第4話 LEON
「たかだか1カラット以下の捜索に、主人公3人か」
大げさな。
初めに朝浦が抱いた感想は、そのようなものだった。目録にも載っていない、取るに足らない小粒の宝石。わざわざ主人公を駆り出さなくても、我々治安部だけで十分対処できるのに。
「念には念を入れて、よ。指環の力は貴方も知っているでしょう?」
窓際のデスクで、朝浦の上司・東雲が至極真面目な顔をしてそう言った。朝浦は肩をすくめて窓に歩み寄った。ブラインドを指で掻き分け、5階から玄関を見下ろすと、ちょうど話題の主人公たちが出発しているところだった。
1人目は、正統派ファンタジー世界から転生してきた青い瞳の金髪剣士。銀色の、ゴテゴテした鎧に身を包み、背中に自分の身長よりも巨きな剣を背負っている。腕が2メートルくらいないと、鞘から抜けないんじゃないだろうか。どうやって抜刀するのだろう……と疑問に思ったが、口には出さないでおいた。ファンタジーに突っ込むのは野暮というものだ。
2人目は、FPSの世界からやってきた、凄腕ガンマン。どんな銃火器をも巧みに使いこなし、神の視点……まるで画面の外から戦場を見下ろしているかのような正確さで、狙った獲物は決して外さない。さらに銃撃を受けても、数発程度なら視界が赤くなるだけで済むという、脅威のタフネスさを併せ持つ。
そして3人目は、なんとホラー界で売り出し中の若手、怪物・イビル=グレムリン(邦題)だった。
ティーンエイジャーを中心に話題になっていて、朝浦も好きなシリーズだった。主人公よりも敵役じゃないかと言われるかもしれないが、あいにくホラー業界では人間よりも化け物が主役なのだ。
「イービイビイビイビ!」
何ともふざけた笑い声だが、奴の恐ろしさなら何度も劇場で観た。今宵も大量の人間……いや肉人形を血祭りに上げるべく、イビル=グレムリンは漆黒の肌を月夜に晒し、自慢の牙と爪を尖らせていた。
何れもトッププロとして、各界で大活躍している強力な主人公たちである。
「御愁傷様」
朝浦は窃盗犯に同情した。これじゃどう足掻いても、悪者には勝ち目がない。明日の夕方には『主人公大勝利』のニュースが流れるだろう。いや、最近は引き伸ばしが酷いから、どうせ『来週に続く』かもしれない。
「指環は持たせないんですか?」
「決闘主催は私たちで先導するわ。3人に持たせたら、喧嘩になりかねないから」
東雲が当然でしょう、と言った顔で肩をすくめた。指環持ち同士でお互い決闘主催した場合、どちらがその闘技場の支配権を得るかは、基本早い者勝ちになる。完璧に同時なんてことはあり得ないが、稀に同ランクの指環同士が干渉し合って、泥沼のバーリトゥード・デスマッチに発展することもままあった。
ここが主人公組の悩みの種である。どいつもこいつも自分が主役だと思っているから、サポートに回るだとか、助け合うと言った考え方に乏しい。なまじ各々が強いものだから、余計他人の話を聞かない。何でも自分だけで解決できると思い込んでいる。脇役になりたがらないのだ。だからこそ朝浦のような『改造組』……地球生まれの先住民も、こうして仕事にありつけるのだが。
朝浦の勤めるネオ山梨県警察は、10年前に噴火したネオフジサンの麓に仮設されていた。異世界転生が本格化してから、警察とは名ばかりの、何の権限もない空虚な組織に成り下がった。
「カメラドローン、もっと寄って」
東雲が、オフィスに所狭しと並べられたモニターの山に素早く目を走らせる。
特殊能力を持った主人公たちの補佐。
かつて捜査一課としてバリバリ腕を鳴らしていた朝浦の、現在の仕事が主にそれだった。異世界転生が具体的に顕在化してから、「殺人」というものが成立しなくなってしまった。
誰かを殺しても、厳密には死んだ訳ではなく別の世界に移動しただけ……と言われればどうしようもない。旧態依然とした法体系の崩壊……少なくとも人々は犯罪行為をかつてほど強く非難しなくなった。探偵は廃業した。正義の主人公が、街中で悪者を懲らしめても誰も咎めたりせず、むしろ皆熱狂していた。娯楽としての魔女裁判、私刑という名の誤った正義感の台頭である。
転生者がやってきてから……多元宇宙との世界線が崩壊してから……今やこの国では治安維持のほとんどが主人公の私刑で成り立っている。法の支配など無きに等しい。あるのは、指環による支配。主人公の、主人公による、主人公のための支配だった。
主人公が悪いと思った奴が悪い。彼らに目を付けられたら、扱いは人間以下だった。一般市民はそんな指環持ちの機嫌を損ねないように、まるで腫れ物を触るかのように過ごしていた。
「24番。水晶を主催して」
タッチパネルで画面を拡大させながら、東雲がイヤホンマイクで的確に指示を出す。
24番。
ネオ山梨に割り当てられた決闘指環の一種だ。ネオ日本には現在108個の指環が持ち込まれている。個人所有のものがほとんどだが、中には各地域に奉納され、地主神的な存在と化した指環もあった。水晶もそのうちの一つだった。それぞれ担当地区があり、独立した自治区のように各々がご当地ルールを制定していた。ネオ山梨であれば、たとえば、①《ブドウは宝石のように扱わねばならない》とか。
既にこの国の、いやこの世界の全域を、強大な力を持つ指輪網が覆っている。
指環の影響下から逃れるためには、ネオアマゾンの奥地だったり、ネオフジサンの麓だったり、人間が住めないような秘境に行く他なかった。
「行くわよ……みんな!」
東雲が天井に指を向けると、遠隔操作された決闘指環がふわり、と地面から浮かび上がった。一度ペアリングしておけば、離れた場所にあってもこうして自由に動かせる。持ち主が敗北したり、再起不能にならない限りは。
「決闘開催!!」
決闘主催の合図とともに、画面が白く、まるで朝を迎えたかのように輝き始めた……。
素晴らしい朝が来た。死闘の朝だ。
1人目の主人公・青眼の金髪剣士は、名をレオンと言った。彼は地元の異世界で、何度も世界を救ってきた伝説の英雄だった。シリーズ化され、何度魔王復活しても、その度に勝利を収めてきた。それは彼の律格①《レベルアップ》によるところが大きい。
【敵を倒すたびに強くなる】。魔物の首を刎ねるたび、息の根を止めるたび散っていった命が己の糧となる。それは彼に極上の愉悦をもたらした。あぁそうか。俺は特別な存在なんだ。この世界の主人公なのだ。
レオンは何処に行っても英雄だった。どの街の、どの家にも平然と不法侵入を繰り返し、物品を漁った。お前のものは俺のものだった。食べ物を奪い、女を襲い、飽きたら首を刎ねて《レベルアップ》した。誰も咎める者はいない。
それどころか皆、手放しでレオンを褒め称えてくれる。勇者様。英雄様。失敗したら②《セーブポイント》まで戻ってまたやり直せばいい。彼は人生において『失敗』だとか『挫折』とはまるっきり無縁だった。春夏秋冬、いつだってファンファーレが鳴り響く。一点の汚れも無き栄光。SSSSSSS、SSSSS……ランク。何をしても許されるのは、選ばれし者の特権だった。
東の空が白く光った。
どうやらあちらの方で闘技場が開かれたらしい。乗り遅れてなるものかと、レオンは急いで樹海を方向転換した。警察署を出発してから、チームはすぐにバラバラに動き始めた。顔をマスクで覆った怪しげなガンマンは、遠距離射撃のためにすぐさま身を隠し、黒い怪物に至っては奇怪な叫び声を上げて何処かに飛び去ってしまった。
この仕事が終わったら、アイツらの首も刎ねてやる。柄に手をやりながら、レオンは低く嗤った。主人公は1人で良い。残りのボンクラは、この俺様をお膳立てするだけの有象無象に過ぎないのだ。
レオンの左手の中指では血赤サンゴが妖しげな虹彩を放つ。無能な警察官共はレオンの指環を回収した気になっているが、彼は当然のように偽物を提出した。それは他の2人(いや、1人と1匹か?)も同じだった。当たり前だ。宇宙に行って宇宙服を脱ぐ奴があるか。
異変に気がついて速度を緩めたのは、それからしばらくしてからだった。肌にヒリヒリとまとわりつくような質感。姿は見えねど確かにそこに在る殺意と敵意。この感じをレオンは良く知っていた。戦いの合図。誰かが此処で決闘開催したのだ。知らぬ間に、俺は闘技場の上にいる……。
「ルールその①だ」
驚いて振り返ると、少し離れた木陰に煙草を咥えた、まだ20歳かそこらの青年が立っていた。レオンは素早く抜刀した。黒髪の青年は紫煙を燻らせながら、ニヤリと嗤った。
「《全力で戦え》」