いつか見たシルエット
◇
翌週の火曜、私は一限の総合科目をサボった。
一限どころじゃない。そのあとに続く講義も軒並み。つまり全休だ。
小雨が降って煩わしかったからというのでもない。
むしろ晴々とした好天で、だから余計、カーテンで受け止めきれずに部屋に差し込む陽の光が鬱陶しかった。
こんなダメな私を非難してるように感じられて。
私、何やってんだろう。
何かをやらなきゃいけない、このままじゃいけないって、気持ちばかりが焦る。
なのに、名都のいないこの場所でどんなふうに過ごせばいいのかわからないんだ。
刻々と時が過ぎて、日が沈んでからさらに数時間。
もうそろそろ23時を回る。
何でもいいから身体を動かす用事が欲しくて、明日がペットボトルゴミの回収日だったと思い出す。
アパートの駐車場脇の捨て場まで出しに行くのに、ほんの一分の往復で終わるだろう。
ただそれだけのことなのに、一日のすべてを閉じこもって過ごしたわけじゃないという実績を作れる気がして、今の私にはありがたかった。
共用廊下から歩道に出たところで、ガタンという音と人の気配。
とっさに振り返ると、隣のアパートの駐輪スペースからスクーターバイクを押し出そうとする青年がいた。
いつか見たシルエット、私は覚えていた。
板垣眞輔――――。
「あっ!」
ほとんど同時に、彼も私の存在に気付いたようだ。
「こんな所で何してんですか、先輩」
こんな所って、ここは私のアパート。
そしておそらく、その隣は君のアパート……。
同じ番地に住んでいることは知っていたけど、まさかご近所さんだったなんて。
なんとなく互いに状況を察して、気まずい空気が漂う。
それを押し流すように彼が言う。
「今日の一限、サボったでしょ」
それを知っているということは、眞輔はあの講義に出席したということ。
なんだかバツが悪くなった。
「心理学概論、やっぱり切るんですか」
「そういうわけじゃないけど」
どう答えても言い訳にしかならないから、言い淀む。
そんな私とは対照に、眞輔は安堵したみたいだった。
「よかった。お節介とも思ったんだけど、一応先輩の分の出席票も出しといたんですよ。代返ってやつ」
上級生として情けないったらない。
こんなんじゃ格好つかないな。
眞輔はぱっと閃いたように悪戯っぽく笑って、
「そうだ。代わりと言ってはなんだけど、ちょっと付き合ってもらえませんか」
なによ、その勿体ぶった前置きは。
嫌な予感しかしない。
でも今の私は彼に頭が上がらないから、素直に従うほかないだろう。
「付き合うって、何に?」
「宝探し」
◇
遠くにあって普段は使わない、午前0時まで営業しているスーパー。
その閉店ギリギリに滑り込んで割り引き商品を買い漁ろうって、そういう卑しい目的で私たち二人は夜の田んぼ道を歩く。
大昔、この辺りは全域が暴れ川の創り出す湿地帯だったらしい。
都心まで繋がるターミナル駅と大学を中央に据え、周りを囲うように研究施設や商業施設が並ぶという都市構想のもと開発されたこの街は、中心地の外に出れば当時の名残りとしていくつもの川の支流と広大な水田が広がっている。
ゴールデンウィークを境にして水を張った田んぼ。
見渡す限りの地表には大量の水が静かに湛えられて、月や雲の姿を暗闇の中に白く反射させている。
まるで波の立たない海原の上を歩くような不可思議な感覚。
こだまするカエルたちの鳴き声以外に音はなくて、それが震えるくらい神秘的だった。
一年も住んでいたのに、この景色を知らなかった。
正確に言うとこういう道の存在は知っていたけど、5月の夜更けにこんな姿に変貌するなんて、去年の時点では知りようもなかったんだ。
私はよほど舞い上がっていたみたいで、隣を歩く眞輔が苦笑した。
「たかが田んぼでこんなにはしゃげるなんて、ヘンな奴」
南関東の市街地に生まれた私は、視界一杯に広がる壮大な田園風景など知らずに育ったのだから仕方がない。
「田舎者の君には見慣れた光景でしょうけど」
「本当、お嬢ちゃんは世間知らずですね」
皮肉を皮肉で返す、小生意気な奴。




