自分を急かしているようだった
◇
厚雲の隙間からやっと太陽が顔を出してくれたからって、湿気までキレイさっぱり吹き飛ばしてくれるとは限らない。
空気中に淀む見えない水分がじっとりと身体にまとって重くなり、歩を進めるたびに振られる腕の動きさえもいくらか遅くさせるよう。
ほとんどの大学は2学期制を採用しているけど、この学校では1年を3つの学期に区切る。
中学や高校までの3学期制とも少し違って、世間よりもだいぶ早く、7月の頭から夏休みが始まるのだ。
でも休暇を迎えるために避けて通れない行事があって、それが期末テスト。
初めこそ生真面目に授業に出ていた学生たちも適度にサボり方を知って、新学期直後の人で過密だったキャンパスもいくらか落ち着いていた。
それが最近またワラワラと混み合い始めて、これって明らかにテストを意識した人の動きなんだろう。
そんな人混みから逃げるように私はぶらりとキャンパスを北上する。
講義と講義のスキマ時間、素直に自習する気になれなかったから、この広大な学校の敷地を散策することにしたのだ。
学内の最果てにあると噂の牧場と乳牛が実在するのか、散歩がてら確かめてこようって。
それまでは素通りしていた、風景の一部でしかなかった知らない道。
進むにつれて建物や人影は減っていき、やがて池というより沼と呼ぶべき浮き草まみれの濁った水辺が現れる。
架けられた橋を渡りきると目の前の景色はいっそう緑が深くなって、その続く先には植物見本園や農業技術研究棟、それに学生宿舎群があると知らせる標識。
こんな僻地に宿舎なんて、住まわされる子たちを不憫に思う。
見回しても鬱蒼とした木ばかりで外出しようという気も削がれそう。
案内板どおりの道順なんてつまらないな。
ここまで来るともう当初の予定、牛さんとの交流などどうでもよくなって、湧き上がる探究心に従って分岐した細い道をめったやたらに進んでいく。
周りの雑木林から聞き慣れない鳥の鳴き声が聞こえて、それが途絶えるとまたシンと静寂が戻った。
ここって、ゆっくりと時間が流れてる。
あの人でごった返す中央広場と同じキャンパスの中なのに。
すうっと深呼吸すると、鼻に抜ける針葉樹の香りとツタ植物の蒸れた草の匂い。
知らない道で懐かしい匂いに出会う、このなんとも愛おしい感覚。
若干朽ちた鉄製の車止めの隙間を縫うように抜けると、ふいに見知った大きな通りに出た。
巨大なカラマツの街路樹が列になって並ぶ学内の外周道路。
へえ、ここに繋がるんだって、少しほっとしながらも、白紙の地図が一ヶ所埋まってしまったようで物寂しくもなる。
ここは、本当は名都と探検しようと話していた場所だった。
もし2人で歩けたなら私たちはこの高揚を共有できていたのかな。
名都も私と同様、遠く離れた地元から縁もゆかりもないこの土地へと越してきた。
だけどその家庭環境は少々複雑だったという。
幼い頃に母親は家を出て、そのあとは父親と2人で暮らすでもなく、叔母の元に預けられて過ごしたそうだ。
母親代わりをしてくれた叔母をひとり残し、後ろ髪を引かれながらもここへ来た理由、
『新しい場所に放り出されるって、自分自身も否応なく変わらざるを得ないでしょ』
『順応ってやつ? 名都は自分を変えたいんだ?』
『というより、見つけたいのかな。一番しっくりくる自分っていうのを』
いつもマイペースなはずの名都なのに、そう言ったときのあの子はなんだか自分を急かしているようだった。




