三十八本目 いつもの着物姿でいいから
◇翔
楓の部屋の奥には続きの間があって、襖を外して開け放すとかなりの広さになる。
「よ……洋服……!?! な……生足?!!」
障子を開けた向こうは、ファッションショー会場さながら、畳を積み上げて短いキャットウォークが設営され、天井から吊り下げられたいくつかのスポットライトが1人のモデルをびしっと照らし出していた。
モデル? うん、これは間違いなくモデルだろ。この際、背の高さは気にしないでほしい。
思ってた以上にすらっと長く白い手足。ずーっと着物を着ているところしか見てこなかったから、こんなの全然知らなかった。
「すげぇ……可愛い」
確かに、胸元は平坦なのだ。でも今着ている丈の短い桃色のワンピースは、胸元に程よくレースがギャザーされていて、その残念っぷりを見事にカバーしている。
「翔?!」
「楓!!」
俺達は互いに手を伸ばし合った。これを待ってたんだ! 感動の再会!! 楓には絶対に言わないけれど、会えなくてやっぱり寂しかった。グジャルダンケルからはメールなんかもできなかったし、実際よりもずっとずっと遠く、長く離れていたような気がする。まさか、俺が今夜帰ってくるのを予想して、こんな可愛い格好で待ってくれてたのかな?って……え?!!
突然、身体が横へはね飛ばされる。さっと受け身をとって立ち上がると、元居た場所で潤さんが大きなカメラを構えていた。何が大きいって、まず立派な三脚。そして、これはレンズなのか?! 通常のデジカメに黒い大砲みたいなのをくっつけたような形だ。すごく物騒な雰囲気なのだけれど、彼に限って変なことしないよな?!
「あ、翔さん! おかえりなさい! 先程から楓さんのファッションショーやってるんです。こんな機会なかなか無いから、もう興奮しちゃって!!」
どうせ毎日楓見てハァハァしてんだろ。何を今更。ってか、お前が『おかえりなさい』言うな! 俺は、一番に楓から聞きたかったのに……のに……のに……(以下エコー)
「潤くん、もうだめ! 最近、ファンサイトみたいなブログ立ち上げて、毎日私の写真をアップしているの、知ってるんだからね!」
「それなら話が早いです! 是非ともご協力を!!!」
「だめよ! こんなの誰にも見られたくないーー!!!」
「既に5人に見られてますよ。諦めてください!」
5人?! さっと暗がりを見渡すと、『旅館木っ端微塵』の千歳さん?! なんでここに?! さらに視線を部屋の奥の方へ移すと、カーテンで仕切った一角の辺りから、粋と巴がこちらに向かって手を振っていた。
粋は仕事着用の作務衣を着込んでいて、首にはタオルを巻き付けてある。一仕事終えた時みたいな様子だ。あ、そっか。ここの設営、あいつがやったんだな。
巴は、「せっかくたくさんネットショッピングしたんだから、着ないともったいないですよー」などと楓に向かって叫んでいた。もしかしてこの服、楓が以前、タブレット型端末で爆買いした時のヤツか?!
一方で楓は、キャットウォークの先端の部分で、不細工なターンをキメると、「あんたは宿屋の女将か?!」と突っ込みたくなるような(いや、実際にそうなのだけれど)丁寧なお辞儀をした。でもその直後、ウォーキングのウの字にもならないような小走りで巴のところへ逃げ急いだため、途中ですってんころりんと転倒。当然パンツが見えるわけで、その瞬間シャッターを切っていた潤は、後で殺す! も……もちろんデータも没収だ!
俺もいつの間にか自然と身体が動いしまったらしく、気づけば自分のタブレット型端末のカメラをステージの方へ向けてしまっていた。だが、なかなか楓はカーテンの向こうから現れない。代わりにこんなことが聞こえてきた。
「楓さん、次の衣装で最後ですよ!」
「やったー! その箱は何?」
「これはですね、千歳さんからフィナーレに着るようにと言われていて、預かっていたものなんです。プレゼントなので、必ず着て見せるように!とのことでしたよ」
「中身は何かしら? 開けてみるわね」
何やら包装紙を破り、紙製の箱を開封したかのような物音が続く。
「「……え」」
静まり返る室内。何だ?! 楓は千歳さんかは何をもらったんだ?! 俺は仕入れ係として、楓の着物を仕立てたことはあるけれど、まだ洋服をプレゼントしたことなんてないのに……!!
「楓さん、覚悟を決めましょう! ほら! この手のジャンルのファッションショーだって、普通にありますから!」
「無理よ! むりむりー!! 巴ちゃん代わりに着てーー! きっと、私より着映えするって!!」
「だめですよ。それに、私の胸はこんなちっちゃなのにはおさまりません」
「言ーわーなーいーでーーー」
涙目になっている楓が目に浮かぶ。その後も、楓と巴はしばらく言い合いを続けて、奥のカーテンはゆさゆさと揺れ続けた。そこで痺れを切らした男が一人。
「楓ちゃーん! まだかなー?!」
千歳さんだ。俺は彼に近づいた。
「うっす。久しぶりですね」
「おぉ、翔か。ちょっと見ない間に随分逞しくなったな」
「前からですよ。で、なんでここにいるんですか?」
「ん? お前、もしかしてまだ聞いてないの? 実は明日……」
その時、楓の腕と思われるものが、カーテンの隙間から覗いた。いよいよ?
「楓ちゃーん! サイズぴったりでしょ?俺、こういう勘は大抵当たるんだよね!」
「ぴったりすぎて悲しいですーー!おかげで巴ちゃんに着せられちゃったじゃないですかーー?!!」
そんなに変な服なのだろうか。千歳さんは、千景さんの兄弟の中では一番まともな方なので、常識外れな贈り物なんてしそうにないのだけれど。
「このファッションショー?を企画したのって、千歳さん?」
「そうそう! 写真撮らせて欲しいって楓ちゃんに言ったらさ、厨房の中だけとか、他の客に迷惑かけない範囲でとか言うから、結局全然撮らせてもらえてないんだよね。だから、皆寝静まってる夜中のうちにやっちゃおうって思ってたら、なんと協力者が現れたんだ」
それ、協力者じゃなくて、共犯者な?
ってか、俺に無断でこんな楽しいことやるなんて!……と言おうとした瞬間、奥のカーテンが一層大きく揺れ、ついにはカーテンが天井から……剥がれ落ちた。
「あ……」
赤だった。
ザ・ランジェリー。
遠目に見ても慎ましやかな胸元は、日頃陽に当たらないせいか透き通るように白い。
「もう! だーかーらー、こんなことしてる場合じゃないの!! 明日は『第1回時の狭間懇親会@止まり木旅館』なんだから!!」
ん? 何だって……?!
一瞬、視界がふらついた。青の宝石との闘いの疲れもまだまだ残っていた俺。楓は大事な事を話しているっぽいけれど、ほとんど頭の中に入ってこない。そんなのよりも、楓が巴に取り押さえられながら、あんな格好でジタバタするものだから、開いた膝の間から見える……
「翔さんが倒れた!!!」
「嘘?! 楓さん、どう見たって、そこまでの色気はないよ?!」
「ほんとはこれ、姉さんに着てもらいたかったんだけど、やっぱり人妻になっちゃったからさすがに不味いかと思ってさ」
ここには、マトモな奴が1人もいないのか?!
次に目が覚めたらどこに居るんだろうな。次こそ、楓の隣がいいな。いつもの着物姿でいいから。天国だけは、マジ勘弁。