凶兆
魔王城城内、”子供部屋”。
そこから見えたその日の空模様は陰鬱としていて、まるでおどろおどろしい何者かが迫ってくるかのように、大きな大きな黒い雲が大地の光を奪っていた。
「お兄ちゃん、やっぱり私……」
はぁ、と少年は魂の抜けるようなため息を吐く。
「ネリス、その話は昨日終わったはずだよ? 僕たちが彼らに何か施すのは筋違いだ。それに、一度手を差し伸べたならその後のことも全て責任を取るべきだ。ネリスにはそれが出来ないでしょ?」
少女はむっとした顔をして少年を睨んだ。
少女は何も興味本位でペットを飼いたいなどと言っている訳ではないのだ。
貧困に喘ぐあの人間の村を救いたい、それが根っからの善意による少女の願いなのだった。
「何よ! 私だってそれくらい……」
「母上にも昨日話をしてみたけど、結論は僕と同じだったよ。この件に関して僕や母上や、当然父上もそうだろうけど、魔族は一切の支援を行わない。つまり――」
「やるなら一人でやれってことね! もう分かったよ!」
「そうじゃない、ネリスは本当に分かっているの? 人間の村人を助けるってのはそう簡単なことじゃないんだよ? 僕たちは世界の爪弾き者なんだ。魔族が村人に施しを与えるという行為には裏があるはずだと考える人もいるだろう。そうなったとき、矢面に立たされ糾弾されるのはネリス、君になるんだ。
それに……、魔族と人間の間にある禍根は相当なものだ。魔族側にも反感を持つ人は一定数いるはずだよ」
「でも……! じゃあ、これは悪い行いなの!? お母さまはよく言ってるじゃない! 自分の中の正義に忠実に生きなさいって!」
ネリスは今にも泣き出しそうな顔で続ける。
「私たちは毎朝豪華な朝食を食べる。優雅にコーヒーを飲んで、一日楽しく暮らしてる。それが普通のことだって、みんなそうしてるんだって思ってた! けど……、あの人たちは違った……。あんなの、ダメだよ! 力ある者こそ力の使い方を弁えよ、そうでしょ!? これが私の力の使い時のはず!」
少女は数日前に見た、あの衝撃的な光景を思い出していた。
衛生状態は悪く、衣服もボロボロで、食事すらままならない様子の村人たちの生活。
頬は痩せこけ、今にも折れてしまいそうなその体躯に鞭打って外での重労働に身をやつす彼らの日常。
少年は軽く頭を抱えながら、少女の訴えを退ける。
勢い余って魔族領の外へ出てしまったのが事の発端であり、これは明らかに少年の失態であった。
「じゃあ聞くけどネリス、彼らが不憫な目に遭っているのは誰のせい?」
「それは――」
少女は答えかけて、少年の言わんとすることに気付き押し黙った。
「賢いネリスは気付いているでしょ? 彼らが貧相に見えるのは、あの土地が人類の最終防衛ラインの先にある捨てられた土地だからだよ。じゃあ彼らが豊かになれないのは誰のせい?」
「お父さま……?」
「そう。もっと言えば、世間からすると魔族全体に原因があるように思えるはずだ。で、その村を魔族の、しかも王族であるネリスが助けに行って恩に着せる。これ、マッチポンプって言うんだよね。傍から見れば質の悪い偽善だよ」
「だからって、あの人たちを見殺しになんて出来ない! 私は私の正義を貫きたい!」
ネリスはふいに立ち上がると、扉の方へと歩き出した。
「どこへ行く気?」
「あの村に決まってるでしょ!」
少年はまたも大きなため息を吐くと、厳しい質問を投げかける。
「行ってどうするのさ。父上達からの食糧支援は望めないよ?」
「私にはこの右腕があるもん!」
少女は美しく光り輝く右腕を掲げる。
「……ネリス、それじゃあ無理だよ。エネルギー保存則って知ってる?」
聞かれたネリスの頭には疑問符が浮かんでいた。
「古典的な物理の話なんだけどね、いいかい、神の権能っていうのはあくまで触媒でしかないんだ。ネリスの創造神の右腕も例外じゃなくて、魔力というエネルギーを消費して能力を使う訳だけど、そこで出力されるエネルギーはネリスの持つエネルギー以上にはならない」
「どういうこと?」
「まぁ簡単に言うなら、ネリスの食べた以上の量の食糧をその権能で創り出すことは不可能だってことだよ。仮にめちゃくちゃ頑張ってたくさん食べたとしても、彼ら全員を満足させる分量にはなりっこない。そして、ネリスはそれをずっと続けなきゃいけない」
少女は少し考える素振りを見せると、顔を上げた。
「それでも行く」
「――僕と戦うことになっても?」
少年の纏う雰囲気が変わる。
「……うん」
少女は覚悟の決まった顔で答えた。
室内に緊張が走る。
その緊張は城中を伝播し、果てには大気をも震わせた。
鳥たちは何事かと巣から飛び出し、雲は城を避けて進み、城内に棲みついていた齧歯類などは引っ越しの準備を始めていた。
長い沈黙。
流れ落ちる冷や汗。
いくら魔族屈指の実力者であるところの少女と言えども、その少年に全力の敵意を向けられてなお平然としていられるはずはなかった。
少女は動かなかった。
否、動けなかった。
どのように動こうとも全て失敗に終わることが目に見えて明らかなのだ。
遊びや修練ではない、久しぶりに見た兄の全力の戦闘態勢。
時間の袋小路にでも迷い込んだかのような奇妙な感覚。
時が流れ去る。
はぁ、と少年は唐突に長い長いため息を吐いた。
「本気なんだね」
「うん」
少女は踵を返す。
「母上には僕から上手く伝えておくよ。まぁ今のでバレてそうだけど」
「お兄ちゃん、ありがとう」
少女はそう言って部屋を出て行った。
「綺麗事だけじゃやってられない、か。それでいて正義に忠実に、ねぇ……。母上も難しいことを仰る」
少年は少女の背中を見送ると、どう言い訳したものかと思索にふけるのだった。
しばらく毎日投稿になります。




