プロローグ・こうして物語は始まった。
新連載です!
よろしくお願いします(*^^*)
「エレナ、僕の専属侍女になってほしい」
フェルナンに逃がさないとばかりに両手で握られたエレナの右手が、温もりよりも強く痛みを感じていた。
「──どういうことですか!?」
「昨日の夜会で、僕は数年ぶりに服装を褒められた。君のお陰だ!」
呆然としたエレナの目の前で、ぼさぼさの黒髪の隙間から覗く灰色の瞳を輝かせ、この家の主人が言う。
お洒落など全く意識していないだろう無骨なデザインの眼鏡に、地味な灰色の宮廷衣装。シャツとクラヴァットまで同色という徹底ぶりだ。中途半端な長さの髪を一つに束ねているのはリボンではなく、書類を纏めるときに使う革紐。背が高く細身なのは良いが、あまりに白い肌と、頭と肩に薄く積もった埃のお陰で、根暗な印象にしかならない。
正直なところあまりお近付きになりたいタイプではなく、勿論女性をときめかせるような見た目ではない。
本当にこの人が次期宰相と目される切れ者なのか。エレナだけでなく、侍女仲間達も内心では疑問に思っているのではないだろうか。
「え、っと。あの、私……そんなつもりじゃなかったんです!」
ただ服を濡らしてしまったから、代わりの服を選んだだけ。夜会服のコーディネートなど、服飾に強い領地を持つ子爵家育ちのエレナにとっては、趣味の一環のようなものだった。
「君の意見は聞いていない。ただ、僕がそうしたいから言っているんだ。……何か不満があるかい?」
「何故私なのですか!? この程度、他の者でもできますよ!」
「選ぶことはできるだろうが、私に着せることはできないだろうね」
「それは……っ」
公爵家で侍女として働き始めて二ヶ月。エレナは、雇い主の顔を知らなかった。
公爵で、こんなにも大きく立派な邸の主人が、まさかこんなに冴えない見た目の男だったとは思いもしなかった。てっきり親戚の誰かだと思っていた。フェルナンが主人だと知っていれば、あんなことはしなかったのに。
「僕の呪いに勝てるのは君だけだ。君のような女性を待っていたんだ。どうか、僕だけの侍女になってくれ!」
呪いなどという非現実的なもの、エレナは信じていない。事実、そんなものがあると理解した今であっても、目の前の男を直視することに躊躇いがある。エレナの背後では、使用人頭のバルドが逃がさないとばかりに目を光らせている。
勤める家の主人に懇願され、逃げ道も絶たれ、断ることができる人間がいるだろうか。エレナは今日までの平和だった生活を諦め、嫌々ながら頷いたのだった。