無音のはずのイヤフォンから
◇
休憩もなく無心で走り続けてどれだけの時間が過ぎたんだろう。
どっぷりと日が暮れて周りには夜が広がっていた。
音楽プレーヤーはとっくに無音になっていて、それは電池が切れたからか、トラックを再生しきったからか。
それでもイヤフォンは耳に引っかけたままだった。
気温は陽が差していたときと比べて冗談と思えるくらいに下がっていた。
考えてみれば、何時間も延々と全身に冷気を浴び続けるなんてそうは経験しない。
私はすっかり凍え切っていた。
さっきまで太ももが小刻みに揺れていたけど、限界を超えたのか、その内感覚がなくなり、不思議と震えも収まった。
ただ、野ざらしになっている両手の末端が痛くてたまらない。
すっかりかじかんだ指先はまともに動かなくて、もはや手首全体を使うようにして拙くハンドルを操作するありさまだった。
目的地もなければ終わりもない。
ただひたすらに続く道の先に進むだけ。
私はまるで何かに憑かれたようだった。
段々と道幅が狭まり、上り坂になっていく体感があって、私は虚ろな瞳だけを動かして辺りを見やる。
どうやらいつの間にか、どこぞの峠に続く林道に入り込んだらしかった。
ガードレールの向こうには一律に太い幹の針葉樹が無尽蔵にそびえ立ち、下草の丸い葉が風で煽られてバタバタとはためいている。
街灯もない山道で頼れる明かりは原付の正面から発する一筋のライトのみ。
その光がカーブを示す黄色い標識をぼうっと闇に浮かばせる。
どこかで見た光景だと思ったときに、それがPOV方式のホラー映画の視点そのものだなと気付いた。
ブツブツと何かの囁きが聞こえた。
無音のはずのイヤフォンから流れてくるらしい。
原付の駆動音と揺れる木立のざわめきに埋もれるようにして、微かに聞き取れる、女の声……。
「……名都?」
消え入りそうな音量の呟き。
何でもいい、ひとつでもいいから、そこから言葉の断片をすくい取りたかった。
「私を呼んでるの……?」
体温と体力を失った身体で、なけなしの神経を耳に集中させていたせいだろうか。
何かの白い物体が茂みから急に飛び出したとき、それを捉える視覚も、ブレーキを引く指先も、どれもがもどかしいほどスローモーションに感じられた。
原付のライトを照り返す物体。
それは小動物の類だったのかもしれないし、私の見た幻覚だったのかもしれない。
急な減速でバランスを失い、原付は進路を路肩にブラした。
幸いだったのは、そこが鉄のガードレールではなく、若干のスペースを持った砂利の空間だったこと。
そのまま突き進んで法面にぶつかり、前輪が壁を駆け上ろうともがいた。
車体がぐらりと傾く。
私にはその荒れ狂う動きをいなすほどの体重はなくて、為すがままに地面へと投げ出されてしまった。
排気ガスと土を焦がしたような匂いが立ちこめる。
身体の痛みに耐えながら顔を上げると、一切の闇。
転倒した拍子に原付のエンジンとライトが止まってしまったようだった。
手探りでバイクに近づき始動の操作を試してみる。
でもルルルと空回りの音がするばかりで一向に掛からない。
携帯のライトをつけてメーター類を覗いてみると、どうやらガス欠を起こしているらしかった。
思えばここに至るまでに一度も給油をしていない。
たぶん、とっくに限界は超えていたんだろう。
かじかむ指で携帯の明かりを点けると圏外の表示。
そして何よりまずいのが、電池の残量が10パーセントを下回っていること。
こんな状態だと気付かずに走り続けていたなんて、改めて正気じゃなかったと思う。
どことも知れない山の奥で帰る手段を失った。
その現実をはっきりと自覚していくにつれ、じわじわと恐怖がせり上がった。




