第17話 フェイス/オフ
「撃て!」
雲一つない青空に、弔銃の空砲が鳴り響く。黒い礼服に身を包んだ男たちの脇を、真っ白な、若い海兵隊の面々が硬い表情で下がって行った。
人は死んだら異世界に転生する。
とはいえ、それで惜別の念や宗教的な儀式が消えてしまうということではなかった。死への恐怖も、どれだけ科学が発展しようとも、動物的な本能として人々の間に残り続けた。天国に行けるからと言われて、じゃあ喜んで今すぐ死にます、と言う奴がいるだろうか? そんな奴はよっぽどの○○か、テロリストくらいだ。
かつて日本では、戦場で死ぬことが名誉とされていたらしい。現代は違う。兵士たちは戦場で生き残ることを、訓練で叩き込まれる。命は有限で、無駄にできない。
いくら試験管で大量生産できるからと言って、一人前になるまでに何十年もかかる生物資源を、いちいち無駄死にさせていては、さすがにコスト・パフォーマンスが悪かった。
何より、歩兵が全滅してしまっては、王将が自ら戦場に赴かなくてはならないではないか。
中央広場では追悼式が続いていた。朝浦少尉。享年48歳。淡路島で敵と交戦中に凶弾に倒れ、帰らぬ人となった。
『死んで行った仲間たちのためにも、必ずや、テロリスト共を殲滅せねばなりません……』
広場では誰かの鷹揚な演説が続く。四角い顔写真で控えめな笑顔を見せる朝浦を、白夜は参列に混じり、じっと見つめていた。側から見れば、何処にでもいそうな、ありふれた一般人だったかも知れない。
実際、平凡な男だった。主人公のような特殊な能力は持っていなかった。自分は脇役だと言い切っていた。だけど、身寄りのなかった白夜を引き取り、時に父親のように……時に恋人のように……親身になってくれた。警察組織がテロとの戦いで事実上解散し、軍隊に招集されてからも、彼は身を粉にして市民のために働いていた。
不思議と涙は出なかった。誤解を招くかも知れないが、白夜は葬式の類で一度も泣いたことがなかった。
どうしてだろう?
別に悲しくないわけじゃないが、どうも実感が湧かないのだ。むしろ、彼がこの世からいなくなったのを実感するのは、これから日常に戻ってからかも知れない。これから、たとえば、夜中に急にカプチーノが飲みたくなって、連絡したけど返事がない……そんな時……。
広場を抜け出し、白夜は軍服を脱ぎ捨て、私服に着替えた。用意された服は何だか全体的に薄っぺらく、無駄にヒラヒラとしていて着心地が悪かった。
そういえば、最後に私服を着たのはいつだろうか?
……思い出せない。それくらい、彼女は軍に、各地で行われる戦闘に入り浸っていた。
誰かに見つからないよう、こっそり化粧室で変装を施す。ネオ日本人の平均寿命が120歳にまで伸び、アンチエイジング技術が発展した現代では……略……とにかく変装はバッチリだった。誰が見ても……たとえ肉親でも……白夜とは気付けないはずだった。
それから転送室は使わず、一般市民に混じり、彼女は地下鉄で都内へ出た。
ネオ・シンジュクは戦時中とは思えないほど活気に溢れていた。白夜は呆気に取られた。道行く人は驚くほど薄っぺらく、カラフルな衣装に身を包んでいた。どうして皆、防弾ベストを着込まないで、平気な顔をしていられるんだろう? あんな目立つ色の服を着て、自分を標的にしてくださいと言っているようなもんじゃないの。
もっとも、今の白夜も、人のことは言えなかったが。
久しぶりの非戦闘区域だった。慣れない場所に出てきたせいか、どうも浮いている気がする。皆の好奇な視線を避けて、白夜は足早に待ち合わせの場所へ向かった。
今回は……いや今回も、か……白夜単独での行動だった。
皆には秘密にしてある。上司にも、結局朝浦にも、このことは相談出来なかった。
「白夜ちゃん!」
幸い、AIチップがダウンロードした最新のナビで、目的の場所はすぐに分かった。駅前の、待ち合わせのカフェの前で。これまたド派手な衣装に身を包んだ少女が、白夜に向かって大きく手を振っていた。白夜は目のやり場に困った。少女……あの日、依流乃と名乗った少女が、ニヤニヤと白夜を眺め回した。お互い顔は変えているが、服装を目印にしていたのだ。
「似合ってるわよ、その服。メイド服って言って、由緒ある……若者の間で流行っていた、トーキョー・ストリート・スタイルなの」
「…………」
「私? 私のはチャイナドレスって言って……ちょっとミニ過ぎたかも。こっちの方が良かった?」
「服はどうでも良い」
「そう……他にも色々あるから、また今度。ね?」
白夜は釈然としなかった。何だか騙されているような気がする。それから依流乃は白夜を引き摺るようにして店内に入って行った。
あの日。
部屋に戻るなり、白夜は仰天した。いつの間にか壁には大穴が空いていて、床には面識のない少女が縛られて転がっていたのだから。しかも、縛ったのは自分だと言う。依流乃は目を白黒させる白夜を見て、ため息を吐きながら言った。
「記憶が消されたのね」
「記憶?」
「そう……待って、もう一度最初から説明させて。私のこと、指環のこと……それから、貴女のお父様のこと」
それからしばらく白夜は依流乃の話に耳を傾けた。彼女によると、本当は二度目だったらしいが、白夜には何もかもが寝耳に水だった。
「にわかには信じられない」
白夜の第一声はそれだった。
「まず第一に……記憶を消されているという証拠は? それに、だったら何故貴女は記憶を保持しているの?」
「私も良くわからないけど、指環持ちは記憶消去の影響を受けないの。ホラ」
そう言って少女は自分の薬指に光るピンクのトルマリンを顔の前に掲げた。すると、宝石の中からぽんっ! と音を立てて、ホログラムでできたシャム猫が飛び出してきた。どうやら全部が全部真っ赤な嘘という訳ではないらしい。白夜はポカンと口を開けた。
「信じられない……」
「龍の指環はどうしたの?」
依流乃が白夜に尋ねた。
「ここを出る時、貴女持ってったわよね?」
「…………」
……ない。
記憶もなかった。指環?
思い出せない。確かに、部屋に、時々転がっているのを見た気がする。だけど、だけどあれがまさか敵の魔法の正体だとは思いもよらなかった。
「もしかしたら、奪われたのかもね」
「……誰に?」
「…………」
「心当たりがあるの?」
「『ベイビーフェイス』よ」
「『ベイビーフェイス』?」
……というと、確か数年前に宗教法人を取り消された、悪い噂の絶えなかったカルト宗教か。かつて主役と悪役の間に割って入っていた……今は落ちぶれた善人役。当然だ。こんな殺伐とした時代に『善』なんて流行る訳がない。全盛期は数十万と呼ばれた信者たちも、いつの間にか潮が引くように、何処かへ消えてしまった。
「……表向きはそう言うことになってるけど、裏社会ではまだまだ勢力を保ってるわ。ええ、そうよ。かつて私もそこに所属してたから、よぉく知ってるの。『悪は倒され、組織は解散した』……そう思わせとけば、何かと便利じゃない?」
「…………」
かつて暴対法で日本のヤクザが次々と解散に追い込まれた時、彼らの一部は、表向きは解散したことにして、地下に潜り、事実上日本の地下秘密組織と化した。
「地下に潜られれば余計警察は追えなくなる……昔、ヤクザの事務所が街中に堂々と看板を構えられていたのは、警察としても監視がしやすいっていうメリットもあったからなのよ。まぁ、もうその警察すら解散したけど……そうやって裏からこの国を牛耳ろうとしているのかも知れないわ。『ベイビーフェイス』が、政界に巣食っていたのは事実。教祖の正体は、実は信者にも明かされてなかったの。誰もその顔を見たことがなかった……ただ、童顔とだけ……」
「どうして私を殺さなかったのかしら?」
「え?」
白夜は肩をすくめた。
「私から指環を奪うついでに、殺しておけば良かったのに。わざわざ記憶を消すような真似をして、生かしておく理由は何?」
「それは……」
「……もしかして、その宗教の教祖様って」
テロリストの親玉なんじゃないかしら?
「それは……」
依流乃は目を見開いた。
「……日向ってこと? 貴女のお父様? それは無いわ! だって『ベイビーフェイス』が出来たのは、日向が組織を作るよりずっと前の話……」
「そんなのどうとでもなるわ。だって、指環で記憶を改竄できるんでしょう?」
「…………」
少女は言葉を詰まらせた。白夜は黙って腕を組んだ。
あり得ない話ではない。反社集団が宗教団体を乗っ取って、マネーローダリングや資金集めに利用するのも、昔からある手口だ。
それに、宗教とテロほど相性の良いものはない。似たもの同士、表裏一体のコインみたいなものだ。かつて宗教がどれほど殺戮を繰り返してきたことか。かつてテロリストがどれほど宗教を利用してきたことか。
「表向きは宗教法人として。そして裏ではテロリストとして。午尾日向……彼は指環集めに奔走した。人々の記憶を操り、この国を支配するために」
「でも……」
宗教の方は表舞台から姿を消した……我々には、テロリストと戦わせ、本当の黒幕には辿り着けないようにする。
「いつか私たちは、テロとの戦いに勝利するかも知れないわね。そうなれば、悪役は表からも裏からも完全に姿を消す。最終回はこうよ。『正義が勝った』」
「…………」
「でも、それこそアイツらの思う壺。警察は解散した。テロに勝利したら、次は軍隊かも知れない。誰もが幸福であることを義務付けられた社会。そこに警察や軍隊は要らない。何故なら、人々はAIで……指環で管理され、犯罪は起こりようがないから」
「その前に粛清されるってこと?」
「そうなれば、誰も悪役を追う者はいなくなる。いえ、そもそも悪はいないことにされるの。奴らが全ての指環を集め終わったら、私たちは誰も、記憶を改竄されてることにすら気付けない。悪役の存在を認められない社会は、潔癖症を通り越して、ホラーだわ」
「そんな……日向が、黒幕?」
「少なくとも悪役ではあるでしょう。悪役が、でも本当は自分は善人だったんです! ……なんて、如何にもアイツの考えそうな、陳腐な台本じゃない?」
白夜は嗤った。
記憶を改竄しているというその男。もしその男が、黒幕が午尾日向だったとしたら。
だったら何となく自分が殺されなかった説明もつく。それは、父親だから実の娘は殺せないとか、そんな御涙頂戴な理由ではなく。
内通者として。
なんてことはない、内通者は自分だったのだ。あの龍の指環も、きっとその道具だったのだろう。白夜は自分で自分に腹が立ってきた。利用されていたのだ。知らず知らずのうちにテロリストの手助けをし、仲間の命を危険に晒して居たのは、他ならぬ自分だった。朝浦が死んだのは、自分のせいだった。
白夜は力強く握りしめた拳を、壁に叩きつけた。
「よくも……」
「白夜ちゃん……」
「騙してくれたわね……!」
白夜は歯軋りした。あの人はいつもそうだった。父は。いつだって私の人生を滅茶苦茶にしてきた。
「あの人に合わせて!」
やがて白夜は、静かに、瞳の奥で殺意を燃やした。
それで、メイド服を着たのである。




