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第10話 ショーシャンクの空に

 空は薄暗く、太陽が西の方へとゆっくりと沈み始めていた。

 前方に聳える山の峰がギザギザに天と地とを分け隔てていた。星はまだ見えない。午尾は空飛パトカーを急上昇させ、黒く生い茂る人工森林を一気に飛び越えて行った。群れをなして飛んでいた山鴎たちが、車体の接近に慌ててコースを開ける。


 誘拐作戦は概ね成功だった。奪ったパトカーで真昼たちを拾い、張り巡らされた検問も無事突破した。およそ10分後、午尾たちは予定通り天空都市の(ふち)をぐるりと囲んだ人工山脈を越えた。


「ねえ、さっきのどうやったの?」


 パトカーの助手席からは、真昼が興味津々と言った顔でこちらを覗き込んでいる。さっきの……というのは、検問を突破した時のことだろう。午尾は新しく手に入れた〈琥珀〉を咥えたまま、得意げに目を細めた。【車内禁煙】というステッカーが貼ってあるが、今更気にする必要はないだろう。


「これさ」

「タバコ??」


 午尾はハンドルを握ったまま、ウィンドウを開け、煙を吐き出した。滝のように上から下へと叩きつける突風が、空気清浄機よろしく、白煙を瞬時に吸い込んで消えた。

「気をつけろよ。副流煙は体に毒だぞ!」

「うひゃあ……!?」

 たちまち車内に冷気が流れ込んでくる。小さな旋風(つむじかぜ)の群れが、いたずら好きの子猫のように真昼たちの膝下で暴れ回った。真昼の腕に抱かれたドラコが、嬉しそうに長い体躯を震わせた。午尾はシフトを三速に上げ、さらに天高くかっ飛んで笑った。


『煙を吸い込んだものに幻覚を見せる』……それが〈琥珀〉の能力だった。


 新しい能力。対象に接近しなければならないとか、

効果の時間が短いとか、

まだまだ吸い慣れていない部分があるが、検問を誤魔化す程度なら十分だった。

 実際、〈琥珀〉の煙を吸い込んだ警察官たちは、変装もしていない午尾たちをまんまと取り逃したのだった。彼らの目と鼻の先、後部座席には血眼になって探しているミコト様が乗っていたにも関わらず。


 峰を越えると、薄い白い雲の海が朱に染まり、地平線の彼方まで広がっていた。地上からおよそ数千メートル。雲の上をサーフィンのようにして滑るように、盗んだパトカーが滑走する。午尾は備え付けられていた無線機のボタンを捻った。周波数を調整すると、雑音(ノイズ)に混じって、見知らぬ男性の怒鳴り声が聞こえてきた。


『……対に逃すな!』

『此処は空中都市だ! 決して逃げ場はない!』

『脱出しようとする飛行車があれば、問答無用で撃ち落とせ!』

『し、しかし警視……人質が……!』

『かまわん! これは皇帝陛下直々の御命令なのだ!』


「……どうするの?」

 助手席から、真昼が再び不安そうに聞いてきた。

「さっきからレーダーに、戦闘機がうじゃうじゃ……」


 彼女の言う通りだった。赤い点滅は光りっぱなしだ。雲の下には、逃亡者を抹殺せんと無数の戦闘機が待ち構えているに違いない。あるいは人質がいれば、攻撃も躊躇うかと思われたが……

「この包囲網をどうやって!?」

「そうだなァ」

 白波に合わせて、ゆるりとハンドルを切る。遠く向こうで空イルカが跳ねた。午尾はダッシュボードにあった警官用のサングラスを拝借し、ニヤリと嗤った。


「この天空都市ごと墜落させちまえばよぉ。わざわざ逃げ回らなくても、地面に着くじゃねえか。破破破破破!」


 数日前。〈胡蝶〉の煙化能力と〈敷島〉の発火能力で、午尾は都内の主要浮遊エンジンのいくつかに時限爆弾を仕掛けておいた。もちろん施設の警備体制(バックアップ)は万全だから、完全に地面に墜落させるまでは不可能だろう。だがそれでも十分、飛行機能にダメージを与え、混乱を巻き起こすことはできる。


 二千万超とも云われる都民がパニックに陥れば、少なからず誘拐事件へのマークも薄れる。万が一市井の人々が空中に投げ出されるような事態になれば、戦闘機もそれどころの騒ぎではなくなるだろう。


 こちらも用意は周到だった。午尾は備え付けのデジタル時計をチラリと見やった。時間だ。タイミングはバッチリだった。

5、4、3、2、1……0。

午尾はゆっくりと目を瞑った。これだ。獲物が狙い通り罠に堕ちるこの瞬間。円滑な任務遂行に我ながら武者震いが走る。この瞬間は格別だった。爆破と共に、巨大なビルの群れが脆くも崩れ落ち、血のように赫い火柱が天翔る龍の如く空へと咆哮を上げる……はずだった。


「……オイ、あれ」


 だが、時間になっても爆発は起きなかった。代わりに目の前の白波から、ムクムクと、巨大な影が出来上がり始めていた。

「何だありゃ……?」

 午尾は息を飲んだ。慌ててブレーキを踏み込んだせいで、後部座席でイビルやガンマンたちが悪態を吐いた。サングラスをズラして、窓から身を乗り出し前方を睨む。


「顔……?」


 それは、一見入道雲だった。天空都市の大きさにも引けを取らない、天まで届き空を突き破らんばかりに巨大な雲。その雲が目の前で徐々に膨張し、形を変え、その一部は、人間の顔のような造形をしていた。これには午尾もたまげた。まるで巨人……神話に出てきそうな巨大な人間だ。午尾たちのパトカーなど、現れた巨人の爪の先程度の大きさしかない。 


「あれって、皇帝じゃない!?」

 真昼が声を上擦らせた。確かによくよく目を凝らすと、テレビなどで見る皇帝・ネオ=ヤマトタケル3世の顔に似ていた。

「だけど、これは一体……こんなこと聞いたことないイビ!」

「何だこれマン!? アイツの能力マン!?」

「幻覚だ! きっと……」

「きゃあっ!?」

 突然掌の形をした雲がパトカーに向けてにゅっ! と伸びてきて、車体を力強く掴んだ。幻覚ではなかった。実体がある。雲に掴まれた鉄のフレームが、ぐにゃりと飴細工のように歪み、警告音とともにエアバッグが作動する。車内は悲鳴と怒号に包まれた。


「うわぁあああああっ!?」


 車体ごと持ち上げられた一行は、為す術もなく宙に放り出された。胃袋がふわり、と浮くような感覚。雲の腕が大きく上下に振られる。ジェットコースターさながらに、車は急上昇と急降下を繰り返した。

「ギャアアアアアア!?」

「チッ……!」

 エアバッグに顔をぎゅうぎゅうと挟まれながら、午尾は胸ポケットを弄り、何とか〈敷島〉を取り出した。全身を揺さぶられつつ、何とか火を点ける。たちまち雲の手首が燃え出し、車体がぐらりと傾いた。


「逃げるぞ!」

「どうやって!?」


 いつの間にかパトカーは雲の海を突き抜けていた。

 待ち構えていた戦闘機がわらわらと群がってくる。だが歴戦のパイロットたちも、さすがに入道雲人間の存在には仰天したようだ。攻撃はない。人質がいるから躊躇っている、という訳ではなさそうだ。誰もがぽかんとした表情で、空に浮かぶ巨大な顔を見上げていた。皇帝の顔をした雲が、頭上でニヤリと嗤った。


 午尾は勢い良く〈敷島〉を吸い込んだ。パトカーのエンジンに爆発を誘導させ、全速力で、ジグザグに空を降りていく。一呼吸おいて、我に返ったパイロットたちの射撃が背後から追ってきた。リアウィンドウにひび割れた穴が開く。サイドミラーが粉々に砕け散った。ハンドルを限界まで回し、銃弾の雨の中を走って行く。下へ、下へ、下へ……

「危ない!」

 ……不意に目の前に、巨大な白い壁が出現した。


 それが、巨大な入道雲人間の、ひざの部分だと分かったのは、パトカーに打つかった後だった。避ける時間も空間もなく、ボンネットが瞬時にぺしゃんこになり、午尾は高度数千メートル地点で車内から放り出された。パラシュートも安全装置もなく。


 遥か前方、パノラマに広がった地面に、ゴマ粒のように小さく並ぶ民家が見えた。堕ちて行く。下へ、下へ、下へ……ゲリラ豪雨のような銃撃とともに、落雷のような豪胆な嗤い声が、星の瞬き始めた空から流星の如く降り注いだ。

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