四十五本目 楓さんをよろしく
◇粋
止まり木旅館の玄関先から会場までは、ずっと赤絨毯を敷いてある。
楓さんと翔さんは、ゆっくりと旅館の中に入ってきた。2人の前には巫女?の密さんが現れて、これから神の元へ向かうために先導の役目を果たす。
白無垢姿の楓さんの表情は、大きな綿帽子の影に隠れてよく見えない。しかし、紅が引かれた唇は、ふんわりとしたほほ笑みをたたえていた。
僕は、これから夫婦の契を交わしに行く2人に話しておきたいことがある。止まり木旅館において、こういう役回りは僕が適任だと思うから。
「密さん、少しだけいいですか?」
密さんは「手短に済ませよ」と言って、2人の前を明け渡してくれた。
「翔さん、やっと大切なものを自分のモノにする覚悟ができたんですね」
翔さんは、あの日、密さんの舞によって止まり木旅館に戻ってきた時に持ち帰ってきた、あの紋付の正装をしている。すごく、良い黒だ。とても深くて、凛としていて、真摯な気持ちにさせてくれる黒。
「あの時は……ありがとうな」
今日の翔さんは素直だ。まさか、お礼を言われるとは思っていなかった。
「大切なものを大切にし続けるのは、もっともっと大変です。翔さんは、ちゃんと添い遂げてくださいね。僕の……僕達の!……楓さんをよろしくお願いします」
楓さんはこれからも僕達、止まり木旅館の女将であり続けるし、僕もずっとここの従業員でいるつもりだ。でも、みんなの楓さんが今日からは少しだけ、離れたところへ行ってしまう。いつも通り近くに居るのに、手を伸ばせば触れられるのに、これまでとは違う場所に存在するようになるのだ。憧れの人が、他人のものになるのって、そういうことだと思う。
翔さんの背中を押したのは、僕だ。それに僕も、かつて妻を自分のものにして、僕は妻のものになって、そこに新しい家族ができあがった。すごく喜ばしいことだ。けれど、いざこうなってみると、周りにいる者の寂しさは計り知れないなと感じる。
僕は、災害で家族を亡くした。ついでに言えば、住んでいた世界も亡くして、ここ、時の狭間に存在する止まり木旅館にやってきた。家族とは、最期まで一緒に生きることができなかった。
家族は社会の最小単位で、温かだ。でも、気心が知れているからこそ、互いの目は厳しいこともあるし、甘えもあるし、慣れもある。『まんねり』なんてものもある。だから、案外その絆は強そうで脆い場合もあるし、複雑に絡み合ってほどけなくなった紐みたいになる場合もある。でも、掛け値なしの愛情だけで支え合い、思い合い、共に苦楽を分かち合えるのは家族だけだと思う。本当に尊い存在、だと思う。
楓さんも翔さんも、僕から見れば少し歪な家庭環境で育っている。父親がいなかったり、親戚というものを知らずに育ったり、『誰かと長い付き合いをする』というものをあまり体験しなかったり。翔さんに至っては、両親から見放されていたし。時の狭間は隔離された空間だから、『世間』などという概念も彼らはほとんど持っていないだろう。
そんな2人がちゃんと『家族』を築いていけるのか。心配は……ある。だからこそ、ここで伝えておきたかったのだ。
「お2人には、幸せになってもらいたいです。でも僕はもう一つ、言いたいことがあります」
翔さんと楓さんは、じっと僕を見つめる。
「僕達も、幸せにしてください。2人がちゃんと幸せになったら、皆安心するというか……幸せになれます。それに……2人だけ幸せとか、ずるいです」
楓さんが、ぷっと笑った。ひどいな。こちらは真面目に話しているのに。
「粋くん、ありがとう。私も、翔も、止まり木旅館の皆も、全員これからもっともっと幸せになるよ!!」
幸せって何なんだろうな。自分で言い出したことながら、ふとそんなことを思った。
以前は、自分の生命と大切な人の生命が天秤にかけられた時、迷わず大切な人の命を選ぶことができることが幸せだと思っていた。でも、もう、そんな回りくどいことはいいや。
今、敢えて言うなれば、こんなに温かな笑顔を向け合うことができる人々に囲まれていること。これが今の僕の幸せだと思う。
「楓さん、翔さん。おめでとうございます!!」
密さんが「そろそろ参ろう」と言って、2人も旅館の奥に向かって歩き始めた。夫婦になるために。
* * *
会場までの道すがら、密さん率いる花嫁行列には次々と列席者が加わっていった。そして皆揃って到着した時、楓さんが一瞬ピタリと足を止めた。
会場は、日本の神社風にしてある。奥に本殿、つまり神様のおわす場所を用意し、その手前に供物を捧げる幣殿。そして一番手前が拝殿。楓さん達含め僕達列席者が着座する場所だ。
と言っても、ここは旅館。ちゃんとした神社ではない。随分前から、密さんに言われて神社セットを蔵の中に準備して隠してあったので、今日は組み立てだけ行った。礼も手伝ってくれたので、なんとか間に合ってよかった。
そんな簡易的な神社風会場なので、多少造りが雑なところがある。つまり、拝殿ゾーンに入った時点で、本殿におわす神様が丸見えになるのだ。
神様? そりゃ、彼しかいないでしょ。
「げ……研さん……」
楓さんの呟きは、僕の耳にも届いた。
そう。導きの神である。
導きの神は、さすがに今日ばかりは実の娘よりも美しい女装を解いて、本来の神様らしい白装束で奥に佇んでいる。これで、「楓が……楓が……!!!」という情けない涙声さえ聞こえてこなければ、神聖で厳かな雰囲気なのに。
さて。こんな微妙な雰囲気の中、楓さんと翔さんの婚儀はスタートしたのだった。




