ピアノの話
彼女が教室に置かれた電子ピアノを弾いていた。楽譜も無いのに、とても上手に弾いている。聞いたことのある曲なら何でも弾ける、と言うので僕の好きなバンドの曲をリクエストしてみた。その曲を彼女は流れるように弾いてみせた。素直に感心し褒めると、彼女は照れくさそうに笑った。
彼女の演奏を見た先生が、ぜひ彼女に合唱の伴奏を頼みたいと言った。歌うのは誰もが知っている定番の合唱曲だ。彼女は了承した。
クラスメート達が全員集まり、さっそく合唱が始まる。ところが彼女はピアノを弾かなかった。一体どうしたのかと彼女を見れば、「よく知っている曲なのに、弾けなかったらどうしよう。みんなで合唱しているのに、間違えたらどうしよう」と顔を真っ青にしていた。さっきまでもっと難しそうな曲をたやすく弾いていたじゃないか、なにも不安がることなど無いのに、と思うが彼女は鍵盤に指すら置かずに震えている。そして、伴奏がちっとも始まらないにも関わらずクラスメート達は何も気にせず歌い始めた。
全員、伴奏の無いまま歌い続ける。彼女はピアノの前で1人泣きそうな顔でいつまでも突っ立っていた。
目が覚めた。目が覚めた後で、あの定番の合唱曲なんて存在しないことに気が付いた。