誰が応えるでもない返事
心臓を押し返されるみたいにして息を飲んだ。
次いで、じわじわとせり上がる不快感。
私が席を外していたあいだにこの部屋で何があったのか。
これから何が起ころうとしているのか。
年の割にウブな私にだって大体の想像はつく。
身体から力が抜けていくようだったけど、とにかくこの場にいたくなくて、私は荒々しくコンビニ袋をドアノブに引っかけると、
「お邪魔みたいだから、帰る」
誰に言うでもなく呟いて、誰が応えるでもない返事を待たずにその場を飛び出した。
アンタたち、初対面でしょう。
恋人がいながら、その貞操観念ってどうなの。
呆れ、怒り、嫌悪、そんなものがごちゃ混ぜになった最低の気分。
酒の入った男女の間で勢い任せに起こること、ありふれたことなんだろうってわかるけど、どこかで私には関わり得ない世界の話だと思っていた。
だから余計にショックだった。
好き勝手にやればいい。
私がどうこう言えるような話でもないんだし。
そう投げやりに思いながらも、次にどんな顔をして2人に会えばいいかわからない。
こうして取り残されるだけだったなら、初めから新しい関係なんて築きたくもなかった。
悔しさを持て余した。
茉以がどう、眞輔がどう、じゃなくて。
同時に2つの友達を失ってしまったみたいだと、そんなふうに感じてしまう私自身に。
今さらの話だけど、私は特別茉以と深い仲というわけでもない。
単に男を紹介してほしかっただけで、ストーカーの件だって口から出まかせだったのかも。
そういう利己的なことを悪意なくしてしまう子だったのかもしれない。
それでも別に構わなかった。
学科で顔を合わす独りぼっちの私に興味本位で声を掛けてくれるだけだとしても。
去年の私には名都がいたし、サークルがあった。
それらを失くした後だって、代わりのものに縋るつもりも毛頭なかった。
そんな排他的なことを言いながらも、結局惨めさが心を占めてしまうのはひとえに私が自己中心的で子供じみた奴だからなんだろう。
「振り回されたかなあ……」
県道沿いの歩道を足早に歩きながらグルグルと考えが頭を駆け巡る。
どうにかして気持ちを静めたい。
でも上手くいかない。
不意に1台の車が私の横をゆっくりと追い越していった。
そのまま走り去ることなく徐々にスピードを緩め、やがて路肩に停止する。
その異様な動きに嫌でも視線が向かってしまう。
どこかで見た記憶のある黒塗りのコンパクトカー。
「よう、花帆ちゃん」
小窓から顔を覗かせた青年は長谷巽。
そうだ、一度この車に乗って焼肉屋へ行ったことがあったんだ。
不覚にもこの警戒すべき男のことを忘れていた。
「奇遇だな。帰りか? 乗せてってやるよ」
悪いけど、今はとてもコイツと対峙する気分にはなれない。
別に今じゃなくても御免こうむりたいけど。
「歩くから、いい」
「遠いだろ。眞輔んとこの隣だったよな」
「いいって、言ってるでしょ」
プイとそっぽを向いて強引に歩き出す。
そんな私を追いかけるように背後から声が響いた。
「俺さ、考えを改めたなぁ」
煩わしく思いながらも、私は振り返る。
「花帆ちゃん、結構面白い奴じゃん」




