第9話 グレムリン
「出てきたぞ!」
壁の外が悲鳴に似たどよめきに包まれる。実際には霧の発生からまだ数分しか経っていなかった。それでも朝浦には、何十時間、何百時間とその場で立ち尽くしていたように感じられた。
「あれは……」
何処かでぽん、と破裂音がした。黒い霧の中から、斜め45°の角度で卵型のカプセルのようなものが射出される。会場に配備されていた、緊急時用の救命脱出ポッドだ。白く煌めく楕円形が、黒い霧を振り払うようにして地表から飛び出していく。
「あっちにもあるぞ!」
ぽん、ぽぽん!
と音を立て、救命ポッドが次々と空へ舞い上がった。朝浦はぽかんと口を開け、それらを目で追った。1、2、3……いや、もう数え切れない。まるでネズミ花火みたいに、四方八方、霧の中から尾を引いて拡散する。
「……落下地点を確保しろ! 早く!」
無線機から雑音混じりの怒号が飛び、朝浦は我に返った。救命ポッドは緊急時の脱出用で、その場から猛スピードで逃れられるものの、移動したり運転したりなどは不可能であった。
「急げ!」
悠に100を超える救命ポッドのうち、もしそのうちの一つに皇帝陛下が囚われていたとしたら。朝浦は青ざめた。そんなことになったら大惨事である。あれは耐久性は高くないのだ。要するに飛行機の緊急脱出パラシュートと同じで、着陸時の安全は必ずしも確保されていない。数ヶ月に一度は、地面に衝突して大破しているポッドが、夕方のニュースになっていた。
ぽん、ぽぽん、ぽん!
と、小太鼓を叩くような音が続いている。上空は今や黒い筋が幾重にも伸び、下から見上げていると、巨大な花が咲いたかのようでだった。
怒号、悲鳴、破裂音。
ふらふらと打ち上がった救命ポッドを追って、会場に集まっていた大勢の警察官たちが、真っ青な顔で地表を右往左往した。落下地点を抑えれば、中の乗組員を捕まえることができる。朝浦も一番最新のぽん! を追おうとして……だが、はたと立ち止まった。
「待てよ……」
そのまま目線を下げて、彼は霧に包まれた会場を振り返った。もう一つある。可能性が……あのポッドが全て囮だという可能性が。もしあのどれにも皇帝陛下が囚われていなかったとしたら。警備を分散させるのが狙いで、犯人はまだ人質と、会場に留まっているとしたら。
「おい朝浦! 何処へいく!?」
気がつくと朝浦は、黒い霧に包まれた会場へと走り出していた。
「貴様……!」
やはり……霧の中を潜り抜けた朝浦は、自分の考えが間違っていなかったことを悟った。会場の中は、まるで爆弾が落とされたかのような有様だった。何もかもが原型を留めていない。中央に据え置かれていたであろう闘技場は、今や崩壊し、観客席の彼方此方から黒い煙が立ち昇っていた。
それでも幸いだったのは、観客がほとんど残っていなかったことだ。恐らくは救命ポッドで、囮として、半強制的に脱出させられたのだろう。
「貴様……生きて帰れると思うなよ!?」
朝浦は瓦礫の山の上で先ほどから吠えている、赤いコスチュームの男に目をやった。今宵の主催……のはずだった男……『キツツキ野郎Kチーム』の主人公・レッド・ウッドペッカーだった。朝浦も読んだことがある。男性というよりは鳥人間といった風貌だが、今は容姿をどうのこうの言っている場合ではない。レッドは瓦礫が頭を直撃したのか、額から血を滴らせ、獣のように歯を剥き出しにして唸っていた。
「累計部数……たった5万部以下か……ゴミめ!」
右目に嵌め込んだスカウターのようなもので相手の累計部数を測り、レッドが不敵に嗤った。
「この俺様のォッ、物語が世界中でどれ程愛読されているのかッ、貴様分かっているのかッ!? 俺様に勝てる相手などいるはずが……」
「イービイビイビ!」
黒く染まった空から高笑いが聞こえてきた。背景と同化して分かりにくかったが、羽の生えた黒い悪魔が、レッドの頭の上を浮遊している。
「あれは……」
朝浦は息を呑んだ。アイツは『イビル・グレムリン』に違いない。野郎、いつの間に敵に寝返ったのか。ということは、やはり今回の主犯は、あの時取り逃した指環泥棒たちなのだろうか?
「この私はっ!」
さらにレッドの足元から、突然青い閃光が飛び出してきた。
「累計100億PVの男っ! 蒼い正義の鉄槌を喰らえ-っ!!」
『いたいたちの夜』ブルー・ウィーゼルの蒼い刃が、イビルを貫かんと飛び上がった。だが次の瞬間……
「何っ!?」
突如ブルーは見えない力に押されるようにして、ぐにゃりと体勢を崩し、そのまま噴水のように鮮血を吹き出した。
「が……っ!?」
銃撃だ。
狙撃手がいる。朝浦は反射的に身を伏せた。姿は見えない。音もしなかったが、何処からかブルーが撃たれたのは確かだ。確かあの時、3人の主人公の中にガンマンもいたはず……アイツも寝返ったに違いない。朝浦は舌打ちした。クソッ! 全部俺の責任じゃないか。
見えない敵から狙撃されたブルーは、クルクルと駒のように回転し、力無く地面に墜落した。敵は1人ではない。朝浦は黒煙の中に素早く目を走らせた。
周囲はがらりと景観を変えていた。決闘場が開かれている様子はない。どうやら主人公勢の指環が干渉し、それがこれほどの惨状に拍車をかけたようだった。中央の瓦礫のそば、レッドたちの足元に、着物を着た少女が倒れている。朝浦は目を見開いた。あれは……!
「イービイビイビイビ!」
地べたに突っ伏したブルーを見下ろして、イビルが腹を抱えて笑った。
「強くなるってことは、それだけ注目され、研究されるってことイビ! 自分たちがどれだけ手の内を晒しているのか、分かってないイビねぇ〜ッ!」
「ぐ……バカな!? 私の数字に……100億PVに恐れをなしていないだと!?」
「弱い奴ほど数字を誇る……イビ!」
「何をぉっ!?」
「それともアレかイビ? アンタらの物語じゃどっかのインチキ格闘技みたいに、主人公様の攻撃には効いているフリをしなきゃいけないのかイビ〜!?」
「貴様ぁああああっ!」
レッドとブルーが激昂した。イビルに飛びかかろうとして……再び見えない銃が火を吹いた。
挑発に乗りすぎている、と朝浦は思った。明らかにイビルは囮役だ。あの黒い悪魔が過激な物言いで耳目を集め、その隙に狙撃手が裏から援護する。側から見ると至極単純な作戦だが、怒りっぽい2人の主人公は、まんまとドツボに嵌っているようだった。あれではどれほど戦力差で勝っていても、戦略差で負けと言ったところだろう。
何処かにこの戦略を練った奴も潜んでいるのだろうか‥‥いや、それよりも。主人公連中の闘いに割って入るほど、朝浦も我を失ってはいなかった。奴らに見つからぬよう、黒煙の中を匍匐前進でジリジリと進み、和服の少女の元へと近づいていった。あのお召し物。あの王冠。あの指環。間違いない、あれは、彼の方は……
「ミコト様!」
朝浦は必死の思いで少女の元に辿り着き、声を絞り出した。
「ミコト様、しっかり!」
「う……!」
朝浦がそっと肩に手を回すと、まだ20歳にも満たない少女は、項垂れたまま彼にもたれ掛かってきた。
「大丈夫ですか!? 今助けます、とにかく此処から脱出を……」
「あなた……だれ?」
「俺……私は山梨県警の朝浦と申します! ミコト様、どうかご無事で……」
「警察官? あなた……1人?」
「はい……すぐに応援を呼びますから」
「そう……じゃあ身分証は持ってるわね?」
「え……」
不意に少女の掌が朝浦の脇腹に当てられた。掌に、何か握っている。
スタンガンだった。
少女が不意に顔を上げた。至近距離で朝浦と目が合う。それは、写真や動画などで拝見した神々しきネオ・トーキョーの皇帝、その一人娘……ではなかった。次の瞬間、意識を千切られる電撃が、朝浦の脇腹から全身に走った。
「ぐ……!?」
「次からはちゃんと、顔も確認した方が良いわよ?」
「服を……取り替えていたのか……」
少女の体からずるり、と朝浦の手が滑り落ち、彼は痙攣しながら地面に突っ伏した。彼が最後に見たのは、ミコト姫の服装に身を包んだ、賤しき原住民の娘・真昼の太陽のような笑顔であった。
午後14時02分。警察官の身分証を奪った犯人が、都内全域に張られていた検問を突破。依然ミコト様の消息は不明である。




