それは何っていう話
いつか、名都は桜の花を嫌いだと言った。
なんか汚らしいじゃんって、悪びれもせず言ってのけた。
桜を嫌う日本人がいるものなのかと、私は心底驚いたんだ。
それってもはや母国に対する不敬だろって。
そのくらい桜は私たちに馴染み深く、無条件で愛される存在だと信じていたから。
『色味のない花びらがこれでもかってくらい凝集して、貧相な枝の先に群がってるみたい。なんか下品じゃん』
右ストレートを喰らった気がして。
でもその衝撃は、なに言ってんだコイツって呆れからくるものだと思ったんだ。そのときは。
困ったことに、それから桜を見るとどうにも複雑な思いに駆られてしまう。
疑いもなく美しいねと言えていた以前とはまるっと変わってしまったみたい。
世間一般ではこうだから。そうやって側面しか見えてなかったものの裏側に気付かせるような一言を名都はよく口走った。
『春の定義は?』
日照時間とか平均気温とか、地球の公転周期、そういう話じゃない。
私たちの思い描く春、それは何っていう話。
小学生の頃に理科の授業で季節の草花を観察した。
教科書を片手に校舎の周りを歩き回って普段は目にもとめない雑草の名前を知る。
オオイヌノフグリ。ヒメオドリコソウ。カラスノエンドウ。
そういう、誰のものでもない野花たちがひっそりと息づき始める頃。
それが春。
私はそう答えたんだ。
名都はというと、想定のずっと斜め上。
『不思議と心がウキウキ弾んだら、それはもう春でしょ』
恋する乙女かよ。
◇
深夜1時。
住宅地から外れた運動公園の静まり返っただだっ広いグラウンド。
その隅に私はひとり縮こまるようにして佇んでいた。
陸上用のトラックをぐるりと取り囲む緑地に作為的に並べられた桜の木。
オレンジの街灯が控えめに照らすその淡い花々はまだ七分咲きにも満たないくらい。
陽の下で見るのとは違って、柔らかな暖色の明かりに浮かび上がる夜桜の艶めかしさというのは素直に見とれてしまうくらい綺麗だと思う。
露わにすべてを晒すのではなく、このくらいの主張に留めておくのがちょうどいい。
奥ゆかしさっていうものだろうか。
それにしても、寒い。
意識して厚着をしてきたつもりだけど、本当に、マフラーでも巻いてくればよかったと思うほど。
4月は4月でもまだ月を跨いで3日が経っただけだしね。
3月31日が誕生日という比類なき早生まれの私。
19歳になって3日が経った。
地方大学への入学を機に、親里離れこの北関東へと越してきて丸1年。
私はこの街で19歳になった。
今日も明日も平日で、世間の皆様はナチュラルにお勤めがあるんでしょうけど、私たち大学生の学期始めは来週から。
長期休暇の佳境に位置して、春とも呼べるし、春と呼びたくもないこの中途半端な期間をどう過ごすべきなのか、いまいちよくわかっていない。
サッパリと冬眠を明けられなかった熊のようにノタノタとうごめいている。
新年度はもう始まってるっていうのに。
そんな寝ぼけたような日常から夜の公園へと飛び出した理由は、一言で表すのなら焦燥感なんだろう。
私、もうかれこれひと月以上もまともに人と話していない。
というかほとんどアパートの外に出ていなくって、これはもう、紛うことなくヒキコモリってやつ。
このペースを保っていたらきっと来週から始まる講義もサボるだろうし、そのまま顔を出すタイミングを失って、やがて大学を辞めるのだろう。
悲しいかな、そこまでの先がくっきりと見えてしまっている。
だから、リハビリ。
のつもりだったけど、こんなんじゃリハビリにはならないな。
結局誰とも言葉を交わしてないし。
ただ、名都に会いたいって、そんな物寂しさが滲んできただけ。
どうよ、夜桜ってのは案外悪くないもんでしょって。
そう言ってやりたいという物寂しさが滲んだだけ。