第21話 サイコ
……なーんて、不適切にもほどがある妄想は胸のうちにしまい込んで、朝浦麻矢は、高校生に上がる頃にはすっかり好青年を演じ切っていた。
清く、正しく、美しく。
朝は7時起床。朝食は和食派。ご飯に納豆と生卵を乗せて食べるのがマイブーム。一人っ子で、共働きの両親からは半ば過保護気味に育てられた。これといった反抗期はまだない。親と喧嘩することは滅多にないが、お小遣いが未だに月3000円なのと、少年漫画とバラエティ番組は「過激だから禁止」されているのを、密かに根に持っている。
でも大丈夫。ストレスが溜まったら、よわいものいじめをして発散するから。
もちろん優等生なので、見つかるようなヘマはしない。自分は直接手を下さない。頭の中まで筋肉で出来ているようなバカを嗾けるのだ。
アイツが裏であんなこと言ってましたよ。
コイツ実はあの時……ね。
彼らが大事にしているのは、何よりも面子なのだ。ペニスの大きさ勝負が何よりも大事なお年頃の奴らときたら、ちょっと挑発してやると、すぐ頭に血が昇る。
告げ口。陰口。誹謗。中傷。嘘。はったり……それで、猿山の集団が、自分の狙い通りに動いてくれることが彼には快感だった。特定のグループ同士をわざと敵対させて、戦争状態にまで持っていったこともある。気分は某国のスパイだ。涼しい顔で人を怒らせるのが好きだった。
思えばこの辺りから、彼の裏方としての、陰で人を操る才能が片鱗を見せていた。
高校では空手部に入った。合法的に人を殴るためだ。主人公ほど、良く人を殴る。朝浦少年は友達から借りたコミックを読んでそう学んだ。
すごい。何て面白い話なんだろう。物事を解決するのは、最終的には暴力だったんだ。
自分も殴ってみたくなった。人を殴ったら、どんな感触がするんだろう? どうやって人は壊れるんだろう? 殴って褒められるなんて、主人公って、何て羨ましい奴らなんだろう。彼はキラキラした目で空手に取り組んだ。
しかし残念ながら、彼に格闘技の才能はなかった。運動神経はさっぱりだった。どれだけ筋肉を鍛えても、腕っぷしは人並みか、下手したらそれ以下だった。本人の根気も辛っきしだった。何かを始めても、三日と長続きしないのだ。諦めた。努力はコスパが悪い。わざわざ体を鍛えるくらいなら、最初から武器を持った方が効率的だ。
それで、彼は武器を持つことに決めた。初めは折りたたみナイフ。次第に刃渡りは長くなっていった。気分は侍だ。空手部から剣道部に移籍して、将来は警察官になろうと決めたのもこの頃だ。合法的に銃を持ち歩くためだった。
もしこの時、彼に格闘技の才能があったら……あるいは別の未来もあったのかもしれない。
「朝浦、ちょっと来い」
一年の秋、担任の教師に呼び出された。その教師は……今や顔も朧げで、名前すら覚えていないが……まだ若く、人一倍責任感の強い、正義感溢れる教師だった。クラスの人間共に上手く擬態していた朝浦少年を、いち早く見抜いたのもこの教師だった。
「実は最近、うちのクラスでいじめがあっているという報告があってな」
放課後。朝浦は職員室から少し離れた、生徒指導室という狭い部屋に二人きりで閉じ込められた。問題を起こした生徒が教師から詰められたり、反省をするための部屋だ。自分には無縁の部屋だと思っていたから、朝浦は物珍しくてキョロキョロ部屋の中を見回した。
「名前は明かせないが……一応クラス委員のお前にも知っていて欲しくてな」
「そうですか」
「それだけか?」
「え?」
薄暗い部屋の中で、担任は朝浦をジッと見つめながら唸った。
「よわいものいじめをして……気が咎めないのか?」
「えぇ?」
朝浦は戸惑った。
「先生、勘弁してくださいよ。まるで僕がやったみたいに言わなくても……」
「……たとえ直接は殴らなくても」
「言葉の暴力というものもある。他人を唆したり、あるいは見て見ぬふりをすることも、十分人を傷つける行為だと思うがね」
「まいったなぁ……」
朝浦は苦笑いを浮かべ、肩をすくめた。
「何でよわいものいじめしちゃダメなんですか? ちゃんと論理立てて、分かるように説明してください」
「何?」
「動物の世界だってよわいものいじめはありますよ。強いものが勝ち弱いものが死ぬ……この世は弱肉強食です。それに、別に良くないですか? いじめは犯罪じゃないでしょ?」
朝浦はせせら嗤った。
「だって、いじめで加害者が捕まったことあります? ルール上別に問題ないでしょう。みんなやってますよ。殴ったり、パクったり……誹謗中傷や何たらハラスメントなんて、日常茶飯事じゃないですか。大の大人が率先してやってる。一般道の50キロ速度制限と同じです。誰も守ってる奴なんていない。捕まるのは運が悪い奴だけです」
「何だと……」
「それとも大人の人は、みんな人を傷つけないし、よわいものいじめはしないのかなぁ? 僕にはそうは思えません。大人がやるから子供がそれを真似する。子供は大人の背中を見て育つって言いますよね?」
「朝浦……お前」
「だったらアンタのせいだ。僕は悪くない。僕らがこうなったのは、アンタら上の世代のせいですよ」
担任は椅子に座ったまま、絶句して朝浦を見上げた。朝浦は授業中と変わらない態度で、優等生らしくにっこりと笑った。
「それに……困るのは先生の方なんじゃないですか?」
「何……?」
「もし担当のクラスでいじめが発覚したら……かわいそうに、先生は世間から叩かれまくるでしょうね。職を追われますよ。名前も、住所も、顔写真も、プライベートは徹底的にネットに晒し上げられて……家族ともども、死ぬまで石を投げられるでしょうね。それでも良いんですか?」
窓の向こうから、西陽が差し込んで来ていた。グラウンドでは、部活生達が大きな声を上げていて騒がしい。
「それよりも……僕と手を組みませんか?」
顔を歪ませる教師に、僕なら、と朝浦は笑った。
「僕なら、いじめをなかったことにできます。もうやめろって、僕が号令をかければ済む話ですから。月3万……いや5万でどうですか? いじめのサブスクです。毎月お金を払って、教室の安全を買うわけです。安いもんでしょ?」
「冗談じゃない……私にそんな交渉が通じると思ってるのか!?」
激昂して立ち上がった先生に、朝浦は刃渡り20センチの出刃包丁を取りだして見せた。
「な……!?」
「交渉じゃねえ。脅迫してんだよ」
「き、貴様……!」
「やれやれ。教師ってのは随分と頭が悪いんだな? テメーも校長みたいにお利口さんだったら、もうちょっと長生きできたかもなぁああ」
「何……!?」
その言葉が合図だったかのように、指導室の扉が突然向こうから開かれた。現れたのは、校長だった。校長が、青い顔をして、ロープを片手に扉の前に立っていた。
「校長は買ったよ」
「は!?」
「教室の安全をな。それともパパ活写真の方だったか? まぁ良い。これからは教育もサブスクの時代だぜェ! 破破破破破!」
西陽差す教室に嗤い声が谺した。その教師は……人一倍責任感の強い、正義感溢れる教師だったが……残念ながら冬を待たずに退職する運びとなった。その後、彼は人知れず行方不明となり、未だに見つかっていない。最後に目撃されたのは、老人の運転する車で、高校生らしき少年と山を登る姿だったと言う。




