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何が解るようになるんだろう



 ◇


 どの学部にも火曜の一限には総合科目という特殊な講義枠が設けられている。

 いろんな学部の専門的な講義が他学部の生徒向けに聞きやすい概論としてまとめられ、学生は20に及ぶ多様なテーマから好きなものを選択して受講する。


 普段なら関わることのないだろう天文学や、現代アートなるものの解説。

 または〝人と食の関わり〟をお題に、文理を問わず畑違いの教授たちが週によって立ち代わり弁を取るゲスト方式の授業もあったりして。

 こういうのって、単一キャンパスにすべての学部をぶち込んだ我が校だからできるひとつの特色だろう。


 普通にやってれば一年次だけで卒業に必須の単位分を取り終えてしまえるはずだけど、私は諸事情でまだ足りていなかった。

 つまりは取りこぼしたってこと。

 理由は聞かないでほしい。


 (あん)パイでレポートが楽だと噂の講義を選んでもよかったんだけど、なんとなく〝心理学概論〟に出席した。

 去年だったなら微塵も興味の湧かなかっただろう授業。


 人の気持ちとか、自分の気持ち。

 人間の頭に巡る様々な思考回路や感情の揺らぎのひとつひとつに名前が付けられて体系化でもされているんなら、それを知りたいと思った。


 だけど期待外れだったみたい。

 現れた先生は白髪のヨボヨボおじいちゃんで、声も掠れていてハスキー。

 初回授業だというのにホチキス止めのA4プリントが三枚分も配られて、そこにはこの分野で著名な偉人の名前やら経歴やらが長々と書かれている。


 これ、覚えろってことかな。

 そんなことをして、一体何が解るようになるんだろう。



 これ以上ないってくらい無益な七十五分を耐えて、終業のチャイムと共にため息を吐きながら廊下へ出る。

 何の気なしに傍の小窓から外を覗いてみて、そこではっとした。

 目に飛び込んできたのは広大なキャンパスの眺望。

 すぐ下に噴水のある中央広場があって、それを囲うように乱立するくすんだレンガ色の建物群と、合間を埋める緑の木々。

 それがずっと向こうの先まで広がっている。


 総合科目では普段立ち入らない棟に出向くんだけど、ああ、そういえばここは4階だったなって。

 見慣れた場所の慣れない視点からの景色、しばらく眺めていたかった。

 でも学生たちが次々と廊下へ流れ出てくるので、私はその場を捌けざるを得なかった。


 流れに沿って歩くと、内階段の手前あたりから長蛇の列で進まない。

 どの講義だって休み時間は共通なんだから、階下の教室にいた学生たちも含めて一斉に出口へと集中すればこうもなろう。


 無気力に淀んで渋滞を待つ大群を鼻で笑って、私は直接外へと繋がる非常階段の重いドアを押し開けた。


 建物の裏手側に出たようで、喧騒が急に遠くなった。

 錆びた鉄製の手すりを掴んでカンカンと音を鳴らしながら階段を降りていく。

 首筋に受ける、この降り注ぐ日差しの量。

 太陽光線の手応えが先月までとは明らかに違って、やっと春を実感できた気がする。


 どこからか、むっと鼻に詰まる濃い香りが漂ってきた。

 インスタントラーメンの粉末袋に鼻を近づけて思いきり嗅ぎ込んだみたいな油臭さ。


 これはヒサカキという樹が春先に付ける小さな花の芳香だと、どこかで聞いたと思い出す。

 好みの別れるタイプの香りだろうけど、季節を感じられるから私は嫌いじゃない。

 この匂いは、確かにまた一年が巡ったのだと知らせる匂い。



 4階分を下って地面に降り立ったところで、階段の死角に二人の男子生徒がいたことに気付いた。

 茶髪と金髪に、どちらもピアス。

 いかにもチャラそうな風貌で、喫煙スペースでもないのに隠れてタバコを吸っているようだ。


 私を見ながらコソコソと耳打ちをして、そのうちの一人がこちらを指差した。



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