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意地の悪い読ませ方



 板垣(いたがき)眞輔(ますけ)と名乗った彼も私と同じ〝心理学概論〟を取っていたそうで、あの日から毎週火曜の一限には顔を合わす仲になった。

 授業後には例の非常階段の踊り場に出て、4階の高さの景色を見下ろしながら雑談して過ごす。


「眞の輔と書いて、()()()()と読まずに()()()?」


 なんだか意地の悪い読ませ方。


「イントネーションが間抜けと同じだね」


 アハハと笑うと、彼はムッとして、


「そっちこそ、花帆(かほ)って、アホと同じ韻でしょう」


 なんだお前、馬鹿にしてんのか。


 眞輔は県内出身ではあるけど、地元はここから5つも隣の県境付近の市だという。

 驚いたことに私と初めて出会ったあのとき、実家から大学までのおよそ百キロに及ぶ道のりをスクーターに身一つで移動してきた途中だったそうだ。


「家具類は先に運び込んでたんだけど、どうしてもバイクも持ってきたかったんで」


 物好きな人もいるものだなあと感心する。


「18歳でしょ? バイクの免許って取れるんだ」

「原付なら16からいけますよ。というか、自動車だって18からでしょう」

 

 そうなんだ?

 この手のことって、疎いからよく知らない。


「それと、俺は遅生まれなんで、もう18歳は超えました」


 それを聞いてギクリとする。


「4月生まれ?」

「1週目です」


 私は誕生日が3月31日という比類なき早生まれ。

 わずか一週間にも満たない年の差の後輩ができてしまった。


 それを話すと眞輔はニヤリと笑って、


「そこらのタメよりタメじゃないですか。俺もう敬語やめてもよくないですか?」


 途端に調子づく。


 ほぼ一年分不足した経験値で同学年の子たちとひとまとまりにされて、当然のように同じ能力を要求されてきた私。

 それでも落ちこぼれずになんとかやってきたことに対して、むしろ敬意を表しなさい。


 ふっと風が吹き上げてきて、眼下の木々がザワザワと笑う。

 所々に新緑の白っぽい葉がついて、この前までは寒々しかった樹形の隙間を豊かに埋めている。


「なんだか、ちょっと裏切られた気がするな」

「なにが?」

「一見クールでツンとしたお姉さんって感じなのに。口を開くとこんなんだからなぁ」


 悪かったわね、裏切っちゃって。と口を尖らせながらも内心、私もちゃんと年上のお姉さんに見えるんだなとほっとする。


「第一印象、初めて会ったときの先輩って、なんだか喋り方を忘れてたみたいでした」


 おもむろに伸びをしてゆっくりと階段を下り始めた眞輔に、私も黙って続く。


「花帆先輩。この授業、心理学概論、切りますか?」


 切るっていうのはつまり、単位取得を早々に諦めて授業に出るのをやめてしまうってこと。


「どうして?」

「見切りを付けるなら早いほどいいでしょ。正直、期待と違いませんでしたか? この講義」


 彼の言う期待の意味はなんとなく察せられる。

 心理学というくらいだから、これを学び終える頃には友達相手にカウンセリングまがいのことができるようになってたりして、なんて期待。

 だけど現状、そんな知識など一向につきそうもない。


「君は切るつもり?」

「うーん……」


 しばしの沈黙。


 階段を降りきって、私たちはキャンパスの雑踏の中へと戻っていく。


「それもいいけど、先輩が続けるなら俺もまだ出ようかなって」


 予想していなかった返事に胸がぐらついた。


 仮にいま眞輔が隣からいなくなったとしても、それが本来の状態であって、何も変わることなんてない。

 そう思っていたはずなのに、この感情の動きは何?


 私、寂しいんだろうか。

 一人ぼっちでアパートと学校の往復を続けるこの生活が。


 分かれ道まで来て、じゃあねって手を上げる。

 またね、とは言わずに。

 来週の講義、私は来ないのかもしれないし、そう思って彼が来ないのかもしれない。

 また会う約束をしないままのお別れ。


 互いに背を向けて歩き出しながら、未練に似たもどかしさを引きずる。

 もしかしたら、もう眞輔と会うのは最後かもしれないって。


 それでも別にいい、っていう強がりを、強がりだと十分に解っていながら、足を止めることはできないまま。



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