美容院の話
散歩の途中、彼女が髪を切りたいと言うので一緒に美容院へ行くことになった。どんな髪型にするのかと尋ねてみるが、彼女は首を傾げただけだった。してみたい髪型がある訳でも今の長さが気に入らない訳でもなく、ただとにかく髪を切りたいらしい。
寂れた下町には妙に不釣り合いな、お洒落で落ち着いた雰囲気の美容院に入る。店の中は黒やこげ茶色のシックな内装に統一されていて、これまた黒い洒落たシャツを着こなした若い美容師が出迎えた。予約をしていないけれど大丈夫かと聞いてみると、美容師は大丈夫ですよとにこやかに彼女を店の奥へ案内した。
椅子に座った彼女にタオルやケープを用意しながら、美容師が注文を聞く。「お任せで、切ってください。髪の色も変えてもらって構いません」と、彼女は言った。美容師が髪の色に希望はあるか尋ねても、任せますとだけ答えた。
普段はとても計画的で、髪型の注文も美容院へ行く日時も事前に決めておくのに、また珍しいこともあるものだと思いながら待っていると、不意に彼女がこちらを振り向いた。彼女は小声で「お金、ちゃんとある?」と聞いてきた。心配性な所は相変わらずだと苦笑いして、五千円くらいは入っているから大丈夫だよ、と答えてあげた。
目が覚めた。あんな風に突然髪型を変えようとする彼女の姿は、何だか今の自分を殺そうとしているみたいだったななんて、ふと思った。