四十一本目 人生の彩り
◇巴
「楓さん、実は……」
私が楓さんに招かざる客について説明しようとしていたら、背後から大声が近づいてきた。粋くんに足止めをお願いしていたはずなのに、どういうこと?!
「楓さーん! ちょっとお久しぶりでーす!」
まずは、椿さん。うん。髪が短くなって爽やかだ。この状態で初めから出会っていたら、私の女心も揺れ動いていたかもしれない。
「ふうん。君が楓さんか。噂通り、可愛い女の子だね。 ねぇ、今夜、君の時間をボクにくれない? 一緒に楽しいことしようよ。大丈夫。優しくするから」
こちらは柊さん。ボクとか言っているが、女性である。けれど、すらっとした高身長。広めの肩幅。しかも男装。無駄にキラキラした笑顔は、確かに世の女の子をときめかせることができるかもしれない。でも、まさか楓さんがその手にのるわけ……あった!??!!!
「……かっこいい」
ちょっと楓さん! あなた翔くんという人がいながら、何うっとりしてるのよ?! 両手をほっぺたに当てたまま真っ赤になって、フリーズしてしまっている。駄目だわ、こりゃ。仕方がないので、肝心の『お客様』を私から紹介させていただこう。
「えっと……シュリさん? 『木仏金仏石仏』にご滞在中なのですよね」
シュリさんは赤い髪が印象的な女性で、活発な印象。止まり木旅館の内装が珍しいのか、しきりに辺りを見渡している。「うわっ! この絵画高そう! 売ったらいくらになるかな? あたし、最近貧乏暮らしなんだよね」などと呟いていらっしゃるが、ここは聞かぬふりをするのがプロというもの。そうこうしている間に、ようやく楓さんは我に返ったようだ。
「皆様、ようこそいらっしゃいました!」
いつもながら、完璧な笑顔とたおやかなお辞儀でお客様と向き合う楓さん。楓さんは、何か私に指示を出そうと思ったのか、こちらを向いた。が、その直後、顔が一気にプライベートモードに。どうしたのだろうと思って背後を振り向くと、翔くんが立っていた。
もう身体は大丈夫なのだろうか。随分長く留守をしていた彼は、故郷でいろいろあったのか、昨夜は見るからに疲労困憊の状態だった。時の狭間懇親会も、彼は仕入れ係をやっていたから、たいていの人とは既に顔見知りだろうし、そっと寝かせておこうかと考えていたのだけど。でも、起きてきてしまった限りはちゃんと働いてもらおうかしら。
翔くんは、楓さんに向かってふわっと微笑みかけた。しかし楓さんは、口を噤んだまま。
昨夜、翔くんが帰ってきたのは、深夜のファッションショーの真っ最中だった。2人は互いに手を伸ばし合って名前を呼び交わすも、潤くんのストーカー根性の前に感動の再会というイベントは流れてしまったのだ。楓さんは朝から何度も彼の部屋に様子を見に行っていたけれど、まだ会話をしたような様子はない。なので、きちんと2人が対面するのは、翔くん帰宅後これが初めてである。
「……楓」
翔くんからは桃色のオーラが溢れている。声も甘い。あーもう! さっさとプロポーズするなり、押し倒して既成事実作るなり、さくさく話を進めなさいよ!! お姉さんは、ジレジレさせられすぎて、もう待てないよ!!
若干イライラしている私をよそに、翔くんは楓さんの前へゆっくりと歩み出る。彼を見上げる楓さんの瞳には、いつの間にか涙がたまっていた。
楓さんは、この止まり木旅館で生まれ育ち、外の世界を全く知らない。止まり木旅館はその役目上、様々な世界の方々をお迎えするため、ついつい何でも知っているかのような気分になってしまうが、やはりここは極端に閉鎖的で異質な空間だ。
私が以前居たのは陰謀渦巻く宮廷で、常に人の顔色を窺い、たった一言や一挙手一投足に気を遣い、刺客や毒に怯えながら毎日を過ごしていたものだ。女官の衣装は美しかったし、四季折々の行事ごとでは珍しいものや美味しいものも食べさせてもらえたし、帝につき従って地方を回る折には風光明媚な景色も拝むこともできた。刺激的で、起伏に富んだ毎日だった。そして、その中でも特に私の心の支えとなり、人生の彩りとなっていたのは、恋だった。
楓さんは、時の狭間の住人である上、女将である。他の世界を本当の意味で知って、体験する機会など、死ぬまで巡ってはこないだろう。だから、毎日のささやかな変化に幸せを見出し、小さなことを面白おかしく取り上げてはカラカラと笑って楽しむことは大変良いことだ。けれども、できれば誰か本当に好きな人ができて、さらに言えば両想いになって、その恋が成就することがあればいいのになと。そうすれば、楓さんの人生は今以上に充実して、輝かしいものになる。そう、ずっと思っていた。
人を好きになるのは、とてもつらいことだ。
まず想いが届くかどうかが第一の関門。もし届いても、受け入れてもらえるかどうか。そして、その後どうしていくか。お互いが好きになっても、別の生命体である以上、必ず何らかの隔たりが生じる。私の場合は、身分という壁があったし、歳も少し離れていた。2人同時に『好き』と呟いたとしても、その重みや色味は異なる。それでも、魂に訴えかけてくるような、生物の本質と直結した『渇望』を癒してくれる、偉大なる力がそこには働いているのだ。これは生物としての営みの中で、最もキラリと光る一瞬であり、何物にも代えがたい尊い体験と言える。
止まり木旅館のお客様は、本当に『一期一会』。現れてはすぐにいなくなる。それを延々と繰り返す。ひたすら、お客様の幸せと満足を願い、見送り続ける。基本的に引き留めることはできない。もう二度と会わないと分かっていながら、その瞬間瞬間をお客様のために演出し続ける。神様のような役目だ。このような境遇で、『誰か』と出会い、本当に好きになり、そして好きでい続けるということはとても難しい。
翔くんが、楓さんのことを好きになったのはいつの頃だろうか。おそらく随分前のことだ。でも長い間、楓さんは天然のスルースキルで全く気づいていなかった。だから、このカップリングは無理かもしれないと諦めかけていたのだけれど、あるきっかけで楓さんは急に翔くんを意識し始めた。やはり、スキンシップ的なものはインパクトが強いらしい。
私は、楓さんの人生に新たなエッセンスが加わって本当に良かったなと思った。
それから2人は、止まり木旅館の秘密に迫りながら、その関係性をより密なものにしていった。私は今、好きな人と世界を隔てられているので、ちょっぴり羨ましかったのは秘密。
今の翔くんの表情を鑑みるに、故郷での用事はうまくいったのではないだろうか。それならば、もう2人の前に立ち塞がるものは何も無い。こういう事は、タイミングと勢いが大事だ。さ! 今こそ、ぎゅっ!とか、ちゅっ!とかするべき!
「翔……」
私が翔くんの背中を楓さんの方に押してみようかと考えていた時、このタイミングで爆弾を投下してくれる方が現れた。
「翔? あ!!! 翔だ!!! えー?! なんでここにいるの?!! ついこの前まで、あたしと一緒に寝泊まりしてたのに!!」
シュリさんと、一緒に……寝泊まりですって?!!! 翔くん、あなたグジャルダンケルで何やってたの?! ほら、見なさい。楓さんの背後に猛吹雪の幻影が出てるわよ!!!




