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情けないことこの上ない

 何か温かい飲み物でも買おうかと立ち上がったとき、はるか遠くでバイクの駆ける音がした。

 ブブブブって、無害そうなこの音、たぶん原付というやつだろう。


 新聞配達にはまだ早い時刻じゃないかと思いながらも、私と同じように静寂の夜の街をさまよう誰かがいるのだと知る。

 寒くはないだろうかって、そんなことを思う。


 公園の中を周回するようにしてトラックがあるのとは反対側の出入り口へ向かう。

 その出口から道路を挟んだ向かいに自販機があるのを知っていたから。


 わずかなショートカットのつもりで園路に沿って植えられた生垣の合間を無理矢理に抜ける。

 腰よりも低い格子柵をえいやと飛び越えると、本来の出口よりも少し手前で道路に出て、ほら、十メートル先にはもう自販機があるってところ。


 そこで思わぬ障害物の存在に気付いた。


 自販機の発する方形の光に照らされて佇む人の影。

 その隣には停められたスクーターバイク。

 先客だ。

 きっと、さっき聞いたバイクの音の持ち主だろう。


 私の気配に気付いたらしく、その人物がゆっくりとこちらを振り返る。

 高速に点滅するような白色光はその青年の右半身だけに当たり、絶妙な加減をもって彼の容貌のすべてを私に見せてはくれない。

 ただ頭に乗った半球状のお椀のようなヘルメットがやけに目に映った。


 こんな夜更けに突如茂みの奥から出現した女を見てさぞかし肝を冷やしただろう。

 私だったなら腰を抜かしてしまうくらいのシチュエーション。


 けれど、彼は特に怯む様子もなく呟いた。


「人だ」


 いや、人だ、って何よ。

 逆に私の方が怖い。


 ほっと安堵するように青年は続けて言った。


「あの。道を訊きたいんだけど」

「え?」

「迷っちゃって。今日越してきたもんで」

「はあ……」


 気の抜けた返事をする一方で私の頭は急速に回転し、まもなくひとつの仮説をはじき出した。

 この時期に引っ越しということは、一見同い年くらいと思えるこの子はきっと新学期から一人暮らしを始める新大学生ではなかろうか。

 そして、この辺りの大学といえば十中八九私の通う学校のはず……。


 彼はある町名と番地を告げたんだけど、それはよく知っている字並びだった。

 奇遇にも私のアパートのある区域と同じだったから。


「……あっちの方」


 東の空を指差すと、彼はちょっと戸惑ったようだった。

 たぶん、そこのT字路を右にとか、県道何号に乗ってとか、そういう明瞭な説明を期待したからだろう。


 私だって言葉が出てくればよかったんだけど、出ないのだからしょうがない。

 だからせめて伝える意志はあるのだと示すために、東に向かって突き出した手の前腕から先をグルグルと回した。


 彼は笑ったみたいだった。

 ありがとなって片手を上げて、傍のスクーターのハンドルに手を付く。


 そこで思いついたように数秒止まって、何かの操作をして座席の部分をがばっと持ち上げた。

 バイクの構造なんてよく知らないけど、シートの下が空洞になっていて荷物をしまえる仕様なんだろう。

 そこから手の平サイズの何かを取り出すと私に歩み寄ってきた。


 彼はテラテラとした質感のウインドブレーカーを上下にまとって、防寒のためかその下にもかなり着込んでいるみたい。

 だけどそんな着膨れとは無関係に大柄な体格であることは、女性の平均身長の私を悠に見下ろす背の高さから伺える。


 お椀ヘルメットの下には優しげな笑顔で、


「これ、やるよ。お礼」


 差し出される缶コーヒー。


「そこの自販機でさっき買ったところ。好みと違ったなら悪いけど」



 ――――目の前で唸る原付のエンジン音は思いのほかうるさくて、そんなことを考えているうちに彼とスクーターは颯爽と消えてしまった。


 郵便物の受け取りとか公共料金の支払いとか、そういう定型的なやり取りとは違う、意味のこもった会話。

 ひと月ぶりのそうした会話で発したのが、「え、はあ、あっち」って……。

 我ながら情けないことこの上ない。


 私の手の中にうずくまる缶コーヒーは当たり前のように〝あったか~い〟の方の温度。

 そのジンとする温もりに、この夜の中で凍えていたのは私だけではなかったのだと教えられた気がした。



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