-転- スローライフの為に無双する僕
森で暮らし始めて、一週間が経過した。
住めば都とはよく言ったもので、今ではすっかり森暮らしにも慣れたものだ。
ログハウスの狭さも一人で暮らす分には十分だし、森の中ならポイントと交換する物体には事欠かない。
そういう意味では、下手に人里に出るよりもやりやすいかもしれない。
とはいえ万事が万事、上手くいったわけではない。
元々考えていた自給自足の生活には、程遠いのが現状だ。
「うーん」
カセットコンロの上で煮立つ鍋を見下ろし、ツバサは唸った。
「焼き肉の方が良かったかもしれない」
目の前でぐつぐつと煮える鍋は、こちらの世界に来て初めての手料理だ。
試しにホームセンター(オンライン)で購入した罠を張って、兎を捕らえ、調理してみたのである。
一口だけ味見してみたが、とてもではないが食えるものではなかった。
追加で取り寄せたサバイバル教本とナイフで、血抜きや毛皮の剥ぎ取り、臓物の除去は行ったが、全然上手くいかずにグロテスクなことになった上に、何とか鍋で煮込んだ汁物は獣臭さと血生臭さのダブルパンチで酷い有様だった。
「まあいいか……これも経験だ。食事はレトルト品があるし」
そもそもツバサのやりたいことは、サバイバルではなくスローライフだ。猟師の真似事は、たまたま最初に角付きの兎を見かけたことを思い出し、何となく手を出したに過ぎない。
「つっても、そうなるとやることがないんだよな。テレビも漫画もないし。人里に出るかぁ」
ログハウスの横手には、ひとまず購入した鍬などの農具と大量の肥料が積まれている。買うだけ買って放置している状態だ。
ログハウスの組み立てのように、作業を代行してくれるオプションはなかったから、畑を耕すところから自分でやらなければならない。
気が向いたらやろうとは思っているが、まだ手を付けていない。野菜を作るのにも時間が掛かるだろうし、焦って動く必要はないと考えていた。
「うーん、退屈だ」
何でもいいから、刺激が欲しいと思った。
スローライフとはいっても、まだまだツバサはおじいさんというわけではない。少しくらいは刺激がないと退屈で死にかねない。
そんな思いは、予想外の形で叶えられることになった。
――朝から騒々しい物音で目を覚ますことになった。
「誰かいるか! 出てこい!」
「あ、え、はい!」
突然の怒声と扉を叩く音に、ツバサは飛び起きた。
スマホのアプリから購入した時計を見ると、まだ早朝だ。自由気ままなスローライフを送っていた所為で、こんな時間に起きるのは久しぶりだった。
寝癖も直さないまま、ドンドンと乱暴に叩かれる扉を開ける。
いささか不用心だったかもしれないが、寝起きで頭が回っていなかったのだ。
「だ、誰ですか?」
扉の向こう側には、五人の男が立っていた。
剣を腰に携え、武装している。格好からして、兵士だろうか。後方に馬が見えるし、野盗というには身綺麗な姿に見えた。
他人の姿を見るのは久しぶりだ。
「我々は領主軍の兵士だ。現在、領地を巡回している」
「は、はあ」
「今度はこちらが聞く番だ。貴様、ここで何をしている?」
「何って……」
「素直に答えろ。嘘や黙秘は許さん」
横柄な口調に、前世で職務質問してきた警官の姿が思い浮かび、ムッとなる。
ようやく寝起きの頭も冴えてきて、自分の状況を思い出した。
寝覚めの悪い起こし方をしてくれたことも合わさり、折角のスローライフに水を差された気分で、舌打ちしたくなった。
それでも辛うじて理性が勝り、無駄な争いは避けようと、ツバサは大人の対応を心掛けた。
「……別に、ここで普通に暮らしてるだけですよ」
「ここはエスカル公の治める土地だ。森への立ち入りは一部の猟師以外は禁止されている」
「はあ……」
あまり実感が湧かなかった。
これほど広大な森林が誰かの所有物。おそらく持ち主は貴族などのお偉いさんなのだろうが、流石は異世界、スケールが違う。
地方都市の狭い住宅街で育ったツバサからすると、それこそ異世界のお話だ。
反応の鈍いツバサに不審な目を向け、兵士が重ねて言う。
「そも、如何なる地であろうと、大元は王族の所有物である。こんな所で暮らして税は納めているのか? そもそも貴様、どこの領民だ?」
そう問われても、答えられるはずがない。
そもそもここがどこの国で、どんな領主様が治めているかも知らないのだ。
「怪しいな。他国の間諜かもしれん。一緒に来てもらおう」
「え? いや、ちょっと」
「抵抗するな。手荒い扱いが望みか?」
腕を掴まれそうになり、ツバサは反射的に振り払った。
それが抵抗に見えたのだろう。
「貴様――」
「ひっ」
兵士が剣に手をかけるのを見て、ツバサはもつれそうになる足で室内のベッドに向かった。
縋りつくように、枕元に置いておいたスマホに飛びつく。
充電切れも通信途絶もない魔法のスマートフォン。
ツバサにとっての命綱だ。
「捕らえろ!」
隊長らしき男の命令で、兵士が一斉に動く。
緊張で息を荒くしながら、ツバサは震えそうになる指で目的のアイコンをタップした。
『セキュリティ』と表示された、アプリケーションだ。
次の瞬間、スマホが振動して画面から何かが飛び出した。
「なっ!」
燕のような速度で黒い何かが飛び回り、一瞬で兵士たちの手から武器を奪った。半ばから真っ二つになった剣が五本、地面に落ちる。
アプリの効果は事前に説明を読んでいたから、分かっている。
武装解除。自分に敵意を向けた存在の武装を、強制的に解除するというものだ。
室内を縦横無尽に飛び回り、兵士から武器を奪った物体が手元に戻ってくる。
黒いナイフだ。
「まったく……土足で人んちに上がるなよ」
自衛手段の有用性と、相手が武器を失ったことを確認し、ツバサは溜息をついた。
兵士たちも彼我の実力差は分かっただろうし、これでお引き取りしてくれるだろう。そう考えたのだが、しかし相手方はそんな常識が通じる文明人ではなかったようだ。
「貴様!」
怒声を上げて、隊長らしき兵士が手のひらをツバサの方に向けた。
「『火炎よ、敵を焼け』!」
言霊に応えるように、赤い光がその手に宿った。
もしかして、これが魔法、だろうか。
虚空から発生した火種は瞬時に巨大化し、バスケットボールほどのサイズに成長した。
轟々と燃え盛る火炎を前に、ツバサは怒鳴った。
「やめろ! 家が燃えるだろうが!」
言葉と同時に、ナイフが火の玉に突き刺さった。
黒い刃に浸食されるように、炎が一瞬で消え去る。
魔法のキャンセル、これも武装解除の一環なのだろう。仮にも女神様が用意してくれた自衛手段が、まさか物理オンリーなわけないと考えていたが、その通りだった。
「き、貴様、何者だ……?」
武器を失い、魔法すらも満足に発動できなかった兵士が怯えた様子で後ずさる。
仮にも戦うことが本職のクセに、五対一でこの情けない態度はどうなのだろうか。
そんなことを思いながら、手元に戻ってきたナイフを相手に向けてツバサは問いかけた。
「まだやる?」
「怪しげな術を……!」
「僕は静かな生活がしたいだけなんだ。スローライフってヤツだよ。そっちが手を出さなければ何もしない。こんな小市民を相手にしてないで、盗賊とかを相手に働いてくれよ、兵隊さん」
「貴様……後悔するぞ!」
そんな捨て台詞を残して、兵士たちが立ち去る。
念の為、その背中が視界から消えるまで待って、ツバサは溜息をついた。
「やれやれ……僕のスローライフを邪魔しないで欲しいな」
森に火が放たれたのは、その日の夜だった。
この地を治めるエスカル公は、苛烈な性格で有名だ。
公爵家の当主としては有能である反面、税を滞納した村に対して焼き討ちを命じたこともあり、一部からは『火炙り公』の忌み名で恐れられている。
そんな容赦のない人物が、領内に不審な存在がいると聞き、あまつさえそれが己の抱える兵士に逆らうような不届き者と知れば、悠長に看過するはずがない。
その結果が、目の前で燃え盛る森だ。
たった一人の不審者を捕らえる為だけに、延焼を抑える最低限の仕掛けはしたとはいえ、彼は兵士に命じて領内の森に火を放った。
あまりにも過激なやり口に、彼の周囲に控える部下の目には恐怖の色が宿っている。
どこかうっとりとした顔で、火に包まれた森を見ていたエスカル公は、駆け寄ってきた兵士に気付いて表情を引き締めた。
「結果は?」
「標的を確保しました。重度の火傷を負って意識不明です」
「話を聞く。治療を施せ」
「はっ! それから、こちらですが」
「なんだ」
「これだけは燃えずに残っておりました」
兵士が差し出した四角い物体を、エスカル公は目を細めて取り上げた。
「……マジックアイテムの類か」
「分かりません。魔力は感じませんが、焼け跡一つないとなると、何かしらの力が宿っているのかと」
「研究狂いの変態にくれてやれ」
「了解しました!」
それっきり他のことからは興味を失ったように、公爵は森を焼く火炎に視線を戻した。
紅蓮の光に照らされた頬は、伝わる高熱も合わさって、初恋を自覚した少女のように紅潮している。
既に消火活動は始まっている。
それが終わるまで、火炙り公は火事を見つめていた。
ただただ、炎を眺め続けた。