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閑話 止まり木旅館を訪ねて

◇千草


 止まり木旅館の楓が女将になった。


 そんな話を聞いたのはしばらく前のことだ。これまでは千景姉さんが女将を務めていたものの雲隠れしてしまい、娘の楓が若女将として旅館を切り盛りしていたと言う。


 時の狭間は、案外物騒な場所だ。うちの『金のなる木』の客層だけが悪質なのかもしれないが、私自身はここしか知らない。とにかく時の狭間というものは、様々な世界と繋がっていて、これまで私自身が大切にしてきた常識を覆すような価値観や生き様を日々突きつけられている。


 大概の客は、時の狭間という空間の異質さに飲まれてしまうのか、無茶苦茶な言動をする者ばかりだ。生き物は誰もが、『いざという時』こそ、その本性が現れるということだろう。


 そんな時の狭間に存在する旅館。さぞかし苦労して、客を大量に滞留させているのだろうと思いきや、存外うまく捌けているらしい。


 なぜだ?

 楓は、まだ若い小娘のはずだ。


 彼女は時の狭間で生まれ育ったことから、このような環境を不思議にも思っていないのかもしれない。だから、うまくいっているのだろうか。私の秘書兼仕入れ係のまどかが話していたことなので、この情報に間違いはないのだろうが……。


 時の狭間は娯楽が少ない。日頃は、客を面白おかしく相手して暇つぶしするぐらいだ。つまり今回の噂は、私にとって格好の『遊び』となりうる。だいたい、こう気になってしまったからには、放っておくこともできない。何かにかこつけて視察と洒落込むしかあるまいと踏んだわけだ。


 そこで思いついたのが、懇親会である。


 良い旅館だと思ったら、素直に女将昇格祝いでもやればいいだろう。まずは見せていただこうじゃないか。おもてなしってものを。



* * *



 ボロい宿。

 それが止まり木旅館の第一印象だった。


 決して建物が倒壊しかかっているわけではない。が、大変年季が感じられる。木造だが、基本的な造りはしっかりとしているようで、醸し出される空気には気品と情緒があった。庭も玄関先もきれいに整備されていて、この様子だと私が来るのとは関係なしに常日頃からしっかりと手入れされているのだろう。


 私と瞬が到着すると、待ち構えていたらしい楓がすぐに挨拶してきた。ちなみに、『金のなる木』ではこんな習慣はない。建物一階の受付カウンターに呼び鈴を置いていて、誰か来た時にだけカウンターごしに挨拶をする。


 楓は、千景さん姉さんと大変よく似た外見の娘だった。女将と名乗るには若すぎるし、若干考えていることが顔に出やすいようだ。しかし、私たちを旅館の中へ案内する姿はベテランとも呼べそうな、流れるような落ち着いた所作で、ある種の舞を見ているかのような気分にさせられた。


 ここまでは良かったのだ。


 私達は、懇親会が始まるまで休憩をとるため、客室に案内されていた。錦鯉が泳ぐ澄んだ池と赤い小さな太鼓橋。それに、センスよく剪定された松の緑が美しい庭を臨む廊下を進んでいた時、ついに苛付きを抑えることができなくなってしまった。


「この旅館は、無駄な物が多すぎる」


 私達の前を行く楓は、ピクリと肩を一瞬振るわせたが、こちらを振り返った時には飛びっきりの笑顔になっていた。何なんだろうな、この笑顔。


「お気に召さない物がございましたら、片付けます。どうぞ遠慮なさらずにおっしゃってください」


 笑顔をキープしている彼女。何やらその背後に薄黒いオーラが見えたのは気のせいか。


「では、遠慮なく」


 せっかく許可されたのだ。まず私は、廊下の壁にあった花を指差した。緻密な柄が描かれた、いかにも高級そうな一輪挿しに、白い花が生けられている。


「お花、お嫌いなのですか?」


 眉を下げて小首を傾げる楓。なるほど。こうやって可愛こぶって、いつも客に媚びているのか。


 客は大切な資金源だ。客は対価を支払うことでそれに見合った宿サービスを受けられる。だからこそ、経営者たるもの不必要にこびへつらうことはない。もっと堂々としていればいいのだ。


「花は好きだ。だが、客のためにここまでする必要はない」


「これはうちの旅館のおもてなしです。訪れた方々に特別で上質な時間を過ごしていただく。それがお客様を満足させる秘訣だと考えているんです」


 楓は楓なりに『方針』があるようだ。


「花はまだいいにしても、この壺や、あの絵画は要らないだろう。あ、あれは第54世界ソフィアスにあるユーベルタルの滝の絵画だな。しかもサインは高名な画家クリューガルのものじゃないか。これを売れば相当な金になるな」


 ふと見渡すと、この旅館内には価値のある芸術品ばかりが散りばめられていた。まるで小さな美術館である。


「別にお金には困っていません!」


 楓は急に態度を変えて、こちらを睨みつけてきた。生意気な小娘に見つめられたところで、こちらは痛くも痒くもない。


「でも、あるに越したことはないよ。今はうちの母さんが金を管理してるけど、いつそれが途絶えるかも分からないんだ。危機意識を持たず何もしていないなら、やっぱり所詮小娘だな。若女将に戻った方がいいかもしれない」


 こちらを見つめる楓の目は、少しずつ潤み始めた。別に本当のことを言っただけだ。言いすぎたとは思っていない。


「じゃぁ、千草さんのお宿では、どうやって資金を確保してるんですか?」


 楓は私に尋ねた。


「普通に宿を経営しているだけだよ。客には、宿という場所を提供する代わり、その滞在に見合った何かを対価として払ってもらう。それだけだ。」


 止まり木旅館は、宿を名乗っている癖に金をとっていないらしい。そもそも、それが変なのだ。


「私、噂で聞きました。お客様から、対価として、お客様が持っている大切なものを奪っているって。何も持っていなかったら、出身世界の話を面白おかしくしなければならないことも」


 客は、元々宿に来るつもりがなく突然来てしまうケースばかりだ。ほとんどの場合、金などは持っていない。そうなると、金の代わりに何か物を納めてもらうことになるのは自然なこと。


 楓は、怒りを感じて肩を震わせているが、なぜ怒っているのか分からない。これはビジネスだ。当然のことをやっているだけ。世の中、ボランティアだけで全てを完結出来るほど甘くはないのだから。



「その通りだ。よく知ってるんだな」


「お客様は、いきなり知らない空間に放り出されてとても不安なのです。心や身体に傷を負っている場合もあります。それなのに、大切なものを奪うなんて……酷すぎます! とても信じられません!!」


もしかして、理屈が通じないタイプの娘なのだろうか。私はなんとなく面倒くさくなってきて、思わず溜息が出た。瞬なんて、楓の背後で先程から見え隠れする男にちょっかいを出し始めている。私という男がいるのに、困ったものだ。誰が主人なのか、後ほど教育し直さないといけない。


「信じたくなければ、信じなければいい」


 私はそれだけ言って、廊下の奥へと足を進めようとした。が、着物の袖をぎゅっと掴まれてしまう。


「千草さん」


 楓が呼び止めたのだ。


「……分かりました。千草さんは今回、止まり木旅館のお客様でいらっしゃいます。ですから、お代はきちんといただきましょう。お金はいりません。あなたの大切なものでお支払いください」


 へぇ。私に食らいついてくるとは、なかなか面白いじゃないか。



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