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火蓋

 しばらく無心で来た道を駆けていると、木々で鬱蒼とした地帯を抜け、ラント村が見えてきた。


「……これは驚いた。まさかまだ動けるとはのう」


「えぇ……。キミ、アイツの魔力を根こそぎ奪ったんだよね……?」


「そうじゃ。事実、奴の魔力は一切回復しておらぬ。何の冗談なのじゃか」


 村のはずれにはルモアとライツ、そして意識を取り戻した様子のミーノ、三人の姿があった。

 悪魔の(ディアブロ・)囁き(コントラート)は既に発動されているようで、原始生物(ミュートス)から漏れ出た魔力が辺り一面を覆っていた。


「あの天使はどうしたのじゃ?」


 ルモアが尋ねてくる。


「ルージュか? 奴は置いてきた。元より魔王討伐の為に結託していたに過ぎん。己の不始末に付き合わせる訳にはいかぬ」


「己の不始末、のう……。お主が妾と口を利いたのは実にあの日以来であるが、どういった心境の変化なのかのう」


 ルモアは冷静を装ってはいるが、つい先ほどとは打って変わってどことなく不満げな様子であった。


「妾の事を十年にも渡って無視し続けたにも拘わらず、いざ妹の危機となるとなりふり構わずこちらに干渉するのじゃな」


 ルモアは半ば呆れたようにそう言いながらも、原始生物魔法(ミュートス・マギカ)の行使を続ける。

 焦げ茶色の地面に僅かながら生気が宿り始め、まばらに青々とした草花が生え始めていた。

「返す言葉もない。しかし、それでもネリスを犠牲にすることだけは許せぬのだ。お前もそうだと思っていたのだが」


 ルモアはそれを聞くと、鼻で笑って肩を竦めた。


「ははっ、面白い冗談じゃのう。十年の時を共にして、この大悪魔が絆されたとでも思ったのか? 妾の目的は魔界への帰還ただ一つじゃ。それに伴う犠牲など知ったことではない」


 ルモアは言い聞かせるように語気を強める。


「それがお前の本心か? まぁ良い。俺が止めてやろう」


 ルモアは再び鼻で笑った。


「おいおい、お主、まさかその状態で妾に勝てるとでも思っておるのか? ましてや――」


 ルモアは側に立つライツに目を向ける。


「――この男を制することすら難しいのではないかのう?」


 ライツは剣を鞘から抜くと、不敵な笑みを携えて構えを取った。


 とそのとき、遠くの方からそれなりの数の人影が走ってくるのが見えた。

 先頭を走るのはエヌスとリリーのようである。

 この魔力の渦の中だ、いくら魔力に対して鈍感であっても、何かが起きていることには気付いたのだろう。


「おーい、これはどういう状況なんだ?」


 後ろには村長をはじめとした村人たちの姿もあった。


「天使さまだ!」


「おぉ、漆黒の天使さま!」


 感嘆というか愉悦というか、そんな何とも形容し難い声を上げる村人らを少し離れたところに待機させると、エヌスとリリーは俺の側までやってきた。


 飄々と立つライツの姿を確認し、エヌスは渋そうな顔になる。


「というか何なんだ? アレは」


「ほんものの悪魔、です……?」


 二人はルモアを訝しげに見つめる。


 今のネリスの、いや、ルモアの外見的特徴は昨日俺が暴走した際に見せたそれと比べ、いくらか洗練された印象を受けるようなものだったからだろう。

 半ば確信しつつも二人は懐疑的な表情を浮かべている。


 堅牢そうな爪は丁寧に研がれ、背に擁する漆黒の翼は腕利きの職人が鞣した皮のように高尚な輝きを放っている。

 鋭利なその目つきの奥には確かな知性が感じられ、口元は悪役然と歪んでいた。


 俺のあの状態は力を司る魂が剥き出しで表出した結果であって、悪魔本来の姿という訳ではないのだ。


「あれはネリスの身体に受肉した大悪魔だ」


 エヌスは困惑した顔を見せながらも尋ねてくる。


「アレとは敵対してるってことでいいのか?」


「……まぁ、そうだな。このままではネリスの命が危ない」


「分かった。ライツは今度こそオレが引き受ける」


「恩に着る」


 エヌスは剥落槍を構えると、少し横に逸れながら前に出た。


「ライツと言ったかのう、あやつはお主の知り合いか?」


「うん」


 ライツは軽く頷くと、エヌスと同じく横へ逸れた。


「まぁ1対1になったところで今更何も変わらぬじゃろう。お主もそうは思わぬか?」


 艶美な口ぶりとは裏腹に、剥き出しの敵意を向けながらルモアはそう語る。


「その点には同意する。この戦いの結末は既に決まっている」


 俺はそう言って、不安そうに見つめるリリーを尻目に一歩前へ出た。

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