簒奪剣リトフィウス
聖剣から迸る光の束が触れようかというその瞬間、俺は腰の鞘から剣を抜いた。
「簒奪剣リトフィウス」
俺に直撃した――かに思えた光の束は、しかし直前で跡形もなく消滅した。
「なっ……」
確実に捉えたはずの俺がピンピンしているのを見て、ライツは驚きを隠せない様子だ。
見やると、仲間と思しき四人の騎士も皆一様に信じられないという顔をして固まっている。
「簒奪剣はあらゆる事象を根こそぎ『奪う』。聖剣のエネルギーを奪わせてもらった」
名工の鍛えた名刀には名が宿り、やがては唯一無二の能力を宿す。
簒奪剣はあらゆる事象を奪うことができる剣だ。
当然、奪ったエネルギーは俺のものになる。
かの聖剣とやらにどのような能力があるのか知らないが、これで無闇な大振りはできなくなっただろう。
「……なるほどね……。君には聖剣が通じないという訳か……。これを抜いて一撃で仕留めきれなかったのは君がはじめてだよ」
「それは光栄なことだな」
「ただね、僕も伊達に団長名乗ってないのさ!」
ライツはそう言い、俺に迫る。
純粋な剣術勝負でなら勝てると見込んだのだろう。
ライツが聖剣を振り下ろす。
あまりの速度に発生した衝撃波が後方のテントを吹き飛ばすが、真正面から受け止めた俺には傷一つつかない。
ライツの眉がわずかに動き、一瞬驚いた顔を見せた。
剣先が触れ合い鍔迫り合いの形になる。
右足で腹に蹴りを入れる。
後方へ吹き飛んだライツは壁に衝突してようやく停止した。
と次の瞬間、目にも止まらぬ速さで駆け抜けたライツは回り込む形で俺の背後を取ってくる。
ふむ、明らかに常人の速さではないな。
ライツが突進と共に突きを放つ。
俺が軽く体を捻ると、俺の胴をかすめたライツが正面のテントへと突っ込んでいった。
またテントが倒壊する。
間髪入れずに起き上がったライツはテントから布を引っ張り出し、俺に向けて投げつける。
布を目くらましとして裏側から再度突きを放ってくるが、俺はそれを回し蹴りで吹き飛ばした。
ライツの下を離れたと思った聖剣はしかしライツの手の中に納まっており、代わりにライツ自身が聖剣に引っ張られるようにして吹っ飛んでいく。
聖剣は壁に刺さってようやく停止し、ライツは聖剣にぶら下がる形になる。
「なるほど、それが聖剣の能力か」
「何のことだい?」
「今、お前は聖剣を手放すことができないようだな」
聖剣の能力が少しずつ見えてきた。
ライツの動きは非常に速い。
身体能力に優れる魔族の俺でもあの動きをしようとすると無理が祟る程度には速い。
しかし、ライツは戦闘が開始してから一度も聖剣を手放していない。
そして、聖剣が吹き飛ぶとともに釣られて自身も吹き飛んでいった。
恐らく、手放したくても手放せないのだろう。
聖剣の能力は、剣を手放せなくなる代わりに身体能力や魔力などに補助を得るものだろうと推測できる。
通常の戦闘では自ら剣を手放すことなどないのだから、その事実が発覚することもないのだろうが……。
それにしても、聖剣と言う割には地味な能力だな。
そういうものなのだろうか。
「くっ、確かに、聖剣は一度手にすると1時間は手放すことができないんだけど……。どうしてわかったんだい……?」
「なに、いくら俺でも蹴飛ばされた剣と一緒に吹き飛ぶほど剣が好きな人間を見るのは初めてだったのでな」
弱点が見えたからには使わぬ手はあるまい。
「それもそうだ、ねっ!」
ライツは再度剣を構え、高速で俺に肉薄する。
同時に剣を振り上げ、斜めに振り下ろした。
俺はそれを少し上半身を反らすことで回避する。
そして、ついでとばかりに足を上げ、聖剣の柄を地面に向けて蹴り落とした。
「なっ……」
聖剣の切っ先が地面に突き刺さって動かなくなる。
ライツはというとやはり手が放せないようで、奇妙な向きに腕を捻って唸っている。
俺はそのままの勢いで足を引き、顔面、胸部、腹部と順に蹴り飛ばす。
ようやく剣が抜けたという瞬間、ライツは目にも止まらぬ速さで後方へ吹き飛び、またテントへ衝突して停止した。
「いい加減何の大義名分があって俺を襲うのか、教えてもらいたいものなのだが」
壊れたテントからライツが顔を出す。
「くっ……。そういう訳にも……、いかなくて、ねっ!」
言いながら俺の頭上へ飛んだライツは、そのまま自重に重力を重ねて聖剣を振り下ろす。
ガァァン、と鈍い音を立てて剣同士がぶつかり合い、そしてライツは再度吹っ飛ばされる。
壁に激突したライツはそのまま深くめり込んで吐血した。
「お前は強いな」
嫌味を込めて俺は言う。
「僕は……、勇者になる男だからね……」
息切れをさせながらライツは答える。
「勇者選定というのは出来レースだと聞いたのだが」
「それは見解の相違だね。勇者選定はそもそも僕らに課された試練なのさ」
聖剣を杖代わりに立ち上がったライツが言う。
ふむ。
公募された選定の参加者はかませ犬に過ぎないということだろうか。
国の代表が勇者にふさわしいかを見定める、それが勇者選定なのだろうか。
しかし――。
「そうであればなおさら、俺は負けるわけにはいかぬな」
「どういうことだい?」
「お前たちが勇者になってしまえば、一日で人類は滅びる」
これは冗談でも何でもない、紛れもない事実だ。
俺一人にこんなにも苦戦しているようでは話にならない。
父上が戦場に出向いた瞬間、全てが消し炭と化すだろう。
そうでなくとも、五将会集の面々が動けば人類は壊滅的な被害を被るだろう。
たしかオスクルが宣戦布告に来襲することが確定していたな。
奴の性格からして、早めに迎え撃つ準備をしなくては本気で滅亡しかねない。
奴の能力は殊更人間に対しての殺しに特化しすぎているからな。
「どういう意味だい……?」
「お前は弱い。魔王を相手取るには力不足だ」
「なっ……」
満身創痍のライツは悔しそうに唇を噛む。
俺はここではじめて簒奪剣を両手で持ち、まともな構えを作った。
「平和のため、俺が勇者になろう。そろそろ終わりにしようじゃないか」
すると、先ほどまで固まっていた騎士達が一斉に口を開いた。
「さっきから黙って聞いてればよぉ……。勇者になるのはライツ様だぁ!!」
「あまり調子に乗らないでください!!」
「痛い目見ても知らんからのぉ!!」
「……」
槍を携えた騎士は下を向き、無言を貫いていた。
彼を除いた三人が一斉に飛び出してくる。
俺は戸惑うことなく光の速さで走り出す。
一人目、大剣を持った大男を横目に見ながら太ももを撫でるように斬る。
二人目、後方で弓矢を構える女性に一瞬で接近し、腕を落とす勢いで肩を斬る。
三人目、その隣で魔力を貯めていた老人の腹部を抉るように斬る。
そして、何が起きているのか分からない様子のライツの下へと肉薄し、逆袈裟斬り、袈裟斬りを重ねて浴びせた。
聖剣がライツの手から放れ、ガシャン、と音を立てて地面に落ちた。
簒奪剣を鞘に収める。
「――意識を『奪う』――」
俺が剣を鞘に収めるのと同時、斬られた四人は事切れたように地面に膝をつき、そしてそのまま突っ伏した。
しかし、斬られたはずの彼らには傷一つついていなかった。
代わりに、本来傷跡があったはずの場所には禍々しい靄がかかっている。
――簒奪剣は優しい剣――
――傷つけずとも分かり合える――
――いつか、この剣が一番似合う男になりなさい――
この剣を授けてくれた母上の言葉を思い出す。
簒奪剣は優しい剣。
話し合うための優しい剣。
いつか分かり合う可能性を残してくれる。
故に、この剣で傷はつけられない。
この剣ができるのは、奪うことだけ。
槍を持った騎士の下へ行き、俺は言う。
「30分もすれば目覚めるだろう。催眠のようなものだ、心配しなくていい」
面くらったように少し驚き、そして、下を向いたまま騎士は言った。
「お前は……強いのだな。まるで魔王だ……。お前ならあるいは……。いや、何でもない。 後の選定でまた戦うことになるのだろう……? オレたちは負けるつもりなど毛頭ないが……」
そう前置きをし、そして、意を決したように顔を上げる。
「もし……、もしオレたちが勇者になれなかったとして……、お前なら魔王を倒せるのか……?」
「倒してみせよう。俺はデュリックだ。この誇り高き名に誓って、俺が魔王を倒す」
「そうか……。あまり俺の立場からこのようなことを言うのは良くないのだが……。もしそうなったら、オレは騎士団を辞める。あまりに不躾で申し訳ないが、そのときは、このオレを連れて行ってはくれないだろうか」
よほど父のことが憎いのだろうか。
仲間がやられた直後、その敵にすら縋る必死さ。
なりふり構っていられる余裕はないというその顔、そして悔しさの奥に見え隠れする並々ならぬ決意。
彼の心は脆い。
しかし、その不安定さは魔王に一撃を見舞うに足るものかもしれない。
少なくとも、魔王の共通敵であるという事実に変わりはない。
しかし、まずは選定を突破するところからだな。
少しずつ選定の全容も見え始めてきた。
「いいだろう。まずは俺が選定を勝ち抜くところからだがな。正々堂々、いい勝負をしようじゃないか」
そして、俺は広場から少し外れた道へと歩き出した。
いい勝負を、などとは言ったものの、俺が負けることはないだろう。
先ほどの口ぶりからして、あのライツという男がこの国の推薦する最強の剣士、勇者候補筆頭ということで間違いないだろう。
聖剣などという物騒なものも持っていたことだしな。
つまりあれ以上の敵は存在しないということだ。
あとは出来レースの具体的な内容を掴めば完全勝利なわけだが、これに関しても手は打っておいた。
恐らく、俺の勝利は揺るがない。
それにしても、人間が今日も存続できている現状が奇跡に思えてきた。
最強の剣士があの程度とは……。
俺は確かに魔族の中でも強い部類ではあるが、あの程度の輩はごまんと見たことがある。
今回の戦争、俺が肩入れしなければ人間は本当に滅びていたんじゃないだろうか。
そして、先代勇者とやらはどれほど強大だったのだろう。
などと考え路地裏へと歩を進めていると、すぐ近くから少女の悲鳴が聞こえてきた。
「きゃっ……。やめて下さい、です……!」
何かしらのトラブルだろうか。
やはり王都は治安が悪い気がする。
母上の言葉を思い出す。
――人に優しく、そして、よく生きなさい――
――あなたには、困っている人を救えるだけの力がある――
――あなたには、弱い人を護れるだけの力がある――
――力の使い方にだけは気を付けるのよ――
力の使い方、か。
俺の剣は救うための剣だ。
護るための剣だ。
様子を見に行ってみることにするか。
立派なお母さんですね




