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見るはずのないものを見た



 勉強に没頭して、気が付くと深夜2時に差し掛かっていた。

 ここは24時間営業店だけど、私たち以外には喫煙エリアに数人の客しか残っていない。

 ほどほどに集中力も切れてしまって、キリの良いところでお開きにすることにした。


 会計を済ませて出口のドアを開けると、雨が止んでいた代わりに、視界を覆うように立ちこめる濃霧。

 比喩じゃなく、10メートル先が霞んで見えないほど濃い霧で、思わずわぁって声が漏れる。

 その非日常の光景に2人してはしゃいでしまって、せっかくだから遠回りして帰ろうかって、わざわざ人気のない田んぼ道に向かう。


 水田のオープンスペース全体に充満する、重く白い霧。

 等間隔に並ぶ街灯の光が白霧で滲み、その光輪が暗闇の中にぼんやりと浮かび上がって、幻想の世界に迷い込んだよう。

 瞬きをするたびにまつ毛をまとう水分で瞳が潤う。

 湿った空気を思いきり吸い込むと、それが口を濡らし、気道を濡らし、肺に至る体内の経路を直接的に感じさせてくれる。

 胸の隅々が水分で満たされて、まるで苦しまずに溺れていくみたいだった。


 思えば、眞輔は私のことを知りたがろうとはしない。

 どんな友達を持ち、どんな思い出を持ち、そしてどんな大学の1年を過ごしたのか。

 私の過去を聞こうとはしない。


 きっと、眞輔は愛されるということを知っている。

 愛されて、それが自信を育み、みだらに人に干渉する必要性など感じなくさせるんだろう。

 そんな仮説を思いついて、案外真理かもねってひとりで納得する。


 そして私は今、無性に知りたい。

 どうして眞輔はこんな面白味のない女の隣にいてくれるんだろうって。


 迷霧の中に現れた踏切が予期せず警報音を鳴らす。

 終電はとっくに行ってしまったはずだけど、夜間に貨物車でも走っているのだろうか。

 カンカンと鳴り響くこの騒音に対抗するだけの声量を出す気はなくて、遮断機が上がるまではだらだらとした雑談も中断かな。

 私たちはただ無言で電車がやってくるのを待つ。


 何がきっかけでもなく、目の端に映りこんだ異物の存在に気付いた。

 踏切が単調なリズムで赤い点滅を放ち、そのたびに周囲が短く照らされる。

 光と闇が交互に連続する中で、線路を跨いだ向こう側にひとつの人影があるのを見た。


 おかしい。

 人が歩いて来たならどこかでその動きに気付いたはずだ。

 でもその人影はまったく気配を消して、初めからそこにいたかのように佇んでいる。

 もしそのとおりだとしたら、一体なんの目的で、この無人の霧の中で息を潜めていたというのか。


 ゾッとしながらも、その人物がどんな表情をしているか確認したくて目を凝らす。

 ひどい視界不良でなかなか顔の造形まではわからない。

 どこか見覚えのあるロングヘアーに小柄な体格。

 女の子?


 そこまでわかって、瞬間に私はすべてを知覚した。


 名都――――。


 ストンとどこかから突き落とされるような衝撃を受けて、途端に私と彼女を残して周囲のものが消散した。

 踏切も、断続的な赤い光も、煩わしい警報音も。


 ただ、白色のもやが密度を増してじっとりと滞留し、私たちだけを空間の中に隔離するように取り巻いている。


「名都だよね……」

 

 どこを探しても見つからなかった。どんなに願っても見つからなかった。

 あの名都がここにいる――――。



 そこから先、覚えはないんだけど、私はごく自然に遮断機に手を掛けて、それをくぐって線路の中に立ち入ろうとしたらしい。

 とっさに眞輔が腕を引いてくれて、その刹那、簡単に人をバラバラにできるだけの速度と質量を持った貨物車が眼前を駆け抜けた。


 そのまま態勢を崩した私は為すがままに眞輔の胸に抱きとめられた。

 私たちは向かい合うようにして密着し、ただただそこに立ち尽くしていた。


 この状況、どう弁解しようって。

 私、相当ヤバい奴と思われたに違いない。

 あれこれと取り繕う方法を考える頭の中は割と冷静に動いていたけど、一方で心の中にはごちゃごちゃにいろんな感情が込み上げていた。


 見るはずのないものを見た。

 それが恐ろしくて、切なくて、懐かしくて、嬉しくて。

 そして、どうしようもないくらい悲しかった。


 大丈夫って笑おうとするのに、声が掠れて出ない。

 眞輔の身体を押しやろうとするのに、肩がわなわなと震えて止まらない。

 彼の厚い胸板と素朴な匂いを感じるとひどく安心するようで、指に触れていたTシャツの生地を引き寄せるようにして強く握りしめる。


 私は何も言えなかった。

 だけど、彼も聞くことはなかった。


 どうして。

 どうして眞輔は、何も聞こうとはしないんだろう。



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