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当たり前に訪れるもの




 新しく刷り直した退部届の書面には私の名前がいつもより濃い筆跡で刻まれている。

 代行(だいこう)はしばらく神妙な顔をしていたけど、そのあとにふっと眉間の力を抜いた。


「お前、保科(ほしな)の言ったこと気にしてたんだな」


 気にしないわけにいかないじゃない。


「いいんだよ。幽霊部員なんて腐るほどいるんだし。こんなもの、律儀に出さなくたっていいんだ」


 代行は用紙を机の上に置いたけど、私はそれに手を伸ばすことはしなかった。

 ケジメのつもりだったし、きっとあの場所に戻ることはないって、わかっていたから。


「花帆にとって、もう俺たちと過ごすことは重要じゃないんだな」


 それはひどく残酷な言葉だったと思う。

 でもそれをひっくるめてすべて受け止めてくれるだけの度量が、代行にはある。

 正直、甘えだったけど、今はその強さに甘えるので私には精一杯だった。



 ◆



 去年の5月13日。

 名都と立て続けに3本の映画を観て、終わったのはちょうど夜が明ける頃。

 アルコールの力もあってハイだった私たちは、夜更かしからの早朝の散歩もオツでしょうって、外の空気を吸いにアパートを飛び出した。


 誰もが動き出す前の、まだ寝静まった学生街。

 地面から湧き上がるひんやりした空気が身体を包み込んで、どことなく視界が白んでいるようだった。

 一方で、空の上には息を飲むほどに美しく彩られたつつじ色のウロコ雲。


『朝焼けって毎日当たり前に訪れるものだけど、普段はその時間、布団の中でまどろんでるうちに通り過ぎていっちゃう』


 名都は気持ちよさそうに息を吸い込んだ。


『こんなに感動的な色彩で空一面を埋めて。すごいことよ。なのに、なんでもないことのように通り過ぎてしまう』


 そんなことに気付くから、私は徹夜が好き。

 そう遠い目をして言う名都の横顔を、私は盗み見るように眺めていた。


『ね、花帆は?』


 思えばこのとき既に、私は名都の中に一種の儚さを見出していたのかもしれない。



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