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やっぱり私、春は苦手だ

「ねえねえ。キミ、一年生?」


 半笑いで声を掛けてくる。


「俺たち〝横サー〟ってのに入ってんだけど、興味ない?」


 横サー。

 聞いたこともない。


 反復横跳びサークルの略?

 なんてアホみたいな考えが頭をよぎりはしていたけど、間違っても興味深そうな表情などしていない。

 むしろ意識してつまらない顔を作っていたはずなのに、構わず茶髪の方が説明を始める。


「学部の違う生徒同士で横の繋がりを広めようって目的のサークル。特定の活動をしてるわけじゃないけど、月に何度か集会やってさ」


 非公式か。

 いわゆる〝飲みサー〟ってやつだろうと、ピンときた。


 関わってはいけない部類。

 私はシカトを決め込むことにした。

 プイと目を逸らして彼らの脇を通り過ぎる。

 そうやってはっきり態度に示せば手を引くものだと思っていたんだけど、彼らは思ったよりもしつこかった。


「キミ、可愛いじゃん。キミみたいな子がいると会が盛り上がるからさァ」

「来れる日だけでもいいから。ね。アドレス教えてよ、アドレス」


 私の行く手を阻むように道に広がる。

 性質(たち)が悪いな、と思いながら周囲を見回してみるけど、ここは完全に建物の裏で校内の動線から外れているし、鬱蒼とした植木の影にもなっている。


 この手の連中はもっぱらウブな新入生の女の子を釣ることが目的だろう。

 どこかで聞いたことがある。

 こういう団体にも縦社会があって、何人の女子を連れてくるかでノルマを設けられているとか。


「連絡先くらい、別に減るもんじゃないだろ」

「勿体ぶってないでさ。他にサークル入ってないんでしょ?」


 サークル、入ってないんでしょ。

 その一言に胸を突かれた。


――――お前は来ないのか? 花帆。


 私の動揺をどう読み取ったのか知らないけど、押せばいけると踏んだのか、いっそう強引になって金髪が私の左手首を掴む。


「せっかくの大学生活だろ。楽しまないとな」


 タバコの渋い匂いが顔にかかる。


 やめてよって声に出そうとして、どうしてだか喉に詰まった。

 ぎゅっと強張った身体を動悸が揺すった。


 不健康そうな細くて白い腕のくせに、それを振り払う力も私にはない。

 以前の私ならこんなもの簡単に跳ね除けられたはずだ。

 いい加減にしてって、一喝できたはずだ。


 隣に名都がいたあの頃なら。



 そのときだった。

 唐突に響く第三者の声。


「面白そうっすね、それ」


 振り返ると、深めにキャップを被った男子生徒が今しがた私が使った非常階段を同じように降りてきたところだった。


「なんだぁ?」

「いま、取り込み中だろ」


 その子の表情は帽子のツバで隠されて、かろうじて見えるのは緩んだ口元。

 それは友好を示すというよりも相手を煽っているように受け取れた。


「俺も一年なんですけど。横サーって、面白そうじゃないですか。俺は入れてもらえないんですか?」


 その申し出を断る理由などおそよ思いつかない。それが健全なサークル活動であるならば。

 とっさに言葉が出ない茶髪と金髪の姿がそうではないことを象徴していた。


「男子の募集は間に合ってんだよ」

「へえ」


 痛いくらいに威圧感を押し出しているチャラ男たちに動じる気配は微塵もない。


「正式名称あるんでしょ? なんていうんですか、その団体」


 それで分が悪いと判断したのだろう。

 二人は汚く舌打ちしてタバコの吸殻をその場に放ると、賑やかな広場の方へと立ち去った。



 お礼、言った方がいいんだろうなとわかってはいたんだけど。

 いや、この子単に横サーってのに入りたかっただけかもしれないし、とか。

 冷静に考えればあり得ないと判ることをいちいち考えてしまって、唇が動かない。


 私、いつの間にこんなに臆病になったんだろう。


「意外だな」


 彼は帽子のツバを持ち上げて、その奥の瞳でじろりと私を眺めた。


「ああいうののやり過ごし方くらい、心得てたでしょう。先輩」

「え?」


 ここまでのやり取りで、私が先輩だってどこから知ったのか。

 彼もそう疑問に思うのを予期していたみたいで、


「道を教えてくれたでしょ。俺と同じ新入生なら、あの日の時点じゃここらの地名には詳しくなかっただろうと思って」


 ニッと口角を上げる。

 その笑顔に見覚えがあった。


 春と呼ぶにはまだ早いと思えたあの夜。

 スクーターに乗って私とは別々にこの街をさまよい、そして同じように凍えていたあの子。

 あの子だ――――。



 ◆



 何も変わらないと思っていたのに、何かが動き始める気配を感じた。


 春は出会いと別れの季節だなんて、ありふれたフレーズだけど。

 自分が旅立つのか、相手が立ち去るのか。どちらにせよその穴を埋めるようにまた誰かがやってくる。

 新しい風が流れ込んで渦を巻く。

 その空気に慣れるまではどこかくすぐったく感じられて、やっぱり私、春は苦手だ。


 独りきりで帰宅し、独りきりで食事を終え、独りきりで布団に潜る。

 そんな孤独とはもう慣れっこのはずなのに、去年の今ごろを思い出して心がじりじりと疼く。


 薄暗い部屋の中でテーブルに置かれたスマホの画面が唐突に灯る。

 バイブ機能すらオフに設定しているために、それは完全な無音で誰かからの着信を知らせた。


 画面に浮かぶ四つの字。宇野(うの)名都。


 底のない追想の泥沼の中に、今夜も私は堕ちていく。



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