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二十本目 もう帰ってくれていいです

◇楓


 厨房の片隅では、じゅっ、じゅっと規則的な音が上がっている。粋くんが止まり木旅館煎餅に焼き印をつけているのだ。私が手の空いている時に作ったお煎餅に、以前翔がどこからか仕入れてきた焼き印を熱して押し付けると、焦げ茶色の止まり木旅館マークが印字される。


「楓さん、失敗しちゃいました」


 粋くんは、全然悪く思っていない顔で、私に1枚のお煎餅を突き出した。見ると、確かに焼き印が大きく右に寄ってしまっている。たまに、こういったミスがあるのだ。こういったお客様にお出しできないものは、私たちの密かなおやつになっている。


 私は、お煎餅をパキンと音を立てて半分に割ると、片方を粋くんの口に差し込んだ。



「これ、椿さんもできると思う?」


「無理でしょう。全てが、僕たちのおやつになりますよ。いや、おやつになるだけで済むなら良いのですが、彼は何をするか分かりませんから……」


「……そうね。厨房に入れるのはやめましょう」



 椿さんの実地研修は、あまりうまく捗っていない。先日から、お客様の御出迎えなどを担当してもらっているが、結果は……。

 彼が毎度思わぬことをしでかすというのもあるけれど、私がすぐに前へ出て行ってしまうのも原因かもしれない。

 けれど、お客様にとってはその都度1回きりのご訪問なのだ。その一期一会をできるだけ完璧にお迎えし、お送りしていきたい。お客様からすれば、研修なんて関係ないものね。

 とは言え、このままでは一向に彼は進歩しないだろう。どうしたものか。


「ちなみに、里千代様のことはいかがされますか?」


 そうそう。もう1人居たんだった、問題児。ちょっと頭痛がしてきた。

 里千代様は、以前に比べると止まり木旅館に馴染んで、私への当たりも弱くなってきた。でも、お帰りになれるきっかけは何も掴めていないし、何かが進展するような気配も全く無い。


 ふと、仕入れ担当の礼くんに、日本へ強制連行してもらおうかとも思ったけれど、あの仕入れ用扉は、仕入れ係しか通行できないのだ。やはり里千代様は、扉が現れるまでお帰りにはなれない。それに、抜け道を使ってお帰りになってもらうだなんて、止まり木旅館の女将としての矜持にも関わるし駄目だ、駄目だ。

 翔には、彼が帰ってくるまでにあの2人のことを解決しておくと約束したのに……。


「誰か、助けてくれませんかねぇ」


 粋くんは、ようやく煎餅を飲み込めたらしい。お茶を飲んで一息ついている。


 誰か……助ける……。ふと、アレの存在が頭をよぎった。できれば使いたくない。しかも、なんで楽器なの? 意味が分からない。


 今となっては、従業員の皆も、椿さんや里千代様のことを根本的に悪い人だなんて思っている人はいないと思う。多少の苦手意識をもつことがあったとしても、これだけ長く滞在していれば、良い面も多少は見えてくるものだから。けれど、このまま従業員化という未来はどうしても思い描けないし、2人ともそれは性格やその他事情から受け入れられないだろう。


 ……仕方ない。これで解決するとも思えないけれど、今はわらでも縋りたい。


 私は、こそこそと女将部屋に戻ると、引き出しの中からリコーダーを取り出した。それは象牙色をした30センチメートルぐらいの長さの笛。いくつもの穴が開いているけれど、吹くのは初めてなので、どの穴をどう塞げば良いのかも分からない。自棄になった私は、穴を塞ぐという行為を諦め、そのまま吹いてみることにした。


――ピーーーーーーーーーッ!!!!


 何なの?! 自分で吹いておいて言うのは何だけど、ほんっとに酷い音! しかも、どこか間抜けた響き。耳が壊れるかと思う程の大きな高音が部屋中に響いた。

 すると、部屋の片隅から見る間に白い煙が立ち上って……


「楓、呼んだかの? なかなか遅かったではないか」


 現れたのは、予定通り密さん。でもこのお姿は……


「待ちくたびれた故、仕方なく装備だけは充実させておいたのじゃ」


 密さんは、以前と同じ翡翠色のお召し物の上に、西洋の騎士のような銀色に輝く甲冑を身に着けている。それがまた、彼女の体形にフィットしているものだから、胸の大きさも分かってしまい、羨ましすぎる……じゃなくて、どこか破廉恥なのだ。それだけではない。右手には長さが背の高さ以上もある槍……あぁ! ちょっと! 槍の切っ先が天井を貫いていて穴を開け、上から木くずが落ちてきている! 左手には盾らしきものが。これにはびっしりと光り輝く宝石のようなものが埋め込まれていて、赤や緑、青などの輝きを放っていた。

 で、こんな装備、何の役に立つの?


「狼藉者はどこにおる? 妾が直々に倒してみせよう」


 密さんは、得意げな顔で仁王立ちしている。



「あの……すみません、もう帰ってくれていいです」


「楓、遠慮するでない。妾が来たからには、もう心配はいらぬ」



 もはや、心配以外のものは存在しない。密さんは、呆気に取られて立ち直れない私を残し、さっさと部屋を出ていってしまった。


「どこだ?! 出てこい!!」


 別に彼と彼女は逃げも隠れもしていません。っていうか、そんな武器で倒せるもんなら、さっさと倒してるわよ!!! お願いだから、これ以上ややこしくしないでー!!!


 ……って、もう遅いよね。



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