端的に言って苦手意識
この学校には種目別に3つの体育館がある。
拳法部や剣道部なんかが出入りするのは畳張りの道場を持つ施設だ。
その建物が見えてきたところで、50メートルほど先に人影を認めた。
こちらに背を向けて立つその人は真っ白な胴着を着ていて、それが陽を反射してことさらに白く映えている。
伏せがちの横顔。
さっぱりと刈り上げられたもみあげから耳周りの黒髪を見たとき、それが眞輔だと私には判った。
堂々と肩幅に足を広げ、腰に巻かれた帯に両方の手を引っかけるように置いている。
その姿は想像よりずっと大人っぽくて、人知れず、私の胸は跳ねるように高揚した。
この距離で届くだけの声を張り上げるのは躊躇して、控えめに片手を上げ、私の存在に気付いてくれないかと手を振ってみる。
でも、それは叶わなかった。
眞輔の視線の先から1人の女の子が駆け寄って、笑顔で彼にペットボトルを手渡す。
マネージャーだろうか。
白いTシャツに長けの短すぎるピンクの短パンが、この日光の下で弾けるように溌剌としていた。
2人は談笑しながら並んで歩き、やがて傍の体育館へと消えていった。
宙に掲げていた私の腕は居所を失くし、力なく元の位置に落ちる。
清爽で男前な眞輔と、それに見合う可愛らしい女子。
見栄えのするワンシーンを見せられて、私の胸は突き上げられるようなダメージを負う。
その動揺に、「は、何? 別になんともありませんけど」って自分で気にしないフリをして。
何に期待してたんだろう。
馬鹿だな、こんな微熱に振り回されて。
眞輔に恋人がいるという話はあの小憎たらしい巽のついた出まかせだったけど、それが現実になるのもそう時間は掛からないのかもしれない。
どうなったところで私には関係ない。
だって眞輔はただの友達であり、後輩でしかないんだから。
それは彼にしてみても同じはずじゃない。
体育館を訪問する気力はすっかり失せてしまって、静かに回れ右をする。
そこで3,4人の運動着姿の学生たちとすれ違った。
その中に見知った顔があって、思わずあっと表情がこわばった。
「佐伯さん……」
夏らしく髪を肩口に合わせて短く切り揃えて、以前よりいっそう垢抜けて見える保科さんがそこにいた。
「あ、ども」
私のとっさに口に出る言葉って、毎度のことながら可愛げがないなって、ぎこちない苦笑いでそそくさとその場を離れようとした。
だけど保科さんは待ってと私に声を掛けて、周りの子たちに、
「先に練習戻ってなさい」
「はぁい」
「この暑さだから、体調がおかしかったらすぐに休憩入れるのよ。無理は厳禁だからね」
「わかりました、先輩」
1年生と思しきその子らは元気に答えて駆け出した。
それを目だけで見送ってから保科さんは振り返る。
「佐伯さん。ちょっとお喋りしない?」
そう言って私を誘う彼女の顔つきはどこか自信に満ちているようで、1年前の頃とはまるで別人に思えた。
キャンパスを行き交う学生の動線を遮らぬよう、外周道路を飛び越えるように架けられた跨道橋。
普段ならうんざりするほどの通行量を誇るこのペデストリアンも夏休みのあいだは閑散としていて、今は私と保科さんしかいない。
「今年入った1年生ね、みんな良い子たちで、バドも上手くって。この前の他校合同練でも好成績だったのよ。だから私たち上級生も負けてられないなって」
微笑みがちに近況報告をする保科さんを見て、随分と流暢になったなと思う。
まだ私がいたあの頃は、何にしても控えめで冴えない子という印象だった。
「佐伯さん、代行くんに退部届渡したんだってね。なんだか私が急かしたみたいで、ごめんね」
代行というアダ名にわざわざ“くん”を付けちゃう生真面目さ。
私に対する優しげな声色も、なんだか妙に聖女ぶっているように感じて。
後輩たちとのやり取りのときにも思った、さも“できる私”を醸し出すような語感、引っかかる。
端的に言ってしまうと、私は彼女に苦手意識を抱いた。
「……今になって思えば、佐伯さんと宇野さんが突然消えた去年の秋休み明け。大変だったな」
厭な風が吹く。
まるでドライヤーの熱風を浴びせられるみたい。
身体の汗を乾かしてくれるものでもなく、爽快さの欠片もない。
陽の光が顔の表面を焼き、上唇の先が水分を失ってヒリヒリする。
「年明けの大会が近かったでしょ? どうにか欠員を埋めるためにみんなで駆け回って。一致団結っていうのかな。あれはあれで充実してたのかも」
たしかに迷惑は掛けたけど、私と名都がいなくなったことを、充実?
それを悪意として言ったんじゃないなら神経を疑う。
睨みつけてやりたいくらいだったけど、ぐうっとこらえて無言のままうつむく。
「……ねえ、宇野さんとのあいだに何があったの? 佐伯さんには説明責任があると思う」
責任って、なによそれ。
「何が起こったのかわからないまま、みんななんとなく流してしまったけど、納得できてない子はたくさんいる。佐伯さんはこのままで、みんなに悪いと思わないの?」
まるで諭すような抑揚。
保科さんの言うことは正論だ。
だからこそここまで堂々としていられる。
この部活という場を自分のテリトリーとして、そこで皆のために尽くす自分は絶対的に正しいのだと信じて疑わない。
そして彼女にとって私の存在は、さしずめその正義という針を突き刺すのに手ごろなピンクッションなのだろう。
「……わからないよ」
私は絞り出すようにして言った。
「私にだって、名都がどうなっちゃったのか、わからないの」
「わからない? そんなはずないじゃない」
保科さんは眉をひそめて、これ見よがしに神妙な顔をして見せた。
「だってあなたたちは親友だったんでしょ?」




