第5話 Catch Me If You Can
……敵がそう言い終わるか終わらないかのうちに、レオンは既に斬りかかっていた。
元々予想はしていたことだった。追う側と追われる側……闘技場を開催するなら、追われる側……身を隠して待っていた側が先手を取りやすい。相手が射程に入ってきた時点で指環を使えば良いのだから。一度決闘開催すれば、勝敗が着くまで解除できない以上、追う側の方が不利であった。
それでもレオンは一切引かなかった。逃げることも隠れることもままならない、ただただ戦うだけの空間。彼は嗤った。閉じ込められたのは、むしろ敵の方だ。
どんなに理不尽な律格を押し付けてきても、最初の一撃で、速攻で敵を倒せる自信が彼にはあった。それは指環ではなく、彼自身の、生まれつきの特殊能力……《遠隔読込》があったからだった。
異世界から転生してきた主人公は指環の律格だけでなく、異次元の能力が使えるのだ。それも『改造人間』のような養殖の粗悪品ではなく、正真正銘天然物、本物の能力だ。空を飛んだり、時間を止めたり……指環が宇宙服なら、能力者は正に宇宙人そのものだった。
金髪がふわりと月夜に舞う。レオンは勢い良く大剣を振り被った。
彼の《遠隔読込》は、どんな環境にも、律格にも左右されない。たとえ彼が何処にいようとも、いつでも何処でも、外出先で《セーブデータ》を呼び出せるという代物だった。
家で《レベルアップ》して、旅先で自由に《遠隔読込》して『続きから』をプレイできる……つまり彼の強さは自分の闘技場の上だけとは限らなかった。指環の発動は早い者勝ちだが、先手を取られたからと言って、慌てることは何もなかった。レオンのレベルは既にLv.99999……を超えていた。
「強い者に、生まれながらの勝者に! 弱者が勝てるはずねえぇだろうがッ! 夢見てんじゃねえぞ虫ケラがぁああッ!!」
殺す。言われるまでもない。全力で。全身全霊でお前の存在を否定し、跡形もなく潰してやる。
レオンは血走った目で敵を見下ろし、怒りに任せて剣を振り下ろした。敵はまだ動かない。薄気味悪い笑みを浮かべて、ぼんやりと突っ立ったままだ。
もちろんレオンは全力だった。それが彼の誤算だった。
「どうなってるの!? 映像、早く!」
その頃、遠く離れたネオ山梨県警察のモニタールームでは、怒号が飛び交っていた。先ほどからドローンの映像が乱れている。
「どうやらアイツら、自前の指環隠し持ってたみたいですね」
「もう! どいつもこいつも、わがままばっかり!」
砂嵐になった画面を睨み、東雲がヒステリックに机を拳で叩きつけた。朝浦は後頭部で手を組み、背もたれに身を預けた。主人公同士が我先にと手柄を取り合って、互いの指環が干渉する……割と少なくないトラブルだった。
こうなった以上、こちらから出来ることはほどんどない。後は律格ではなく、彼らの個人技……生まれ持った能力で現状を打破してもらうしかなかった。
それでも朝浦は心配していなかった。どんな不利な状況になっても、最後には必ず解決してくれるのが主人公という生き物だった。彼らの強さは疑う余地もない。
「だから言ったじゃないですか。3人は多すぎるって。どうしてあんなダイヤに3人も付けたんですか?」
「だって仕方ないじゃない」
朝浦が尋ねると、東雲はひどく疲れた顔でため息をついた。
「『ベイビーフェイス』もあの指環を狙ってる……って噂があったのよ」
「『ベイビーフェイス』……例のカルト宗教ですか」
朝浦は眉をひそめた。最近ニュースで良く聞く名称だ。主役でもない、悪役でもない、善人役……しかしその実態は、現在ネオ日本で加速度的に狂信者を増やしている、新興宗教集団であった。
指環を狙っている輩は多い。異世界転生者を崇拝する者がいる一方で、それに反発する者も生まれた。それが俗に言う『ベイビーフェイス』……正式名称は何たらとかいう長ったらしい奴だったが……ここ数年台頭を表した新興宗教で、全国各地に潜む信者の数は数万とも数十万とも言われている。
彼らの教義をかい摘んで説明すると、
【死は救済である】
……と、こう言うことである。
彼らに言わせれば、異世界転生……死んでも生まれ変われると言う価値観が、人間を堕落させてしまった。天国とか地獄とか、あの世があると思うから人は命を軽く扱うようになった。
あの世をなくそう。
転生の門を閉じ、我々は鎖国ならぬ鎖界すべきである。きちんとこの世を生きるために、人はきちんとこの世で死ぬべきである……と、概ねこういった類の信仰である。
しかし『生きるために死ぬ』と言うのは何だか本末転倒だし、別に異世界転生が本格化する前から、生まれ変わりと言う概念は既にあった。あの世という概念が(単に死者の居場所というだけでなく)生者の慰安・救済でもある以上、やはり彼らの思想は急進的という他なかった。
早い話が彼らは転生者に嫉妬し、さらに嫉妬を憎悪へと、悪感情を煮え沸らせている。異世界転生は悪、転生者こそ排除されるべき……という、言わば転生者に対する逆差別的に生まれた宗教である。
元々地球に住んでいた人々を中心に広まっていた密教だったが、現在は異世界からの転生者にも信者を増やしていると言うから世の中不思議なものだ。永遠の命を生きる人魚姫が人間に恋をしてしまうようなものだろうか?
しかし現実はメルヘンチックではなく、ただひたすらに血と金の臭いに溢れていた。
『ベイビーフェイス』は転生者を暗殺している。今はまだ小規模だが、『自分たちは善い行いをしている』と信じ込んでいるからなお厄介だ。10代から20代の、比較的若い世代の信者が多いことから、童顔の異名が付いた。
「私に言わせれば、悪役も善人役も、国家転覆を狙う大逆者ですよ」
朝浦の隣にいた別の刑事が吐き捨てた。確かに両者とも転生者と対立している。しかし何れにせよ、悪を持って悪を制すという考え方が刑事たちに受け入れられる筈もなかった。あくまでも善人役であり、根っからの善人ではない。裏でどんな非道い行いをしているか分からない……それが彼らに対する一般的な印象だった。
善人役の方は、さらに信者という名のスパイを各所に潜り込ませていた。この間、幸福省の元副大臣が宗教団体からの違法献金で逮捕された件も記憶に新しい。彼は『ベイビーフェイス』の隠れ信者だったとも言われている。
政治の、企業の、教育の、国家の中枢にカルト宗教が巣食っている……闇の向こうから見え隠れする事実に、市井の人々は不安を募らせていた。今こうして座っている警察官の中にも、もしかしたら善人役が潜んでいるかも知れないのだ。
悪役と、善人役と、それから異世界転生してきた主役たち。
現状は主役一強で、三つ巴にもなっていない。だがもし、指環の行方次第では……上層部が今回の捜索に躍起になる訳が、朝浦にもようやく見えてきた気がした。
「悪人同士で、潰し合ってくれりゃ良いのによぉ」
誰かが陰から軽口を叩いた。
「対消滅してくれりゃ良いのに。そしたら万々歳でしょ」
「馬鹿言わないで。市街地を戦場にしたいわけ?」
真面目一辺倒の上司・東雲が部下を睨んだ。朝浦は思わず笑った。現状、誰よりも市街地を戦場にしているのは、他ならぬ主役だったからだ。だったら……
「最後に勝つのは主役よ。決まってるじゃない」
……だったら俺たち脇役は、一体何を守るために戦っているのだろう?
朝浦は目を細めた。返事はない。モニターには依然、砂嵐が浮かんだままだった。
「潰す!!」
レオンの一撃が、煙草男の脳天を叩き割ろうとした、まさにその時だった。
「……何だ?」
直撃したはずなのに、しかし手応えがなかった。彼の大剣は、するりと男の体をすり抜け、砂利だらけの地面を激しく抉った。
「煙……!?」
レオンは目を見開いた。先ほどまで人の形をしていた男が、ゆらりと白い煙になって四方に霧散する。なるほど煙草を吸っていたので、それに関連する能力だとは思っていたが、そういうことか。
「何、だぁあ〜ッ!?」
しかし真の驚きは次に待っていた。
全力で、全身全霊で叩きつけた一撃。勢い余ったレオンの体は、前につんのめり、柄を握っていた腕がビキビキと軋みを上げる。骨が折れる音がする。腕の血管が千切れ、鮮血が噴き出した。腕はあらぬ方向に折れ曲がり、レオンは一回転して顔面から地面に叩き付けられた。
「うぐ……ぁあああッ!? ど、どうなってるッ!?」
砂を噛み、腕の骨を粉々に砕かれても、なお彼は立ち上がった。剣が持てないくらい痛いのに、掌は柄に吸い付いて離れない。振り返ると、煙草男が離れたところでニヤニヤこちらを見下ろしていた。痛みと、怒りで端正な顔をグチャグチャにしながら、レオンは再び男に襲いかかった。
「貴様ぁああッ! 何をしたッ!?」
再び渾身の一撃。数々の魔物を屠り去ってきた、伝説の勇者の一振り。だが剣は今一度空を切った。またしても男の影は、煙のように消え失せた。剣が地面にめり込む。遠心力で吹き飛ばされたレオンは、近くの木に激突した。
「あが……!?」
「云っただろう? 《全力で戦え》って」
少し離れた場所に、またしても煙草男がすぅー……っと影の中から姿を見せた。いつの間にか周囲には白い霧のようなものが漂っている。レオンは戸惑ったように男を見上げた。コイツの能力は分かった。煙で分身を作るだけの、チャチな能力だ。しかしこれは……!?
「人間ってのは普段から全力を出さないようにしてるらしいぜ。力を制御して生きてるんだ。せいぜい70%かそこら……脳に至っては10%も使ってないんだと」
「な……!?」
「ま、どこまで本当かどうか分からねぇけど……そりゃそうだよなァ。相手を殴る時力加減も分からないようじゃ、自分の拳が壊れっちまう」
「貴様……まさか」
煙草男は胸ポケットから〈胡蝶〉を取り出し、新しく火を点けた。凍て付くような氷の瞳でレオンを見下ろして、再びその身を霧の中に溶かして行く。
「ほらどうした? 《全力で戦え》よ。好きだろこういうのお前。限界超えて戦う、とかさ。自分の体が持たないかも知れないけど、なぁに、気にすんな。鍛えに鍛えた自分自身がボロッボロになるまで、戦い続けろ!」
「貴様ぁああッ!」
レオンは怒りに任せて立ち上がった。既に両腕とも折れていたが、彼の体は重たい大剣を持ち上げるのを辞めなかった。戦い続けることを辞めなかった。彼は自分自身の肉体が傷付くことも省みず、全力で、全身全霊で敵に剣を振い続けた。当たらない。
「どうした主人公!? もう休憩か? 疲れたなんて言わせないぞ! 破破破破破!」
「ああああああああ!!」
普段なら到底立てないような怪我でも、彼は全力で立ち上がった。休むべき時に休めなかった。足の腕が折れた。腰の骨が砕けた。それでも彼は立ち上がろうと踠き続けた。肉体が悲鳴を上げても、精神が擦り切れても、彼は全力で戦い続けた。戦っていたのか、戦わされていたのか……彼には信じられなかった。
自分より弱いのに。
全力で戦っているのに。
全ての数値が自分より劣る相手に、どうして俺は手玉に取られている!?
「あのさぁ……お前のファンタジーって、いつから数字になったん?」
「……!」
やがて酷使し続けた彼の肉体はとうとう限界を迎えた。力加減ができなくなった青眼の金髪剣士は、全力で戦い過ぎて、そのうち呆気なく死んだ。