ相性が悪すぎる」

「何だと? 【レッド・ウッドペッカーズ】はあの有名な物語・累計1億部突破の『キツツキ野郎Kチーム』の主人公だぜ」

「【ブルー・ウィーゼルス】だって『いたちたちの夜』の主人公だ。『いたちたちの夜』は100億PV稼いでる。生涯対戦成績も【ブルー・ウィーゼルス】の方が上だ。絶対に【ブルー・ウィーゼルス】が勝つ」


 一方その隣で、今度は逆に青のユニフォームに身を包んだメガネの男性が不敵に笑い返した。2人はギャアギャアと口論しながら、勇んで壁の向こうに吸い込まれて行った。


「……主人公同士の対戦は、毎回こうやって盛り上がるんだよ」

 朝浦が2人の背中を見送りながら、小さなため息をついた。

「なるほど。どちらが勝つか分からないから面白いんだな? 主人公対悪役じゃ、どっちみち試合の結果は見えてるもんな」

「……ここに何しに来た?」

「別に」

 男が再び肩をすくめた。これ以上肩をすくめたら、両肩が空に飛んでいってしまいそうだ。

「ただタバコを買い足しに来たついでに、フラッと寄っただけだ。めちゃくちゃ行列ができてたからな」

「両方に熱狂的なファンが付いてるから、事の次第によっちゃ衝突も絶えないんだよ」

「それで警備か。アンタも大変だな」

「おまけに今回は帝覧試合だ」


 朝浦は上空を見上げた。巨大な壁の上、羊雲の群れの中。試合会場の天辺には、まるで星屑みたいに、黄金に輝く大気球がふわりふわりと浮かんでいた。


 ネオトーキョーの皇帝・ネオ=ヤマトタケル3世。その一人娘で16歳になられたミコト様が試合観戦に来る。


 数年に一度の帝覧試合とあって、上層部はここ数日肌で感じられるほどピリピリしていた。万が一帝に粗相があっては、たとえ上層部だろうと、まるで黒ひげ危機一髪みたいにスポンスポン首が飛ぶことになるだろう。


 比喩ではなく、文字通り物理的な首が……先日の指環奪還失敗もある。それで朝浦もまた、スポンスポンに巻き込まれたくないので、こうして汚名返上という名の無償奉仕に駆り出されていたのだった。


「そうかそうか! ネオ・トーキョーのお姫様、あのミコト様がねえ。指環にネックレス、古今東西の宝石をジャラジャラ身に纏った、あのミコト様が。そんな高貴な身のお方に、万が一のことがあったら、こりゃ大変な騒ぎになるんだろうねえ」

「何……?」

 

 男は胸ポケットから〈胡蝶〉を取り出し口に咥えた。それからくるりと踵を返し群衆に紛れようとする。

「待て!」

 朝浦は鋭く声を上げ、怪しげな男を呼び止めた。

「なぁアンタ、ちょっと話が……」

 だが彼は最後まで言い終わることができなかった。次の瞬間、彼の背中側、試合会場から、突然巨大な爆発音が聞こえたのだ。それに混じって、観客の悲鳴や怒号が会場の外にも漏れ聞こえてくる。驚いて振り返ると、壁の向こうから黒煙が上がり、大きな穴が空いていた。


「何だ……?」


 試合では時々武器として爆発物や爆弾系の能力が使われることがある。

 場外乱闘であったり、会場の一部が壊れるのも時には演出として催されてきた。

 しかし、今日は帝覧試合だ。

 万全を期した安心安全の決闘(殺し合い)で、そのような危険物が許可されるはずがない。煙は瞬く間に周囲に広がり、目隠しか、黒い霧のように全貌を覆い隠してしまった。


「何だ……!? どうなってる!?」


 他の警察官たちも、一体何が起きたのかと困惑している様子だった。彼はじっと入り口を見つめた。観客は逃げてこない。おかしい。非常用出口も常日頃から複数用意されているし、万が一に備えるため、この日のためだけに中には誘導員まで配置されているはずだった。何か不測の事態が起きている……こちらの想定した以上の何かが。刑事の直感が彼にそう告げていた。


「朝浦さん!」

「突入しますか!?」


 刑事仲間たちが駆けてきてそう叫んだ。朝浦は一瞬躊躇した。会場はなおも黒煙で包まれている。無理やりにでも中に入って様子を確かめるべきか。それともここで待機して、しばらく様子を見るか……結果としてその一瞬の躊躇が、彼を、中にいた観客の命を救うことになった。


『動くな!』


 次の瞬間、スピーカーから流れてきた音声に、朝浦は戦慄した。


『この会場は占拠されている! 我々には人質がいる! お姫様を殺されたくなかったら、大人しくしろ!』

「テロリストだ……!」


 誰かがポトリ、と無線機を取り落とした。隣にいた刑事が、まるで幽霊を見るかのような目で朝浦を見ていた。その顔は恐怖と動揺に引き攣り、血の気が青ざめている。きっと自分も同じような顔をしているのだろう。


 20XX年浮月19日午後13時24分。後に教科書にまで載った『帝都ミコト様誘拐事件』の幕開けである。

 

 残念ながらこの誘拐事件の発生で、朝浦の頭からすっかりこの男のことは吹っ飛んでしまっていた。彼を呼び止めたこともしばらく忘れてしまっていた。もちろん彼が今回の事件の首謀者だとは、この時朝浦には知る由もない。

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