女子大生の失踪事件
あのときの私は気付いてあげられる余裕がなかった。
でも、今ならあの名都の異変の理由がわかる。
きっと名都は誰かを傷つけたことを引き金にして、幼い頃の忌まわしい記憶を掘り返してしまったんだろう。
血を流す男の姿に、自らが刺した父親の姿をフラッシュバックさせて。
――――本能に従うだけでいたら、私はまた繰り返しちゃうかもしれない。
「情けなく固まってただけの私のために、名都は身を挺した。そのせいで逃げ続けていたトラウマに追い付かれて、捕まっちゃった……」
そう言って黙ってしまった私の肩を茉以がそっと触れる。
「……そのあと、どうなったの?」
「……私たちは、車に逃げ戻った。その場から急発進して、震えながら山道を下ったの。だけど、後ろから奴らが追ってきた」
話しながら、気を落ち着かせようと巽の車の窓から外の景色を覗いた。
でも目線を預けられる何かを見つけられない。
目が回るみたいだった。
「あいつら、何かを怒鳴ってた。窓を開けて、身体を乗り出すようにして、私たちの車を煽ってきたの。私はたまらず泣いていたけど、名都もハンドルを握りしめて泣いてた。喚いてたかもしれない。覚えてないよ。もう、ぐちゃぐちゃで……」
名都は、あんな精神状態でよく車を操作してくれたと思う。
私ならできなかった。
助手席で震えながら、早くこの悪夢から醒めたいと願っていただけだから。
でも、終わりは唐突にきた。
奴らの車が私たちのすぐ後ろまで迫ったとき、何かの弾みがあったのか、または名都がハンドルを切ったのか、定かじゃないけど、二台の車のバンパーとボンネットとがぶつかって、男たちの車はコントロールを失った。
バックミラー越しに、そのままガードレールに突き進んでいく姿が見えて、続く激しい衝突音。
それっきり、嘘のように私たちを追う気配は消えた。
怒号も、奇声も、エンジンの音も、何も聞こえなくなった。
シンとした夜更けの山道に、私たちを乗せた車の走行音と、すすり泣きの声があっただけ。
「それから数時間、止まらずに走り続けた。どこまで行っても安全な場所なんてないと思えて。でもいずれ限界がきて、適当に見つけた道の駅に入ったの。駐車場に止まったけど、しばらくはエンジンを掛けたまま、いつでも逃げられるように構えて辺りの様子を窺ってた」
状況は切迫していた。
正しいことをするなら、現場に戻って彼らの安否を確認し、必要なら救急車を呼ぶべきだった。
でも、どうしてもできなかった。
怖かったんだ。
「……名都が言ったの。このことは私たちだけの秘密にしよう。バンパーの傷をどうにかして、私は途中で電車に乗り換えて帰省する。そして秋休みのあいだ私たちは一度も会わなかったと口裏合わせをしようって」
それが最善手とも思えなかったけど、他に案を捻り出すには疲労が積もりすぎていた。
まだ時間はあるからと、私たちはいったん身体を休めることにした。
「……翌朝目が覚めて、隣の名都はまだ寝入ってると思った。本当に、そう思ったの」
あの子を一人にするつもりなんてなかった。
ただ、少し顔を洗ってこようって……。
「トイレから戻ったら、跡形もないのよ。車がない。名都がいない。どこを探しても。探しても……」
途方に暮れた私は、縋る気持ちで代行に電話を掛けた。
彼が駆け付けるまでの数時間、ゾンビのように道の駅の敷地内を歩き続けた。
ぐるぐる、ぐるぐる。
焦りや恐怖も、そのうち絶望に変わっていった。
すべての感情が削げ落ちて抜け殻みたいになったところで、私の姿を代行が見つけてくれた。
警察に訊かれても、名都との約束どおりあの峠での出来事は黙っていた。
白状すれば私は捕まり、名都にも手配が掛かるかもしれない。
そうなれば、いよいよあの子は戻ってこられなくなる気がして。
後で調べると、例の男の子たちはどちらも死んだらしい。
車ごと崖から落ちて即死だったって。
でも、それは飲酒運転による単独死亡事故として処理された。
事故現場と道の駅はちょうど県を跨いだ位置にあり、それもあって警察が二つの事件の関与を疑うことはなかったからだ。
名都のことは、単に動機不明瞭な女子大生の失踪事件として扱われた。
あの日から一年が経った。
私は律義に口を閉ざし続けたけど、結局名都は戻らないまま。




