-結- 順当な結末を迎える僕
ただ熱かった。
普通に眠って、熱さで目を覚ましたら、周囲が真っ赤に染まっていた。
ログハウスはおろか、周囲の木々全てが燃えていたのだ。逃げ場などなく、混乱した頭では、唯一の武器であるスマートフォンに手を伸ばすことすら思いつかなかった。
煙に巻かれ、熱に焼かれ、地獄のような苦しみの中で床をのたうち回った。
一瞬で死ねた前世は幸せですらあったと気付いた。
「……、あっ」
炎から逃げるように、赤い悪夢から目覚める。
目を開けて飛び込んできたのは薄暗い室内だった。
「あ、う」
喉が渇いて、声がまともに出ない。
上半身を起こそうとするが、痛みで動作を中断する羽目になった。少し動こうとするだけで、全身が引き攣るような痛みを発するのだ。
それでも状況を把握しようと視線を動かす。
窓のない部屋だ。
「あら、お目覚め?」
白い影が、視界に映った。
真っ赤な口紅を引いた唇をにんまりと歪め、笑いながら近付いてくる。
口調に反して、白衣を着た長身の男だ。
「ちょっと待ってね~。今、解析中だったの。これ、あなたのでしょう?」
そう言って男が見せつけてきたのは、黒いナイフった。
自衛アプリから出てくる武器だ。
兵士相手には無双したアイテムも、火事が相手では役に立たなかった。
今もこの場にあるということは、火災の中で無我夢中で起動して、そのままだったのか。
「ちょっとだけ解析したわ~。ほとんど何も分からなかったけど。ただ、効果としてはこのナイフ、敵意に反応するみたいね。自動迎撃の術式が組み込まれてる。後は魔法無効化ね、この二つが両立してるってすごくない? 水と油を混ぜて、両方の性質を合わせてるようなものよ?」
「……う、あ」
「とはいえ、こんなオモチャで公爵様に喧嘩を売るのはちょっと無謀よねぇ」
その言葉で、自分の状況を悟る。
公爵。確か、兵士が口にしていた言葉だ。
名前までは憶えていないが、ここは何とか公の領地であると。
まさか、自分を捕らえる為に、森に火を放ったというのか?
思考が追いつかない。たかだか人ひとりを追い詰める為だけに、そんなことをするはずがないと常識が理解を阻んでいた。
「なん、で……僕は、別に、なにも」
「何もしてない? いやぁ、それは通らないでしょ。公爵家の領地に勝手に家を建てて、怪しげな代物を持ち込んで、現れた兵士を力尽くで追い返した。これで領主が何もしなかったらその方が問題でしょう。流石に森を焼くのは思い切りが良すぎるけどね」
だとしても、おかしいだろう。
自分はただ、森で生活していただけだ。それだけで、どうしてここまでの仕打ちを受けなければならないのか。
「僕、は……静かに、暮らしたかっただけで」
「だったらこんなモノに頼っちゃダメでしょ~? 普通の村人は特別な力なんかに頼らず、静かに穏やかに暮らしてるわよ。あれだけ目立つ住居を建てておいて、兵士を相手に力を見せびらかしておいて、矛盾してるわ。静かに暮らしたいなら、どこかの農村で暮らせばいいのに」
男の言葉から、農村で暮らす自分を想像する。
朝早くから起きて、畑を耕して、作業だけで一日が終わる。田舎なら食うには困らないだろうが、食事は質素なものだろう。娯楽なんて、きっとほとんどない。
そんな生活の何が楽しいというのだ。
彼の憧れるスローライフは、そんなものではない。
何故か、手足は上手く動かない。
だが、口は動かせる。
男の手にあるナイフは、ツバサを守る為のものだ。
カラカラと乾く喉に力を入れ、絞り出すようにツバサは命じた。
「そいつを、殺せ!」
「あら物騒」
ナイフは動かず、代わりに通知音が鳴り響いた。
『このアプリは自衛用です。自発的に他人に危害を加えることはできません』
日本語のメッセージなのに、数秒、何を言っているか分からなかった。
自衛用? だから、自分からは攻撃出来ない?
『――だったら自衛の手段くらいは欲しいな。人を傷付けたりしたいわけじゃないけど、そういうのをくれる?』
「あの、女神……!」
よりにもよって、肝心な場面で役に立たないアイテムを渡しやがった。
自衛が目的だからといって、明確な敵も対処できないような武器に、何の意味があるというのだ。
「その様子だと、予想通りかしらねぇ。兵士の武器を破壊して、魔法も無効化したのに、火事は消すことどころか、自分の身すら守れなかった。敵意がキーになってる」
「ぐうう……!」
「ああ、無理しない方がいいわよ。傷口、まだ塞がってないから」
他のことに気を取られてばかりで、ツバサは自分の体の状態に今更ながら違和感を抱く。
手足が上手く動かない。痛みはじくじくと伝わってくるのに、それ以外の感覚が何もないのだ。
「申し訳ないわ~。火傷が酷くてね。ウチの魔法使いだと、治しきれなかったのよ」
「治し、きれなかった……?」
「ええ。だからまあ、これまで通りの生活は諦めて。代わりにアタシが支えてあげるわ。あなたの脳みそが、アタシの欲しい情報を吐き出す限りね」
目の前が真っ暗になった。
ただでさえ敵地としか思えない場所で、しかもこんな動かない体で、生きなければならないというのか。
「さしあたっては、このアイテムについて教えて欲しいわね」
指先でつまむようにスマホを持ち上げ、男が見せびらかすようにスマホを振る。
自衛用のナイフが向こうの手にあった以上当然だが、スマートフォンも押収されていた。
「ナイフの方は多少解析できたけど、こっちはさっぱり。あの火事でも傷一つついてない。それなのに魔力を感じない。不思議なアイテムね」
アプリは二つしかインストールされていないし、操作も慣れていれば単純なものだが、スマートフォンに表示される文字は日本語だ。
だから使い方が分からず、解析が出来ないと男は嘆いていた。
「あなたにとっても悪い話ではないでしょう? 公爵様は色々を拷も――もとい、話を聞きたがってるみたいだけど、アタシが交渉したの。こんなアイテムを持ってる子を、お貴族様の残虐趣味で再起不能にしちゃうのは勿体ないって」
「……アンタが、庇ってる?」
「そうそう。あなたが必要な情報をくれる限り、アタシはあなたの味方よ。ね、信じて?」
嘘はついていないのかもしれない。
だが、今の言葉は言い換えれば、スマホの使い方を聞き出したら用済みということだ。交渉にすらなっていない。
「使い方、だったな……」
「ええ。何か文字が書いてあるけど、これって古代文字かしら? アタシじゃ読めなくてね。教えてくれるかしら?」
「……分かった」
「一応言っておくけど、アタシに危害を加えたら――あらやだ、三流の脅し文句みたい。ごめんなさいねぇ、良いセリフが思いつかなくて」
言われなくても、分かっている。
ここでこの男を殺したところで、身動きの取れないツバサが逃げることは敵わないだろう。
下手な真似をすれば、今より酷い目に遭うかもしれない。拷問されて死刑など、想像するだけで怖気が走る。自分の身を焼く炎を思い出し、血の流れが止まりそうなほどの恐怖が蘇った。
だから、ツバサは言った。
もう終わりにしたかった。
「カメラを、こっちに向けてくれ」
「カメラ?」
「後ろにレンズ……丸いガラスみたいのがついてるだろ。こっちに向けて、側面のボタンを押すんだ」
「ボタンね、こうかしら。……あら不思議、あなたの姿が映ったわ。素材がガラスに変わった?」
「そしたら……画面の丸いマークを、押せ」
「はいはい」
目を閉じて、ふと思い出す。
『ポイントがない場合は、要らない物と交換してみよう! カメラボタンで対象を撮ってみて!』
……要らない、物。
何故か、へらりと笑みがこぼれた。
もしこれが神様の描いた顛末なのだとしたら、悪趣味すぎる。
今となっては、どうでもいいが。
どうせ終わりだ。
ポイントに変換された物体が、どうなるかは分からない。それでも、ここから消えてなくなれるのなら、これ以上は悪くならないはずだ。
真っ暗な視界の中で、かしゃりというシャッター音を聞いた。
死ねばまたあの女神と顔を合わせるのだろうか、と考えながら。
-完-