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閑話 止まり木旅館を探して(上)

 わたくし空大町そらひろまちでも一、二を争う老舗旅館『豊福富庵とよふくふあん』の孫娘で、森下里千代もりした さとちよと申します。友人からは、里だとか、千代だとか呼ばれております。それを同時に呼ばれると、あたかも2人いるかのように聞こえますが、私は1人なのです。


 きっかけは、3年程前。高校時代の友人と喫茶店でお茶をしていた時に出た話題でした。

 

 私の友人の知り合いの知り合いの知り合いが、ある日突然、不思議な旅館に迷い込んでしまったそうです。所謂、神隠しに遭われたのかしらと思いましたが、そうではなかったとのこと。様々な悩みがすっきりと解決し、とても元気になって、この世に戻ってらっしゃったとお伺いいたしました。


 私の悩みというと、太りにくいということ、色白だということ、髪がストレートすぎて、パーマをあててもうまくウェーブが出ないこと、家のご飯が美味しすぎて外食するとつまらない気持ちになることぐらいです。もし、私もそこへ行くことができれば、これらは解決してしまうのでしょうか。


 家に帰った私は、夕飯の席で、父にこのことを話しました。父は、なんとかその旅館を見つけて買収し、ノウハウをうちの旅館にも適用したいと言いました。なぜなら、父には野望があるからです。


 この界隈は、たくさんの温泉宿がひしめき合っています。うちの旅館は、その中でもリピーターや常連様が多く、かなりの人気を誇っております。しかし、旅館組合が毎年行っている人気のお宿ランキングでは、なかなか1位になれません。毎年1位なのは、『養翠之館ようすいのやかた』。父は、いつかうちの旅館を1位にするのが夢なのです。


 父は『養翠之館』を目の敵にしていますが、私はそうではありません。だって、私の気になる人は、おそらくあの旅館の従業員だからです。彼は、青色の髪をしていて、こざっぱりとした作務衣姿にはぐっとくるものがあります。時々、大きな荷物を抱えて『養翠之館』の勝手口に入って行くのを見かけますから、仕入れの担当なのかもしれません。


 私は、父の野望が実現したら、彼をうちに雇い入れて、いずれは私と……というのが目下のところ、夢であります。うちが1位になったら、きっと彼はうちに来てくれるはず。そんな気がしてなりません。


 そこで私は、父のために、友人の知り合いの知り合いの知り合いが行ったという旅館へ行く方法を探り始めました。人伝ひとづてに聞いた話になりますが、どうやら日常生活で追い詰められた際に、その旅館への道が開けるそうです。ちなみに、その旅館の名前は『止まり木旅館』だと聞きました。


 とりあえず、私は断食してみました。でも、すぐにお腹が空いてしまい、たったの1時間でギブアップしてしまいました。


 次は、苦手な犬に囲まれて過ごしてみました。彼らは、どう見ても、私より賢いのです。きっと心の中では「里千代のばーか! ばーか!」と言っているに違いありません。そして、スカートめくりが得意なのです。私は、たった1日で、犬達を元の飼い主のところへ返してしまいました。


 こうやって、私は随分と長い間、自分を追い詰めることに専念していました。が、まだ1つ、試していないことがありました。

 その友人の知り合いの知り合いの知り合いというのは、失業した途端、その旅館に行くことができたらしいのです。私は、大学生でしたので、とりあえず大学を辞めてみました。これは、かなり人生が詰んだと言えるのではないでしょうか。


 しかし、何も起こりませんでした。


 こうなったら、残された道は唯1つ。あれしかありません!



「父さん、私、逝ってくるね」


「里千代!! さすがに、それはまずい!! 父さんは、そこまでしてお前に、あの旅館を探してもらおうとは思っていないんだ!! ただちょっと、一儲けしたかっただけなんだ!!」



 その時、私の手には、ホームセンターで買ってきた丈夫なロープが入った買い物袋がありました。実は、ちゃんと便箋と筆ペンを準備して、手紙にしたためる文面も考えてありました。もちろん、スマホの地図には、決行場所をブックマーク済みです。


 でも、少し見直しました。父は、旅館よりも私の命を優先してくれたのです。でも、できれば、大学を辞める前にその言葉を言ってほしかったと思いました。そして、本音がだだ漏れすぎて、聞いているこちらが恥ずかしくなりました。


 ……とは言いましても、これで完全に手詰まりです。私にはもう、為す術がありません。しかも最近は、青い髪の彼を見かけることもなくなってしまいました。本当に、どうすれば良いのでしょうか。

 

 私は、途方に暮れて、近くの観光名所、稲妻絶壁いなづまぜっぺきに向かいました。ここは断崖絶壁で、自殺の名所でもありますが、本来は美しい夕陽を楽しむための場所なのです。身投げではありませんよ? 父に止められましたから。ただ、1人でたそがれてみたかったのです。


 路線バスに乗って、稲妻絶壁に到着したのは、まだお昼の3時頃でした。夕陽には、まだ早い時間帯です。私は、お花摘みに行こうと思って、駐車場の端にある小さな建物へと向かいました。辺境の観光地では珍しく、ここのお手洗いは清潔です。そして、個室の扉を開けた瞬間……


 たぶん、何かが起こりました。


 気がつくと、周囲の景色がまるで違っています。目の前には大変立派な門構えがあり、看板と思わしき大きな木の板には、『止まり木旅館』と書かれてありました。


 ……ここです。

 ついに、辿り着いたのです!


 私は、『人』の字を3回、左の掌の上に指でなぞって飲み込むと、深呼吸をして、目の前にある門の扉に手を伸ばしました。



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