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子離れ

 魔王城。

 それは、二千年もの時を経てなお難攻不落の魔王の牙城。


 その最奥に位置する玉座の間へと続く長い廊下の真ん中を、六歳の少女が駆けていた。

 短めに切りそろえた髪をばたつかせながら、目の前に見える一人の人物目掛けて一目散に駆けてゆく。

 着物を纏い下駄を履きながらも器用に駆けるその姿は、健気で可憐な少女そのものであった。


 魔王のお膝元であるその城の中においては冷静沈着で優雅な振る舞いが求められている。

 従って、本来であれば許されない暴挙。

 しかしながら、彼女は城の中であってもある程度勝手な振る舞いを許された、数少ない例外の内の一人なのだった。


「お母さま、ご本読んで!」


 少女は純白のドレスを纏ったその女性の腰に背後から抱きつく。

 その女性こそ、魔王が有史上唯一娶った人物、魔王妃ペルルなのだった。


「あらネリス。いいわよ、お兄ちゃんとお部屋で待っていてちょうだい」


 ペルルは少し困った顔をしながらも、快くそう応える。


 ネリスと呼ばれたその少女は嬉しそうに頷くと、わくわくを心の内に爆発させながら、再び器用に廊下を駆けて行くのだった。


 ペルルは廊下に備え付けられた時計を一瞥すると、玉座の間へと歩みを進める。


 時計の針は午後八時頃を指していた。

 子供はそろそろ眠る時間であった。




 彼女は広く長い廊下を抜けると、そのまま玉座の間へと入った。


 玉座の間とそこへ続く廊下の間には、特に扉などはない。

 玉座の間とは言うがあくまで形式的な魔王の居場所というだけであって、魔王の居室は別にあるのだ。

 そのためセキュリティーなどに気を遣うよりも、権威の象徴たる絢爛豪華な装飾などの方が求められているというのがその理由の一つだった。

 そもそも魔王その人にとってセキュリティーなど必要ないという根本的な事情もあるにはあった。


「失礼するわ」


 彼女はそう言っておもむろに玉座へと歩いていく。

 本来であれば許されぬ愚行。

 しかし、彼女もまた、その数少ない例外の内の一人なのだった。


「ペルルか。……このような時間に何用だ?」


 玉座に座するは魔王マレディレントその人である。

 死をも司ると噂され、人類にとっての絶望の象徴とも謳われるその男は、妻の姿を確認すると鷹揚にそう言った。

 もっとも、その問いに対する応えは粗方予想が付いていた。


「やっぱりあの子をオスクルに任せるのはどうかと思うって話をしに来たのよ」


 魔王はまたかと頭を抱える。


 ここ数年で一気に多忙を極めるようになったペルルを慮り息子の相手を部下のオスクルにさせていたのだが、そろそろ娘もそうすべきだろうと話したのが一週間前。

 そしてこの一週間、彼女は足しげく毎日ここへ通っては文句を言うのだった。


「そもそもなんであんな男を教育係に抜擢したのかって話よね」


「それは……」


 魔王は反論しようとして昨日の出来事を思い出し、はたとその口を閉じた。

 彼女には如何なる口答えも通用しないのだ。


「以前から言っているけれど、アイツはただのガサツなダメ親父なのよ? 確かに能力は高いけれど……。特にネリスと引き合わせるのは絶対にダメだわ」


 彼女が本気の顔でそう言うので、魔王はつい笑ってしまった。


 魔王は末端の部下にまで気を回すことのできる優しい男だ。

 直属の部下である五将会集(サンク・デモネ)に至ってはなおのことである。

 これが何の関係もない第三者による言だったならば、魔王は恐らく怒りを露にしただろう。


 オスクルは彼女の幼馴染らしいのだ。

 よく知る仲であるところの彼女がそうまで言うのだから本当にそうなのだろうということが分かってしまい、つい笑ってしまったのだった。


 当然、魔王にも思惑はあった。

 確かに彼がいわゆる”まともな大人”ではないということはよく分かっていた。

 酒に溺れ、暴力を振い、暴言を吐き、またケロっと忘れて酒に溺れる。

 そんなことをこの魔王城へ来てからも繰り返しているのをずっと見てきたのだ。

 魔王への忠誠心も高いとは言えない。

 むしろ客観的に見れば、嫌っているようにすら思えた。


 しかし、魔王は彼の能力、というよりは直観力のようなものに全幅の信頼を置いていた。

 根っからの天才肌とでも言うのだろうか、本当に必要な場面で本当に必要な事だけを為し、あとは酒に溺れて潰れている、そんな小説の中のダークヒーローかのような振る舞いが魔王にとっては物珍しく、心地よかったのだ。


 こうした第六感とも取れる能力の成長は一朝一夕で成るものではない。

 それが過去の彼の努力の証左であり、また魔王が並々ならぬ敬意を払い信頼を置く理由でもあったのだ。

 そして、魔王はそうした能力を子供たちに身に着けてもらいたいと思うからこそ、彼を教育係に推薦しているのだった。


 もっとも、ペルルを除いた五将会集の中で、意外にも唯一子育てをしたことのある 人物であったことも無関係ではなかった。


「前にも言ったけれど、私はあなたに最後まで付き合う わ。そろそろ五将会集も引退しようかと考えていたところよ」


 彼女は魔王の座る玉座の裏にフワフワと浮く小さな玉のようなもの を眺めながら、そう言った。

 それは純粋なる魔力の塊であり、日に日に大きくなっていた。


「……それは良い。お前を説得するのはもう諦めた。だが……、五将会集の穴埋めはどうするつもりだ?」


「ネリスを推薦するわ」


 魔王は娘を幹部の引継ぎ先に推薦するという彼女の発言に少し驚いた顔をする。


「……それがオスクルを教育係から除外したい本当の理由か」


「えぇ、そうよ」


 彼女は大きく頷くと、更に続けた。


「五将会集には権力的序列がないのでしょう? 魔王補佐のため、それぞれが独立した指揮系統を持つべきとはあなたの言よね」


「そうだ。各々の自由な発想こそ我の、いや、魔王の 求めるところである」


「であれば、同じ五将会集のオスクルをネリスの教育係に抜擢するのは不適当だわ。あの子は将来五将会集の一人になる予定なのよ。そこに上下関係を持たせるのはよくないわ」


 魔王は少し考え、再び口を開く。


「将来的な魔王補佐という点で言えば、ネリスを五将会集に推薦する話は我も賛成だ。子供らの独り立ちを願う我々もまた、早く子離れすべきなのだろう。しかし、だからこそ、彼女の教育係はお前以外がすべきだと思うのだ」


「それも分かるのだけれど、少なくともオスクルはないわ」


 普段は心優しい彼女の歯に衣着せぬ物言いに、魔王はまたつい笑ってしまった。

 それはつまり、彼女とオスクルの間にある並々ならぬ信頼関係の証左とも言えた。


「分かった。しかし、では教育係はどうするのだ?」


 彼女はその言葉を聞き、ほっと胸を撫でおろす。


「それについてはもう少し待ってちょうだい。あの子はデュリックと違って少し特殊なのよ。上手く言えないのだけれど……、何というか、優しすぎるがゆえの不安定さがあるのよね」


 魔王は思い当たる節がいくつもあることに気付き、苦笑いした。


 ネリスが四歳の頃の出来事である。

 彼女は生き物を観察するのが好きだった。

 外へ出て行ってはモグラを観察し、トンボを捕まえ、とひっきりなしに動物や虫たちと触れ合っていた。


 そんな中、湖で溺れそうになっている犬を見つけたのだ。

 どうやら子犬のようで、一人で遊んでいたのか、近くに親の姿はなかった。

 そこでネリスはどうしたのかというと、爆撃魔法をぶっ放した。

 おかげで湖の水は全て蒸発、子犬は運よく助かったが、湖に生きる生物たちは全滅した。

 その上蒸発した水が雲となって大地に雨を降り注がせ、作物への悪影響や水害となって魔族を襲った。

 その年の魔族は大変ひもじい思いをしたものだ。


 要は、高い能力の割に後先考えない部分があるのだ。

 それは子供故の過ちとも、少女生来の性格故の必然とも言えた。


「そうだな、お前の言いたいことはよく分かった。もう少しだけ待つとしよう」


「理解してくれて嬉しいわ」


 ペルルはそう言って踵を返すと、嬉しそうに玉座の間を後にした。


 彼女は様々理由を付けてそれらしく語っていたが、魔王はふと、結局は単に娘から離れたくないだけだったのではないかと思ってしまった。

過去編、はじめました。

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