普通になれなかった凡人の話~今日は何の日短編集・3月11日~
今日は何の日短編集
→今日は何の日か調べて、短編小説を書く白兎扇一の企画。同人絵・同人小説大歓迎。
3月11日 コラムの日
1751年のこの日、イギリスの新聞『ロンドン・アドバイザー リテラリー・ガゼット』が、世界初のコラムの連載を始めた。
参考サイト
http://www.nnh.to/03/11.html
一人の天才が選ばれるためには、多くの無名の芸術家が、その足下に埋草となっているのだ。
─菊池寛/日本の作家
私には二つ、呪いがかかっていた。
「どうしてお前は普通に育ってくれなかったんだ」
高校一年生になった私に母は不躾にそんな言葉を漏らした。それが一つ目の呪いだった。自分はただ歴史が好きなだけだ。歴史が好きだから友人ともそういう話をしたかった。だが、友人は引いた。私は理由が分からなかった。私にとって歴史とは、周りの子のアイドル趣味ゲーム趣味と変わらないのに、何故か私だけがクラスの端にいた。そんな私の様子を知って、母は普通でないと言った。
「昔、君のような人がいた」
高二の時、私をよく知っている先生が、その時の状況を知ってそう語った。
「その人は頭が良すぎて、何が正解かわからなくなった。神も悪魔も信じられなくなった。だから、部屋のドアを全部閉めて考え続けた、いや、疑い続けたんだ。周りの人はみんな彼を奇人変人だと思ったろうね。
彼は思考の先に、とうとう答えを見つけ出したんだ。『私はこの世の中のあらゆるものを疑った。ここまで疑っているのに関わらず、疑っている自分の意識だけは疑えない。これこそが、確かなものなのではないか?』─我思う故に我あり、と」
ここまで読んでくれている人はわかるだろう。デカルトだ。デカルトの話だ。当然、その時の私も気付いた。先生は続けてこう言った。
「君はきっと今変人だと言われて、孤立しているだろう。けれども、かのデカルトだってここまでの変人だったのだ。何故そう思われるか?君が賢すぎるからだよ。だから、もう、ここまで来たら突き抜けなさい。彼らの書を読んで、彼のように考え抜いて生きなさい」
その日、私が哲学の入門書を本屋に求めに行ったことは想像に難くないだろう。
その日、確かに私は大きく変わった。
普通でないことは、可能性のかたまりだと思ったし、抱え込んだ異常人の意識が急に誇らしく思えた。そして、自分も彼のようになれると思ってしまった。言うまでもない。それが二つ目の呪いだった。
この呪いは時が解決してくれた。それなりに長い時が。
時を経て、私は気付いた。普通になれないから天才だというわけでもない。
作品を書いていてつくづく思う。書いても一桁で止まるいいねを見ては技術が足りないのかとか筆を折ろうとかしている一方で、何万ものいいねをもらって喜ぶ天才がいるのだ。
普通になれないから天才だというわけでもない。
話は変わるが、よくエジソンもアインシュタインもADHDだったから、今ADHDに苦しんでいる人も天才の可能性があるとか何とか言う。
違う。普通になれない人間は天才になることを求めたいわけじゃない。そりゃ、天才になれたら良いだろうけどもそういうことじゃない。私達はただ周りと変わらずに扱って欲しいだけだ。みんなと同じように好きなものは好きと語り合って笑いたいだけだ。普通になれなかった人間達の中で天才の台に上がれた奴らだけを崇め奉られても困る。「君達もああいう存在になれ」と急かされても何の解決になっていない。
多分今私の作品が売れたら、普通の人々は「普通でない天才。変人型の天才」として評価するだろう。でもその下では普通になれず天才にもなれない奇異とされる人々が埋もれているのだ。馬鹿にされながら、嘲笑われながら。
四角い黒い板のテーブル。板と足の間に挟まれた青い布のコタツの上にアイパッドを置き、私は今日も作品を書く。普通になれなかった人々。彼らは天才と呼ばれる器にならない限り、救われない。それが現状だ。デカルトの時代からこれは治っていないのだから、当分改善されないだろう。
だから、私はこうして書くしかない。愚直にも、駄作でも、コラムのように書いていくしかない。
メモ帳に書いた文章をコピー&ペーストして、本文に貼り付ける。
一息吸って、作者名に名前を入れる。
”白兎 扇一“
ご閲覧ありがとうございました。
今回のコメントは控えさせていただきます。
では、また明日。