第6話 バタフライ・エフェクト
北の方で、白い光が朝を迎えたかのように輝いている。午尾がそちらに向かうと、四角く区切られた闘技場の中では、既に勝敗が決した後だった。
闘技場の中央で膝を付いているのは......全身迷彩服に身を包んだガンマンと、漆黒の翼の生えた化け物。午尾は舌打ちした。遅かった。先を越された。
「オーホッホッホッホ! 全くお話にならないわねぇ。勇ましいのは口だけかしら!?」
敗北した2人の主人公の傍で、まだ10代かそこらくらいの、うら若い少女が勝ち誇ったように笑っていた。
夜蝶を模った黒いヴェネチアン・マスク。
てらてらと輝く真紅のボディ・スーツ。
腰まで伸ばした金髪ツインテール。
間違いない。『ベイビーフェイス』の女怪盗・夜野依流乃だ。
「やっぱり指環っていうのは、美しい女性にこそ相応しいわよねぇ。オホホホホ!」
「オイ! ルパン22世!」
「あら......失礼ね、やめてよ!」
午尾が駆け寄りながら怒鳴り声を上げると、それに気づいた女怪盗がたちまち仮面の下で顔をしかめた。彼女はこのご時世に怪盗を名乗る傾奇者で、全国指名手配されているお尋ね者だった。
神出鬼没で奇想天外、千変万化で正体不明。
だがそのド派手なコスチューム姿は、今や老若男女知らぬ者が1人もなく、犯罪者ながら密かに彼女のファンもいるとかいないとか。午尾も何度かその犯行現場に鉢合わせしたことがある。
同じ指環を狙っているのだから、そりゃ当然かも知れないが。
「そのあだ名で呼ばないでって言ってるでしょ!」
女石川五右衛門、ルパン22世、夜蝶の魔術師……付けられた呼び名は数知れず。
しかし彼女は、信仰上の理由で、〇〇の子孫と呼ばれるのを特に忌み嫌っていた。何でも『ベイビーフェイス』は人種や出生・血統からも解放された個々人の自由を愛する集団で……しかし他者の信仰など今の午尾にはThis is どうでも良かった。それより指環だ。
「返せ! そりゃ俺たちが狙ってたんだ!」
「あらあら。盗人猛々しいとはこのことね」
「お前にだけは説教されたくないわ!」
頭上に散りばめられた星たちが、瞬きをするようにキラキラと輝いていた。夜野が静かなほほ笑みを浮かべた。彼女の周りが白い煙幕に包まれていく。
「待て! 逃げるな!」
「adiós! ごめん遊ばせ!」
勝利の高笑いを決め込んで、女怪盗は奪った2つの指環とともに、忽然と姿を消したのだった。
「クソッ!」
一足遅かった。決闘を終えた闘技場が解除され、周辺を包んでいた白い光がフッと消える。
後にはただ、静寂と、白ばみ始めた東の空と、それから女怪盗にやられた面々が残されていた。
朝だった。
遠くの方で得体の知れない鳥が鳴いている。大噴火後、中腹に大きな穴が空いたネオフジサンが、おどろおどろしいシルエットを天高く伸ばしていた。
「大丈夫か?」
午尾は近くに倒れていた真昼を助け起こした。
「うぅ……ごめんなさい日向……やられちゃった……」
「仕方ないさ。元々あの女も指環持ちだ。まさかアイツがここまで出張って来るとはな」
「アイツ、強いイビ〜!」
「一生の不覚でガンマン……」
「アンタたち、喋れたの?」
「語尾どうにかならんか」
午尾は顔をしかめた。意識を取り戻した主人公たちが、悔しそうに唇を噛む。
「とにかく、一旦此処を離れよう。早くしないとポリ公どもが押し寄せてくる」
「待ってくれマン」
真昼の肩を抱き、その場を離れようとした2人を、ガンマンとイビルが呼び止めた。
「俺たちも連れて行ってくれガンマン。指環を取り戻さないと……あれがなきゃ、俺たちは酸素ボンベを取られたダイバーと同じだガンマン」
「イビ〜……」
「闇落ちか」
肩越しに振り返りながら、午尾はニヤリと嗤った。主人公とていつまでも主役でいられるとは限らない。敵側に寝返り、ダークサイドに堕ちる者も、今のご時世決して少なくなかった。
「良いだろう。こっちもそろそろ規模を大きくしたいと思っていた頃だ。悪の組織のな」
「恩に着るマン」
「イビ〜!」
「ケケケ。悪役は良いぞォ。主人公は聖人君子みたいに真面目ぶらないといけないが、悪役は何より自由! やりたいことをやって、言いたことを言うのが悪役さ。ただし……」
「ただし?」
地面がゴゴゴ……と音を立て、足元から小型採掘機『モグラ一号』が姿を現した。真昼をコックピットの脇に乗せ、午尾はゴーグルを被りながら運転席に乗り込んだ。
「命の保証はできない。コイツぁ元々1人乗りなんだ。着いて来たけりゃ、後ろにしがみ付くなり、勝手にしろ。運が良かったら、また地上で会おう」
……それから数日後。
周囲には黒墨のように真っ黒な地面が、何処までも広がっていた。建物や人の影は、地平線の彼方まで見当たらない。
焼け焦がれた不毛の大地。
大空襲後のネオ関東平野……その名もなき片隅で、細い白い煙が一本、綺麗な青空へと立ち昇って行く。ガンマンやイビルが捕らえたネズミやカエルを、串焼きにしながら、午尾たちは焚き火を囲んでいた。
「……これからどうするの?」
ようやく怪我も癒え始めた真昼が、午尾に尋ねた。午尾はマウスピースに〈敷島〉を差し込みながら目を細めた。
「決まってる。全国制覇だ。このネオ日本に散りばめられた108個の宝石、それ全部いただく」
「ぜ……全国……!?」
「日本統一マン!?」
「でも……どうやって?」
「そうだな……」
午尾は短く煙を吐き出し、風に乗って立ち昇って行くその先を、面白そうに目で追った。空は晴れていた。くじらの形をした白い雲が、ゆったりと東に向けて泳いでいる。あの空の上に……狙ってる獲物があった。
「『組織を狙う時は頭を叩くのが鉄則』って聞くぜ。トップが潰れりゃ、後は勝手に空中分解してくれるだろうよ」
「じゃ、じゃあ……!?」
「い、いきなり!?」
真昼がごくりと唾を飲み込んだ。
「いきなり……地区予選をすっ飛ばして……全国大会の、決勝を戦るの!?」
「東京だ」
午尾はぼんやりと霧散して行った紫煙の先を指差して、ニヤリと嗤った。
遥か空の上……天空都市となったネオトーキョーは、今や住人のほとんどを転生者によって占拠されている。選ばれし極少数の特権階級が、地獄と化した地上を遠く離れて、清く正しく美しく、まるで天国のように平和に雲の上を漂っていた。
「チマチマやってたってしょうがねえ。まずは東京をぶっ潰す!」