表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/31

第2話 大脱走

 会場に一歩足を踏み入れた途端、午尾は思わず息を飲んだ。スタンドは大勢の観客で埋め尽くされていた。鼓膜が、心臓が破れんばかりの大歓声。天井から降り注ぐ白い光線。足元は、地震でも起きたかと勘違いしてしまいそうなほど揺れていた。


 まるで爆風だ。大気を震わす熱量に身体が押し返されそうになって、彼はグッと踵に力を込めて踏ん張った。何千、いや何万……ぐるりと闘技場を囲んだ大観衆の全てが、声を枯らして熱狂に身を委ねていた。公開処刑は、今日も満員御礼だった。


「殺せーッ!」

「敵を殺せぇッ!」

「やっちまえ! そのクズを許すなッ! 極悪人は叩き潰せッ!」


 一瞬怯みそうになる自分を奮い立たせ、顔を上げる。眩しい光の向こうに、笑顔で獲物を待ち構える大男と、夥しい量の返り血が微かに見えた。


 午尾はゆっくり、ゆっくりと鉄球を引きずり、中央の闘技場へと歩を進めた。一歩進むごとに、会場の熱気は跳ね上がっていく。四方八方から怒号と罵声が浴びせかけられる。分かっていたことだが、完全アウェイだった。此処にいる全員が午尾の処刑を望んでいた。


(いつもの事だ)


 階段を昇りロープを潜る。鉄球は外されたが、手錠は付けられたままだ。リングでは自分の2倍ほどの身長もある主人公が、腕を組み仁王立ちして待っていた。売り出し中の若手主人公が午尾を見下ろしてマイクを握り締めた。恒例のマイクパフォーマンスだ。どうもコイツらは、戦う前や戦った後には必ず、カッコ良さげな名言・格言を残さずにはいられないようだった。


 それから約3分間、道徳の教科書みたいな美辞麗句が続き、午尾は欠伸を噛み殺した。観客は水を打ったかように静まり返り、うるうると目に涙を浮かべている。おかげで彼は笑いも堪えなくてはならなかった。独りよがりな持論をぶち撒けて気持ち良くなった主人公は、お説教がひと段落してから、午尾に尋ねた。


「『改造済み』か?」

「ん?」

「『能力は使えるのか』と聞いているんだ」

「嗚呼……」


 改造。


 異世界転生者やその血筋は、特殊な能力を持っているが、午尾のように地球生まれの者にはそんな能力はない。自分も何か特別な能力が欲しい。空を飛びたい。不老不死になりたい。強靭な肉体を手に入れたい……人類の長年の願いを易々と叶える転生者を目の当たりにして、人々はその欲望をますます強くした。


 そこで流行ったのがゲノム編集や遺伝子操作を始めとした『改造手術(トランスフォーム)』である。いわゆるデザイナーベイビー……生まれつき足の速い子や体の強い子を、ゲームのキャラメイク画面のように設定しようというのだ。2014年には猿のゲノム編集に成功していたから、後は倫理観の問題だった。転生者の登場により、人類は堰を切ったようにDNA改変に勤しんだ。


 午尾も5年前……16歳の時改造手術を受けた。生まれつき才能を持つ者、特殊能力を使える者やその血筋を『血統書付き』『血統種』などと呼ぶ。逆に、改造手術を受けて能力を手に入れた者は『無能』『雑種』『改造済み』と呼ばれ、差別が生まれた。


「お前の『能力』は何だ?」

「…………」


 主人公の巨大な顔がずいと迫ってきて、午尾は閉口した。馬鹿かコイツは。コミック雑誌の間抜けな敵役じゃないんだから、ベラベラと自分の能力を話す訳がないだろうが。


 だが主人公はニヤリと笑うと、午尾の顔の前に人差し指を立ててみせた。その指に、龍の紋章が刻まれた、銀色の指環が嵌められている。午尾は息を飲んだ。指環。これが……!


「言え。ルールその①・正々堂々。【このリングではお互い能力を開示した状態で戦う】。ちなみに俺の能力は【不死身】だ。何があっても死ぬことはない。うひひひひ。さぁ、お前の番だ。観客にも聞こえるように、大声でな」

「そうか……」


 午尾は納得した。それがこの闘技場の、この戦いの()()()か。


「……タバコくれねえか」

「何だと?」

「なぁ、頼むよ。冥土の土産だと思って」

「……それはお前の能力と関係があるのか?」

「嗚呼」

 

 半信半疑だったが、やがてリングの外から観客の誰かが煙草の箱を投げ入れた。両切りの〈敷島〉。マウスピースが無いが、今は仕方ない。くしゃくしゃになったそれを拾い、ともかく午尾は口に咥えた。


「俺の能力は……」

 観客も主人公も、興味深げに身を乗り出してきた。


「……『吸った煙草の銘柄によって、発動する能力が変わる』。何が発動するか、正直俺も全部は把握していない。その煙草次第だ」


 その途端、主人公の顔が突然炎に包まれて、橙色の業火がリングの上で踊った。


「ぐああああッ!?」

「マウスピースがありゃ、もっと火力も出るんだがな。いくら不死身だからって、熱さは感じるんじゃねえか? 破破破破破!」


「貴様ァ……良くも!」


 自分から能力を開示しろと命令しといて、何故か怒り心頭になった主人公は、中指を立てて午尾にピースサインを作って見せた。午尾は目を細めた。怪しい。恐らくあれがシュートサイン……この闘技場のルール開示条件だろう。


「ルールその②! 捲土重来! 【主人公側が一定のダメージを負った場合、仮に試合中であっても……ぐあ!?」


 相手が全部言い終わる前に、午尾は目の前に掲げられた指をへし折った。

「あぎぃッ!?」

 膝蹴りで、ついでに喉も潰しておく。①【お互い能力を開示する】というルールは、裏を返せば、声に出して喋らなければならないということだ。喋れない相手には通じない。


 ルールを設定するためにはクリアーしなければならない条件が存る。


 これで対戦相手が設定していた、この闘技場のルールは破られた。此処からはルール無用の戦いという訳だ。条件の設定が甘いからこうして簡単に破られる。これからは自分も気をつけなくてはならないな、と午尾は思った。彼は素早く周囲に目を走らせた。どうせ主人公が勝つと油断している観客は、これも演出だと思ったらしい。今のうちに此処から抜け出さなくては。どうやってここを突破するか……。


「あがあああああッ!!?」


 だが、さすが主人公は不死身なだけあって、顔中を炎に包まれながらも午尾を押し倒してきた。ご自慢の巨体で馬乗りになって、必死に3本目の指を立てようとするも、折れているから上手くいかない。どうやらルール③の発動は免れたようだ。どれだけ自分有利の、劣悪な条件を押し付けるつもりだったか知らないが……午尾は不敵に笑った。


「がああッ!!」


 その顔目掛けて、握りしめられた量の拳が振り下ろされる。まるで岩石だった。メキメキと頭蓋骨が砕ける音がして、午尾の視界はたちまち真っ赤に染まった。煙草が口から滑り落ちた。煙草を吸うどころか、息を吸う暇もなかった。


「ぐ……!」

「鼻水みたいにズルズル脳汁ぶち撒けやがれぇッ! この下種がァッ!!」


 このままでは顔に穴が開く。意識が急激に遠のきかけていた。地獄に堕ちたら、まず何よりも先に耳鼻科を予約しなければならないな……迫り来る岩石を見つめながら、そんなことを思っていると、不意に彼の目の前に影ができた。


「何だ……?」

「何だぁ!? これは!?」

「……サッカーボール?」


 主人公の会心の一撃が、致命傷を与えるはずだった拳が、ボールのクッションでほんの少しだけ和らげられた。その途端、轟音が鳴り響いて、闘技場の床が抜けた。


「何だぁあああッ!? 何が起きてるッ!?」


 一瞬午尾は、拳の威力が強過ぎて会場を壊したか、あるいは本当に地震が来たのかと思った。観客は大混乱だった。天井からライトが流星のように振ってきて、悲鳴と怒号が交錯する。ガラガラと音を立てて崩れ去っていく会場の、その下から、不意に巨大なドリルが現れた。


「お待たせ!」


 小型採掘機のコックピットから、見知った顔が午尾に手を振っていた。どうやら秘密の地下道から、闘技場の真下まで掘ってきたらしい。カーキ色の作業服に身を包んだ少女が、ゴーグルを外しながら白い歯を見せた。


「ヒーローは遅れてくるものでしょう?」

「遅れすぎだろ!」


 瓦礫を押し除けながら、午尾は悪態をついた。約束の時間はとっくに過ぎていた。こっそり脱獄する計画が、全国中継されている会場の、そのど真ん中に姿を晒すとは。


「まぁまぁ。そんな計画通り行かないものなのよ。早く乗って!」


 少女に急かされながら、午尾は瓦礫の山と化した会場を振り返った。そこら中でパニックが起こっていた。少し離れたところで、対戦相手がリングの下敷きになって横たわっている。自称・【不死身】なのだそうだから、まぁ大丈夫だろう。だとしたら止めを刺す意味もなさそうだ。不死身の人差し指から、銀色の指環を抜き取り、午尾は舌なめずりした。もう一度周囲を見渡すも、やはりサッカーボールは見当たらなかった。


「どうしたの?」

「いや……」

 ……いくら何でもタイミングが良すぎる。午尾は元来、ピンチになったら誰かが助けに来るとか、そんな都合の良い展開を信じちゃいなかった。恐らくは待ち構えていたのだろう。自分の身を挺して、午尾を助けるその瞬間を。


「……ありがとう」


 運転席で、ゴーグルの少女がアクセルとブレーキを同時に踏み込んだ。強化ガラスの前で、ドリルが勢い良く回転を始める。小型採掘機が武者震いするかのように振動した。


()()()()は!? 手に入れたの!?」



 助手席なんて洒落たものはないから、後ろのスペースでテトリスみたいに身を捩り、午尾は右の掌を開いて見せた。先ほど不死身から奪い取ったばかりの、龍の紋章が刻まれた、銀色の指環。少女が首を伸ばして、匂いを嗅ぐ猫のようにそれを覗き込んだ。


「これが……決闘指環(ペアリング)

「嗚呼。これで……」


 銀の指環が午尾の掌の上で、キラリと光った。

 これで俺も、ルールを設定する側に回れる。

 もうアイツらに、一方的に不利な条件を押し付けられなくて済む。


 午尾は不敵に笑った。これでお互い同じ土俵で、心ゆくまで真剣勝負ができるってワケだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ